2008年09月08日

これからの読書週間の標語

更新をサボっているうちに、今年の読書週間の標語が発表されてましたね。
これです。
「おもわぬ出会いがありました」

本を読んでいると、そこに思わぬ発見を見いだすことがあるんですよ、それがあなたにとってプラスになるんですよ。
といった当たり障りのないことを表面的には主張しつつも、一方では、たとえば満員の電車の中で本を読んでるときに「あっ、それ‥‥」なんていうかわいらしい声が背後から聞こえるから、振り向くと眼鏡をかけた清楚な感じの女子高生が「きゃっ、やだ、私ったら、つい‥‥、あの、その本、私も今、読んでるところなんです‥‥」と真っ赤な顔でしどろもどろになってたりして、それが僕たちの運命の出会いでした‥‥。あるいはやっぱり満員の電車の中で「きみ、なんだかおもしろそうな本を読んでいるね」と横から不意にいわれて、見上げると背が高くて爽やかな学生風の男子がやさしく微笑みかけていたりして‥‥、ああ、それがあたしの運命の‥‥、なんて、きゃーん、ばかばか、あたしのばか、そんなことあるわけないってば! でももしかしたら、いつかそんな出会いが、あるかもかもかも! なんちゃてー! やーん! といった具合のそっち方面の「出会い」をサブリミナルに主張しているような、あまり品がいいとはいえない標語のような気がします。

が、そんなことより。
この標語をひと目見て、衝撃を受けました。
1947年に始まる読書週間の標語の歴史が、ついに大きな転換点を迎えたのです。
これまでの標語はこちらをご覧ください(去年、一昨年についてはこちら)。そして今年は「おもわぬ出会いがありました」
そう、そうなんです。ついに来ました。ついに登場してしまったのです。「本」やら「読む」やら「ページ」やら「しおり」やら、本関連の言葉がひとつも入らない標語が!

今回の「おもわぬ出会いがありました」は、読書週間じゃなくても違和感なく使えるような標語なんです。愛鳥週間でも(コアジサシを見に行ったら希少なクロツラヘラサギと出会えました!)、学校給食週間でも(わー、今日のおかずは握り寿司!?)、春の交通安全週間でも(出会い頭にビックリ! 目の前にトラックが!)、古紙リサイクル週間でも(うわー、こんなところに一万円札が挟まってた!)、何でもいいわけです。読書週間の標語は、60年目にして、ついに禁断の領域に足を踏み入れた、といってもいいでしょう。

こうなると次のステップは、本関連の言葉が入ってないばかりか、よく考えないとそれが読書週間の標語とはわからないような、ひねりのきいたトンチめいた標語になりますね。
たとえば‥‥。
「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」(そんな急がんと、まあ本でも読むっぺや)
「欲しがりません勝つまでは」(今格闘中のこの本を征服するまでは、決してほかの本には手を出しませんことよ!)
「私はこれで会社を辞めました」(本に耽溺するあまり、仕事がおろそかになってしまって‥‥)
「そうだ、京都いこう」(ああ、この本は京都に行く新幹線の中で読むのにぴったりだ! 本を読むために京都に行きたくなってしまいました)
「だが断る」(ケータイやゲームやテレビやデートのお誘いや、いろんな楽しみがあるけれど、だがすべて断る! 俺には今読んでいるこの本がある!)

来年の標語が楽しみです。
posted by 清太郎 at 22:23| Comment(9) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月04日

水滸伝騎馬戦

サボっているうちにいつの間にやら9月になってしまいました‥‥。

ボイコットやらテロやらチベットやら大気汚染やら、なんやかんや言われながらも、北京オリンピックはそれなりの成功をおさめましたね。
いつもいってることですが、オリンピックって本音のところでは、純粋なスポーツイベントというよりもナショナリズム剥き出しの熱狂の場なんですから、そのあたりをもっと盛り上げるような競技があってもいいように思います。ということで、思いっきりタイミングをはずしたオリンピックネタ。

終わっちゃった今となってはもう遅いのですが、中国ならではの競技として、たとえば、
「水滸伝騎馬戦」
なんてのがあってもよかった。
参加するのは、水滸伝にちなんで、各チーム108人ずつ。もちろん1国1チームのトーナメント方式。選りすぐりの屈強な男どもが4人1組となって27の騎馬をつくって荒野の上で向かい合い、合図とともにドドドドドッ!と激突します。かぶっている帽子をとられるか、騎馬を崩されるかしたらアウト。終了のホイッスルが鳴ったときに、より多くの騎馬が残っているチームが勝ちです。
が、そこはそれ、国対抗ですから、燃えます。燃えまくりです。馬どうしの蹴り合い、騎乗者どうしの殴り合いは当たり前、全員流血、骨折者続出、怒号と悲鳴と血煙があがり、ヒートアップした一部の騎馬は観客席にまで殴り込んだりして阿鼻叫喚。日本×中国戦のような好カードが実現したら、挙国一致でテレビにかぶりついて応援することになるでしょう。
あるいは、
「水滸伝騎馬戦(女子)」
でもいいかも。会場はプール。選手は全員水着。こちらは、とくに好カードじゃなくても多くの男子がテレビにかぶりついて観戦し、選手は流血しませんが、観戦者が鼻血を出したりします。

水滸伝があるなら、西遊記があってもいいですよね。たとえば、
「西遊記ラリー」
っていうのはどうでしょう。
西安を出発して、シルクロードを通って天山山脈の北側を通ってカザフスタンからインド入りしてナーランダへ。復路は天山山脈の南側ルートを通って中国に戻ります。
三蔵法師+孫悟空・猪八戒・沙悟浄の一行にちなんで、こちらも4人で1チーム。もちろん、各国1チームずつの国別対抗戦です。新彊ウイグル自治区やアフガニスタンといった今ホットな地域を通るだけに、危険いっぱいでハラハラドキドキ。牛魔王や金角銀角はいませんが、代わりに他チームの妨害工作が待ち受けています。なんだか「チキチキマシン猛レース」っぽくて、やっぱり激しく興奮してしまいそうで、実現しなかったのが残念です。

でもって、ついでですから金瓶梅も競技化しましょう。退廃の限りを尽くす西門慶の物語です。西門慶の6人の夫人+αにちなんで、女子ばかりで1チーム7、8人。で、競技ルールは、なんだかよくわかんないけど、こう、くんずほぐれつというか、あーん、そんなところさわっちゃダメえ、というか何というかそんな感じで、‥‥この競技、テレビでは放映できませんでした。

次のロンドンオリンピックでは、ぜひ「ガリバー旅行記ヨットレース」「不思議の国のアリス障害走」「ロミオとジュリエット高跳び(男女ペア)」などを競技種目に加えてもらいたいものです。
posted by 清太郎 at 23:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

あなたを主人公にした本

ふと思いついたので、こんなものをつくってみました。
あなたを主人公にした本

タイトルだけしか出ませんので、内容についてはタイトルから想像してください。
あなたが主人公になった本とは、どんな本なのか。心ふるえる恋愛小説なのか、ドキドキのミステリか、あるいは軽めのエッセーか、ビジネス書か、哲学書か‥‥。

どうぞお試しください。
ちなみに私の場合は、
「清太郎とともに去りぬ」
でした。
posted by 清太郎 at 12:59| Comment(32) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

カンダタが女子ならば

「男子キャラを女子にしちゃう」
というのは、パロディの常套手段のひとつです。
たとえば、男子が大好きな「三国志」であれば、武将たちの一部またはほとんどを女子にした作品が、
・突き刺せ!! 呂布子ちゃん(呂布なのに幼女)
・一騎当千(孫策や張飛なのに女子高生。しかも巨乳)
・恋姫無双」(孔明が「はわわ、敵が攻めてきちゃいました〜」とかいう)
をはじめ、いろいろあるようです。
これをふつうの文学作品で、できないか。いきなり思いもよらぬ百合展開になったりして、ふだん小説なんて読まない男子も大興奮、「坊っちゃん」みたいにアニメ化も可能かもしれません。
ということで、ちょっとシミュレートしてみました。

芥川龍之介「芋粥」
芋粥をおなかいっぱい食べたい食べたいぜひ食べたいと常日頃から思っている五位(♀)。正月二日の饗宴で、
「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう。」
と利仁(♀)から〈軽蔑と憐憫とを一つにしたやうな声〉でいわれて、
「べべべ、べつにあたし、芋粥なんて、食べたくないもん。食べたいなんて、ひと言も、いってないんだからね。芋粥なんて、太りそうな料理、あ、あたしが、食べたいなんて、いうわけないでしょ! やだ、もう、信じらんない。冗談もほどほどにしてよねー。だいたいねー、芋粥なんて、芋に粥よ。炭水化物の固まりじゃなーい。カロリー摂り過ぎ。乙女の敵だわ。それを、あたしが、食べたいなんていうとでも思ってるの!? ありえなくない? それとも何? 繊維? 食物繊維ってこと? やだ、もう利仁ったら、別にあたし、芋なんか食べなくても、大丈夫だって。芋粥なんて、ホント、食べたくないんだってば」
「‥‥あ、そうなの」
五位、芋粥食べずに終了。

中島敦「山月記」
監察御史の袁サン(♀)が〈残月の光をたよりに林中の草地を通って〉いくと、〈一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁サンに躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。〉
叢の中から聞こえてきた声にハッとした袁サンは、叫んだ。
「その声は、我が友、李徴子(♀)ではないか?」
「‥‥えーっ、わかっちゃったぁ!? いかにも、あたしあたし、隴西の李徴」
「やだ、もう、わかるわよー。すっごい、久しぶり! 何隠れてんのよぉ、出てらっしゃいよぉ」
「えーっ、だって、はずかしい、あたし、すっごい、変わっちゃって……」
「やだ、李徴子ったら、そんなことないわよぅ」
「えーっ、そぉお? ホント?」
「そぉよう、李徴子、もうぜんぜん変わんないじゃなーい。あたしのほうが、もう、こんなになっちゃって‥‥」
「えーっ、やだ、袁サンったら、何いってんのよ、袁サンこそ、あの頃からぜんぜん変わってないじゃなーい。あーん、うらやましいっ」
「やだ、もう、李徴子、そんなこと言っても、何も出ないわよ」
もう、話ぐだぐだ。

太宰治「走れメロス」
濁流を突破し、山賊を撃ち倒し、野原の宴席のまっただ中を駆け抜け、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の十倍も早く、ひたすらセリヌンティウス(♀)のもとへと、走るメロス(♀)。〈メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。〉
「きゃっ、やだ、あたしったら、ハダカじゃなーいっ! いつの間に!? やだあ、きゃっ、やだやだやだ、だめえ、見ないでえ! いやーん、もう、あたし、こんな格好じゃ、走れなーいっ!」
メロス、リタイア。セリヌンティウス、処刑。
‥‥まあ、女の友情なんて、こんなものなのかしら。

芥川龍之介「蜘蛛の糸」
ある日の事、御釈迦様(♀)が、蓮の池から地獄をのぞくと、三途の河や針の山の景色、その中で蠢いている罪人たちが見えます。
「やだあ、キモーイ」
御釈迦様、足早に立ち去って、終了。

‥‥いや、これではあまりに身もふたもないので、蜘蛛の糸を地獄の底へと下ろすことにして、それにつかまってよじのぼるカンダタ(♀)。
〈ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。〉
それを見たカンダタ、思わず、スカートをおさえて、
「やーん、だめえ、見ないでえ! きゃーん、のぼってきちゃ、だめえ!」
途端に、蜘蛛の糸は、プツン。

うーむ、なんだか、どれも微妙‥‥。
posted by 清太郎 at 00:41| Comment(6) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月06日

読み放題プラン

今更いうまでもないことですが、新刊書店の数は減少し続けています。2001年にはまだ2万店以上あった本屋さんは、2008年2月末には16,404店(アルメディア調べ)。このままでは、2034年頃にはゼロになってしまう計算です(いや、そんな単純な話じゃないけど)。
紙の本の市場も縮小傾向で、まあしょうがないといえばしょうがないんですが、しかし本屋さんの側の営業努力がいまひとつ足りないんじゃないの、というのはこのブログで何度も主張してきた通りです。嘆いてばかりいないで、もっとアイデアを出しましょう。

ということで、地方の中小書店の生き残り策として、こんなのはどうでしょうか。温泉旅館なんかと組んだ、
「読み放題プラン」
というの。
温泉街、旅館街の駅前あたりに、一軒くらい本屋さんがありますよね。その本屋さんと提携している旅館で、「伊勢エビ舟盛り付きプラン」とか「女性限定リラックスプラン」とか「ズワイガニ食べ放題プラン」とかと並んで「読み放題プラン」が用意するわけです。
ふつうの宿泊料金に千円か二千円程度プラスするだけで、滞在中はその駅前の本屋さんにある本と雑誌を読み放題。宿泊客は、旅館で渡されたパスをお店のオバチャンに提示したら、読みたいマンガや雑誌を手提げ袋にどんどん詰め込み、旅館に帰ってひと風呂浴びて、さーて、あとはだらだら寝そべりながら読みまくる……。ただし、読みたいからといって、チェックアウトまでに読めそうにない冊数を持ち出したりするのはマナー違反ですよ。
「本の読み残しはご遠慮ください」
と、本屋さんの店頭にも張り紙があります。
ちなみに、気になる本は割引価格で購入もできます。

ということにすれば、本屋さん側はたとえ一冊も本が売れなくともそれなりの収入を見込めるし、旅館側はパスの発行以外は別に何もしなくていいし、むしろこのプランを利用して最近の新刊マンガをひと通り読もうと連泊するかもしれないし、宿泊客はマンガ喫茶にもあんまりないような新刊のマンガや雑誌を料金を気にせず、しかも布団の上で寝転がりながら読めるし、いいこと尽くめなんじゃないかしら。

と思ったのだけど、しかしこんなこと始めたら、もう取次さんから配本してもらえなくなりそうね……。この案、ダメでした。
posted by 清太郎 at 00:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月28日

かわいい小説

今月号のエスクァイア誌の書評コーナーで、布施英利が、
「かわいい、は日本語の王様である。なにしろ、その意味は変幻自在。あらゆるものを評価する絶対的な言葉になりつつある。」
などといって、「かわいい」の語が持つ政治性やら何やらについて警告しています。たしかに、仏像からオジサンの笑顔まで、20年前なら考えられないようなものが「かわいい」の対象になっている昨今。しかしあらためてそういわれてふと気付いたんですが、われらが「小説」って、「かわいい/かわいくない」で評価されてないよね。
もちろん小説に出てくるキャラは、たびたび「かわいい」といわれますよ。ラノベの萌えキャラとか畠中恵の妖怪キャラとか。でも、小説作品そのもの、物語の結構や舞台設定、文体まで含めた全体の評価として、
「これは、かわいい作品だ」
などとは、あまりいわれない気がします。直木賞とかの選評で、
「実に個性的で、候補作中いちばんかわいい点を評価したい」
「人間はよく書けているが、肝心の物語がいまひとつかわいくない」
なんてコメントがついたことは、ないのではないか。
言葉と思想を生み出し時代を切り拓くはずの小説が、日本を覆い尽くさんとする「かわいい」の波に取り残されているとは、何たる失態!

ということで、どんな小説が「かわいい小説」と呼ばれるにふさわしいのか、ちょっと考えてみました。もう一度いいますが、キャラだけがかわいくても、ダメですからね。でもって、大長編小説よりは、やっぱり短編でしょう。長くても、薄めの長編程度で。
最近の若手女性作家の作品(「食堂かたつむり」とか)や川上弘美の「神様」みたいなのとか、あるいは「夜は短し歩けよ乙女」みたいなのとか、とりあえず安易に「かわいい」っぽいかもしれないけど、いや、でも何というか、「かわいい」というのはつまり、人物設定や舞台設定からストーリー、文体まですべてをひっくるめて、もうギュッと抱きしめてナデナデして頬擦りしたくなっちゃうような感じというか、たとえば‥‥。

・太宰治「満願
文庫2ページくらいの超短編で、若奥さんのキャラも、さわやかな高原の夏も、くるくる回る白いパラソルも、ちょっぴりエッチなところも、すべてがもうたまらなく愛しくて、うむ、「かわいい」といってもいいんじゃないかしら。
・バアネット作・若松賤子訳「小公子」
「かあさま、とうさまは、もう、よくなつて?」といった文体からして萌えます。
・山本周五郎「ひとごろし」
山本周五郎のこの手のユーモラスな作品って、「なにこの時代小説、チョーかわいい」と十代の女子がきゃあきゃあ言いながら読んでもいいんじゃないかと思います。
・有島武郎「碁石を呑んだ八っちゃん
いや、この手の「子ども小説」を持ちだすのはズルかも。(ただし、この作品でいちばんかわいいのは、呑み込んじゃった碁石が、その夜の「お通じ」でちゃんと出てくる、というところです。)

などと、あんまり思いつかないんだけど、でも考えてみると、「かわいい」の意味が「変幻自在」で「あらゆるものを評価する絶対的な言葉」である以上、別に「人物設定や舞台設定からストーリー、文体まですべてをひっくるめて、もうギュッと抱きしめてナデナデして頬擦りしたくなっちゃうような感じ」に限ることなく、「罪と罰」や「死の刺」や「方丈記」がそのまんま「かわいい」でも、それはそれでいい気もします。何かのひょうしに高名な作家や評論家が、
「『カラマーゾフの兄弟』って、メチャかわいい!!」
と言ったりしたら、すぐに「かわいい小説」が当たり前のものになるかもしれません。そうして、10年後くらいには、直木賞や芥川賞の候補作は「かわいい」小説ばかりが並ぶことになり、みんな「かわいい」以外にどういう言葉で小説を評価していいのかわかんなくなっていたりして。おそるべし、「かわいい」。
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2008年07月23日

ハリポタで読書感想文

夏休みなので、真面目で実用的な読書感想文ネタをひとつ。

今日はハリポタ最終巻「ハリー・ポッターと死の秘宝」発売日でした。
「予約しておいたのを朝一番にとりに行こうと思ってたのに、ど、どうして、本屋さんに入れないの‥‥!?

と、昨夜通り魔事件が起きた八王子の駅ビルの本屋さんの店頭で泣き崩れた人がいなかったか、心配ですが、多くのハリポタファンの少年少女は朝一番でゲットして、今ごろ夢中で読みふけっていることでしょう。
で、読み終えた少年少女は、素直にこう思っているのではないでしょうか。
「読書感想文は、これで書こう」
と。

しかし、本を読むことと読書感想文を書くことはまったくの別物。読みやすい本は必ずしも読書感想文を書きやすい本ではありません。これが立派なおまわりさんの物語だったりすれば、
「ぼくも大きくなったら、主人公のようなおまわりさんになりたいです」
とか何とかそういう技が使えますが、ハリポタでは、どれだけハリーが立派で素敵であろうと、
「ぼくも大きくなったら、ハリーのような魔法使いになりたいです」
と書くわけにはいかない。
ハリポタ最終巻を読んで大いに感動して号泣して心洗われた思いをしたかもしれませんが(読んでないけど、そういう内容だよね?)、それを読書感想文にしようとすると、
「ハリーがこうなってああなって、ロンがああなってこうなって‥‥」
とあらすじをだらだらつらねたうえで、
「‥‥ので、感動して涙が出ました」
と、書くくらいしかできなくて、途方に暮れることになりかねません。

では、ハリポタで読書感想文を書くには、どうすればいいのでしょう。
最も手堅い書き方は、読書感想文の鉄板技ともいうべき「自分の体験とリンクさせる」を使うことです。読書感想文は、本を読んだ感想を書くのがタテマエですが、実質的に求められているのは、個人的な体験の豊富さと、その体験を読んだ本に結び付ける連想力です。具体的には、夏休みに田舎のおばあちゃんの家に行って、そのときの体験を読書感想文に反映させる、なんていうのが簡単でしょう。
たとえば‥‥。

《「ハリー・ポッターと死の秘宝」は、ハリー・ポッターシリーズの最終巻です。第六巻「ハリー・ポッターと謎のプリンス」を読んで以来、待ちに待っていたこの本を、ぼくはワクワクドキドキしながら読み始めました。》

なんて感じで書き始めて、

《これまで謎だったことが次々と明らかになって、何度もハッとさせられました。とくに○○が実は○○だったなんて、本当にびっくり。読みながら思わず「エーッ!」と声をあげてしまったので、お母さんが、
「どうしたの、何があったの、タケオ」
とわざわざ台所からのぞきに来たくらいです。
 そして、ハリーが○○してしまった場面。どうなっちゃうんだろう、とハラハラしました。ロンは○○だし、ハーマイオニーは○○だし‥‥。ふるえる手でページをめくりました。でも最後、○○が○○で、○○になったところを読んだときには、涙があふれて止まりませんでした。今、この感想文を書きながら、その場面を思い返すだけでも、目頭が熱くなります。》

と、ざっとストーリーを紹介しましょう。ただし、「○○が○○して、次に○○が○○して‥‥」と、単純に出来事を並べることは避けましょうね。ずるずるとした、しまりのない印象になります。「ハッとした」とか「びっくりした」とか、その程度でいいですから、自分の感想を間に挟んでおきましょう。
以上、あらすじ紹介が感想文の前半です。ここまでで原稿用紙1枚〜1枚半くらい、埋めておきましょう。
次は後半。自分の体験を述べる部分です。「体験」としてふさわしいのは、夏休み中にあった、ちょっといい話、です。たとえば‥‥。

《この「ハリー・ポッターと死の秘宝」を、ぼくは山形のおばあちゃんのうちで読みました。おばあちゃんのうちは、すぐ裏に森があって、魚がたくさんいる川も近くて、自然がいっぱいです。でも、三才年上のいとこのタカシくんがいて、いつもぼくに無理やり命令したりしていじめるので、本当はあんまり行きたくない場所です。だからこの夏は「ハリー・ポッターと死の秘宝」を持っていって、タカシくんのいないところで読んで過ごそう、と思っていました。
 そうして、家の奥の仏間で、たたみの上に寝転がりながら、「ハリー・ポッターと死の秘宝」を読んでいると、
「コラッ」
と、いきなり頭をたたかれました。本にむちゅうになって気付かなかったのですが、見上げるとタカシくんが、こわい顔をしてぼくをにらんでいます。ぼくは、「見付かった、またいじめられる」とすくみ上がりました。でもタカシくんはそれ以上ぼくをたたかずに、かわりに仏だんを指さして言いました。
「ほとけさまに足を向けて寝転がるんじゃない」
仏だんには、ぼくがようちえんのときに死んだおじいちゃんの位はいが入っています。タカシくんは、仏だんに向かって正座して手を合わせると、
「おじいちゃん、タケオがぶれいなことをして、ごめんなさい」
と、ちょこんと頭を下げました。そしてぼくをにらんで、
「こら、タケオ、おまえもあやまりなさい」
と命令しました。
 後でこのことをお母さんに話すと、お母さんは、
「タカシくんは、おじいちゃんによくなついていたからね。今でもおじいちゃんのことを大事にしてるんだと思うよ」
と言いました。それを聞いたぼくは、いつもいじわるなタカシくんのことを、少しだけそんけいする気分になりました。》

と、こうした体験話だけでは読書感想文になりませんから、最後に、これを読んだ本にリンクさせましょう。

《「ハリー・ポッターと死の秘宝」でも、これまでハリーがにくんでいた○○が実は○○だということがわかって、意外に感じる場面がありました。今まで○○と思っていたことは、○○で○○だったのです。人間の本当のすがたは、一面から見ているだけでは、わからないものだなあ、とつくづく思いました。
 後になってこの場面を読んだとき、ぼくは、タカシくんが仏間で見せた顔を思い出さずにはいられませんでした。そして、ふと気付きました。タカシくんはぼくに命令してばかりいる、と思っていたのですが、本当は、れいぎを知らないぼくにいろいろ教えてくれていたのではないか、と。言葉がらんぼうだからこわいけれど、実は三つ年下のぼくのことを気づかってくれているのかもしれません。タカシくん、ありがとう、とぼくは心の中でタカシくんにおれいを言いました。こんどからはタカシくんの言葉に、もっとよく耳をかたむけてみます。
 さまざまなピンチを乗りこえて成長していったハリーとは比べものにならないけれど、この夏、ぼくも少しだけ成長した気がします。》

「ぼくには田舎のおばあちゃんなんていないよー。三才年上のいとこもいないよー」
というあなたも、だいじょうぶ。「個人的な体験の豊富さ」は、「個人的な体験を捏造できる豊富な想像力、およびそれを感想文に書いて提出できるだけの図太さ」で代替できます。てきとうに親戚と体験話をでっち上げて、ハリポタのエピソードとくっつけてみるといいでしょう。

ちなみに、あなたが腐女子である場合は、「ダンブルドアがゲイだった」という裏設定もあることだし、思いっきりBLな感想文にして、「ハリーとロンはなぜくっつかなかったのか」などを大いに論じてみるのもいいかもしれません。(読んでないからいいかげんなことを書いてますが、ハリーとロンって本当にくっついていないよね? もしかして、「あの結末なら、ハリーとロンはその後くっついたと読めなくもない」ということだったら、そこに焦点を当てて二人の愛の生活を想像してみるのもひとつの手です。)
posted by 清太郎 at 23:29| Comment(16) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

腐女子のための読書感想文の書き方

昨日の日経新聞夕刊に、
「小学生も感想文 コピペ
 ネット丸写し横行 悩める教育界」
なんて記事が載ってました。
そのコピペ元を提供している立場の私としましては、そうやって小学生のモラル低下を問題視するよりも、いいかげんそろそろ読書感想文そのものの意義を再検討したほうがいいんじゃないの、と思ってるわけですが、まあそんなわけで、読書感想文のシーズンがやってきました。今年は本家サイトも更新したいなあ‥‥。

ともあれ、それはそれとして今日は、読書感想文に悩むあなたへの支援ネタ。ただし腐女子限定です。

ほとんどの生徒(そしてたぶん多くの教師)が誤解しているような、たとえば自分の経験をふまえながら登場人物の気持ちを慮る、といったようなことを書くだけが読書感想文ではありません。なにしろ「感想文」なのです。自分の思ったことを好きなように書くのがタテマエのはず。であるならば、自分にとって書きやすいことを書きやすいネタで書いたほうが、ストレスがない、というものです。
となると、腐女子であるあなたは、読書感想文であっても、迷わずに腐女子ネタで勝負するべきなのです。では、どのように書けばいいのか、以下で解説していきましょう。

(1)冒頭〜腐女子を話題にする〜

腐女子ネタで読書感想文を書くのですから、とりあえず腐女子の定義を明確にしておくことから始めましょう。読み手である真面目な国語の先生は、流行の腐女子という言葉を知らないかもしれません。相手が知らないかもしれないものを書くときは、まずそれについて説明しておく。それが文章の作法というものです。
腐女子の定義については、自分が考えていることを書いてもいいし、あるいはネット上にいくらでも見つけられますから、参考にするのもいいでしょう。
たとえば‥‥

《今、「腐女子」が注目されている。
 腐女子とは、男性同士の恋愛を扱った小説や漫画を好む趣味を持った女性のことだ。ウィキペディアによると、ある女性がホモセクシャルな要素を含まない作品の男性キャラクターを同性愛的視点で捉えてしまう自らの思考や発想を、自嘲的に「腐っているから」と称したことから生まれたそうである。》

わずかこれだけで155字。タイトルを含めれば、原稿用紙の半分があっという間に埋まります。

(2)腐女子カミングアウト

次に、自分が腐女子であることを告白しましょう。クラスの友達に知られるのは恥ずかしいかもしれませんが、所詮授業中しか付き合いのない先生に告白したところで、どうってことはありません。(先生に片思いしているあなたには、おすすめできませんが。)
たとえば‥‥

《何を隠そう、私はその腐女子である。この若さにして、これほど腐っているのはどうか、とわれながら恐ろしいほどの、腐女子である。》

ライトな腐女子を装うよりも、ここは覚悟を決めて、なるべくオーバーに粉飾したほうが、読み手の興味を喚起することにもつながります。
ちなみに、この時点で、読書感想文コンクールなどで評価されることをあきらめねばなりません。

(3)腐女子遍歴を吐露

腐女子である、と宣言するだけでは、あまり文字数が稼げません。また、読み手にもピンとこないかもしれません。自分が腐女子となったそもそものいきさつや、腐女子的に好きな作品、現在ハマってる作品などを挙げてみましょう。もちろん、小説にこだわる必要はありません。マンガやアニメなど、自分が愛好している作品について、正直に書きましょう。
ただし、読み手である先生は、それらの作品のことを、ほとんど知らないかもしれません。最低限の説明を加えておくことも心がけましょう。
たとえば‥‥

《私が腐女子になったきっかけは、少年ジャンプ連載のマンガ「ナルト」にある。主人公である少年のナルトとライバルのサスケ。互いに反目し、戦いながらも、絆を深めていくふたりの姿に、いつしかあやしいときめきを覚えるようになってしまったのだ。
 その後、同じジャンプ連載の「ワンピース」「銀魂」、アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」などを経て、目下いちばん萌えているのが、やはりジャンプ連載の「家庭教師ヒットマンREBORN!」だ。雲雀恭弥と六道骸、このふたりの顔を思い浮かべるだけで、もう次から次へとよこしまなシーンがあふれ出てきてしまう。》

ちなみに、
「この腐女子遍歴で原稿用紙10枚かけるかも!」
という猛者がいるかもしれませんが、残念ながらこれは読書感想文です。原稿用紙半分程度におさめておきましょう。

(4)ようやく本題に入る

以上が前置きです。前置きだけで原稿用紙1枚分は埋まったでしょうか。
ここではじめて、読書感想文の題材に選んだ本を提示します。そして、その作品が腐女子的に気に入ったことを述べるのです。
たとえば‥‥

《そんな私がこの夏読んだのが、太宰治「走れメロス」である。
 一般的には、勇気や友情のすばらしさを歌い上げる名編として知られているこの作品。あの太宰治の作品とあって、おそるおそる読み始めたのだが、思わず、夢中になってしまった。私の心の奥底に脈打つどす黒い腐女子魂が、思いっきり揺さぶられたのである。》

ここではわかりやすいように「走れメロス」を例とします。作品の一般的なテーマについては、文庫の裏表紙に載っているあらすじなどが参考になるでしょう。

(5)作品を腐女子的に語る

さて、ここからが、あなたの腐女子としての力量の見せどころです。ふだん好きな作品について思っていること、ブログなどに書いていることそのままのノリで、
「○○の△△のシーンが、◎◎で××なの〜! ハアハア」
といったことを、やや格式ばった表現で文字にするのです。
「といわれても、エーッ、どうやって書けばいいの‥‥?」
というあなたは、とりあえず最初に萌えるシーンを挙げて、若干の引用とともに、そのどこがどのように腐女子的に萌えたのか、解説してみましょう。
たとえば‥‥

《そう、主人公メロスと、彼の「無二の友人」であるセリヌンティウス。このふたりの関係が、もう悶えるほどに妖しい。魅力的なのだ。
 まず、セリヌンティウスがはじめて登場する場面からして、たまらない。セリヌンティウスに会ったメロスは、彼を自分の身代わりとして立てた事情を語る。そのとき、セリヌンティウスはどうしたか。
「無言で首肯き、メロスをひしと抱きしめた。」
である。「無言で、ひし」。ああ‥‥。寡黙で篤実なセリヌンティウスの、メロスへの熱い想いが、ここに凝縮している。君のためなら僕は何だってする、どんな困難にも耐え忍ぶよ、だって、だって僕は君の事を‥‥。そんな健気で、ちょっとMっぽい愛情が、ありありと伝わってくるではないか。》

同様に萌えるシーンを1〜3箇所程度、最後にもっとも強烈に気に入った萌えシーンについて、この調子で書いてみましょう。原稿用紙の1枚や2枚は、あっという間に埋められるのではないでしょうか。

(6)カップリングの攻め受けを逆転させる

上の(5)のみで最後まで突っ走るのも、小学生の読書感想文ならば、いいでしょう。しかし、あなたが中学生あるいは高校生であるのなら、これではあまりに単純すぎて、芸がありません。
ここで、ひとひねりしてみてはどうでしょうか。起承転結の「転」の部分です。ひねりを加えることで、感想文が俄然、理知的に見えてきます。
では、どうすれば理知的になるのでしょうか。私がおすすめする手法は、
「逆カップリングを想定する」
というものです。これまで(5)で熱く語ってきたカップリングの攻め受けが逆転する可能性を、あえて考えてみる。そのうえで、その逆カップリングに対して否定的な検討を加えてみるのです。
たとえば‥‥

《ところで、以上、これまで私はこの作品を、メロスを「攻め」の立場、セリヌンティウスを「受け」の立場として読み解いてきた。腐女子的にいえば「メロセリ」である。
 しかし、ここで一度立ち止まって考えてみよう。メロセリではなくて「セリメロ」でもいいのではないか、セリヌンティウスが「攻め」、メロスが「受け」というのもありなのではないか、と。
 たとえば最後の場面、「私を殴れ」と最初に言ったのは、メロスのほうだ。「受け」であるメロスが、「攻め」のセリヌンティウスに、まず自分から「受け」らしく許しを請うたのだと、読めなくもない。また、小説の結末、「メロス、君は、まっぱだかじゃないか」と、セリヌンティウスがメロスに全裸であることを指摘して赤面させるところも、Sっ気のある攻めが受けに対して見せそうな態度だ。
 だが、メロセリ派として、私は強く主張したい。これらの場面も、あくまでメロスが「攻め」、セリヌンティウスが「受け」として、お互いの愛情を表現しているのである、と。
 どういうことなのか。まず、互いに殴りあうシーン、メロスは自分が先に殴られることで「受け」を表明したのではない。むしろ、「私を殴れ」と率先して宣言し、イニシアティブをとった、というべきであろう。彼が自分を殴るよう先に申し出なければ、この感動的なシーンは実現しなかった。メロスは、何事も積極果敢に行う攻めの人として、セリヌンティウスとの関係を常にリードしているのだ。
 そして最後のシーン、そんなメロスをからかい、辱めるようなことを口にするセリヌンティウスは、後で(たとえばその夜)、メロスから、
「衆目の前で、よくもあんなことを言ってくれたな、こいつめ、こいつめ!」
などと激しく責められることを期待したのではないか。先に私はセリヌンティウスについて、その愛情の健気さ、まっすぐさに感動したけれど、むしろ彼は腐女子的にいえば「誘い受け」、あるいはもしかしたら「ツンデレ受け」といった、ひと癖もふた癖もある深みのあるキャラクターなのかもしれない。この点は、あらためて検討すべき点として、今後の課題としたい。》

ここにいたって、もしかすると読み手の先生は、
「この感想文は、アホの子の腐女子が書いたものではなく、知的な腐女子が書いたものであるのか」
と、感想文を、そして書き手であるあなたのことを見直すかもしれません。(もちろん、アホの子の腐女子ではなく、知的な腐女子と思われたからといって、成績には何のプラスにもなりませんが。あるいは逆に、「この子はもう救いようがない‥‥」と見放される可能性も大いにありますが、だからといって成績がマイナスになることもないでしょう。)

(7)結論

多くのものごとがそうであるように、読書感想文も、結論が大切です。いや、むしろ読書感想文においてこそ、結論のいかんに左右されやすいといってもいいでしょう。一見したところもっともな、まともらしいことを最後に述べるだけで、それまでの中身のくだらなさが魔法のように打ち消されてしまうことが、多々あるのです。
ここでは、以下のような感じにまとめてみるのがおすすめです。

《「走れメロス」が発表されたのは昭和15年。太平洋戦争直前である。
 そのころ、もちろん腐女子などという言葉はない。男性同士の恋愛というものすら、ほとんど人目にふれることのなかった時代だ。作者の太宰治は、この作品が後の世に、こんな読まれ方をするとは、想像すらしなかったに違いない。
 だが、2008年の今、この作品に触れた私は、一腐女子として、物語の設定に、展開に、登場人物の振る舞いに、新鮮な感動を覚え、心を奪われた。腐女子魂が震えたのだ。
 発表されて約80年の時を経て、なお色褪せることがない「走れメロス」。むしろ、21世紀の先端を行く、腐女子的な読みに照射され、いっそう光り輝いているかのようだ。これが文学の力、そして名作の持つ懐の深さというものなのかもしれない。》


いかがでしょうか。これなら読書感想文、書けそうではありませんか。
求められる文章量に応じて、たとえば(3)の腐女子遍歴をカットする、(5)の萌えシーンの例を増減するなどして、調節してみてください。

では、最後にひとつ、大切なことをいっておきましょう。感想文の題材として選ぶ本は、コバルト文庫や講談社X文庫ホワイトハートのBL作品、あるいは角川ルビー文庫をはじめ、BLとして書かれた作品ではないものを選んでみてください。できれば、上で例として使った「走れメロス」のような、発表されてから何十年も経つ、いわゆる文学作品を。
もちろん、無理に、とはいいません。けれど、あなたたちは、若い。大きな可能性を秘めているのです。そんな若いあなたが、腐女子向けに書かれたBL作品にのみとらわれている必要はない、と私は思うのです。
あえてBL以外の世界に目を向け、そしてそこにカップリングを見出す。それが若い腐女子であるあなたにとって、マイナスになろうはずがありません。むしろ、文学作品を腐女子的に読解する、というその経験を通して、読書感想文などという厄介なものが、あなたが腐女子として大きく成長する、ステップアップする素敵なきっかけになるかもしれないのです。それが、腐女子であるあなたに、過去の文学作品を強くおすすめする理由です。

文学作品といっても何を読んだらいいのかわからない、というあなたには、たとえば以下のような作品はいかがでしょうか。(カッコ内はカップリングの例)

・夏目漱石「こころ」(私×先生)
・夏目漱石「吾輩は猫である」(苦沙弥先生×迷亭)
・宮澤賢治「銀河鉄道の夜」(カンパネルラ×ジョバンニ)
・井伏鱒二「山椒魚」(山椒魚×蛙)
・芥川龍之介「蜘蛛の糸」(御釈迦様×カンダタ)
・志賀直哉「清兵衛と瓢箪」(清兵衛×瓢箪)

posted by 清太郎 at 12:35| Comment(26) | TrackBack(2) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

「伊豆の踊子〜広瀬康一の奇妙な冒険」

すっかり話題に乗り遅れてしまったのですが、今年の集英社文庫「夏の一冊 ナツイチフェア」で、荒木飛呂彦が手がける「伊豆の踊子」の表紙があちこちで熱烈に歓迎(?)されてますね。本が好きで好きでたまらない、もうダメ、という人のためのブログでこの話題を取り上げないのは、体面上ちょっとどうかという気もするので、今さらながら、これをネタに。

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舞い散る桜の花びらの下でジョジョっぽく踊る娘の姿。そこから想像できるのは、以下のような物語です。

杜王町からはるばる伊豆の温泉へと一人旅にやって来た広瀬康一。
なぜ温泉へ一人旅かって? おっと、その理由は聞かないでほしい。男の子には、ひとりで旅に出たくなる時があるものだ。
伊豆に到着した康一は、旅芸人の一座と出会う。そのとき、ふと何かが康一の頬にふれた。
エッ、何? 思わず頬に手をやると、そこには、桜の花びら。いつの間にか康一は、はらはらと舞い落ちる桜の花びらに取り巻かれていたのだ!
おかしいッ! 見回しても、桜の木はどこにも見えない! この花びらは、どこから降ってくるんだろう‥‥。
いや、それよりも!
ドドドドドド‥‥。
周りのみんなは、この花びらに‥‥、
ドドドドドドド‥‥。
気づいていないッ! もしや、これは‥‥、
ゴゴゴゴゴ‥‥。
ス、スタンドッ! 旅芸人の一座の中に、スタンド使いがいるッ!
不審に思った康一は、しばらく彼らと一緒に旅をすることに決めた。いや、不審な気持ち以上に、一座の中にいた娘、《古風の不思議な形に大きく髪を結って》いる、《卵形の凛々しい顔》の娘に惹かれたわけなのだが‥‥。

しかし、共に旅をしているうちに、その彼女こそがスタンド使いなのでは、と康一は疑惑を深めていく。
いったい何が狙いなのか。どんなスタンドなのか。自らの「エコーズ」で動向を探ろうとするも、待てよッ、もしボクがスタンド使いだと知らないとしたら、ここでバレるのは、ヤバイッ! ああッ、でも、あんなカワイイ子が、何のために、どうして、スタンドを‥‥!?
悶々として、眠れぬ夜を過ごす康一であった。

そしてあくる日。一座の中の男と連れ立って、川沿いの男湯に向かう康一。
《向こうのお湯にあいつらが来ています。ほれ、こちらを見つけたと見えて笑っていやがる。》
と、男が指差すところを見ると、川向こうの女湯。そのとき‥‥!
《ほの暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな格好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。》
すると‥‥。
ゴゴゴゴゴ‥‥。
にわかに、空から‥‥。
ゴゴゴゴゴゴ‥‥。
無数の花びらが降り注ぐッ!
そして、
ズキュウウゥン‥‥!
康一は悟った! 
《子供なんだ。》
彼女は、自分がスタンド使いであることすらまだ知らない、子供なんだ‥‥。
踊子の《若桐のように足のよく伸びた白い裸身》を眺めながら、康一は《心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った》。

だが、しかし‥‥!

ということで、彼女のスタンド。
スタンド名:イージーダンサー
破壊力:?
スピード:C
射程距離:A
持続力:A
精密動作性:E
成長性:?
能力:桜の花びらを降らせるスタンド。はじめは何の役にも立たないように見えたが、康一のスタンド「エコーズ」のように脱皮して‥‥!!

‥‥といった感じのオマケマンガ「広瀬康一の奇妙な冒険」を巻末に付ければ、爆発的に売れると思います。
表紙だけじゃなく、もう一歩進んだコラボレーションを期待しています。
posted by 清太郎 at 18:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

ドストエフスキー丼

カフェなんだけどミッチリ本が詰まった本棚があって、自由に本が読める。あるいは、本屋さんの中にカフェが併設されていて、コーヒーを飲みながら本を選べる。カフェと本屋さんがミックスした、ブックカフェが増えています。本屋さんばかりか、最近は、カフェを併設した図書館もあるそうです。

ただ残念なのは、こうしたお店のメニューです。コーヒーやケーキ、カレーライス、ちょっとこじゃれたパスタやサンドウィッチ、それにアルコール‥‥、と一般のカフェと同じようなものばかり。これでは、本がなければ、ただのカフェです。
本屋さん、あるいは図書館であることに、もっとこだわった、
「本屋さんならでは!」
「図書館にあるカフェだからこそ!」
といった気概にあふれたメニューがあっても、いいのではないでしょうか。本好きが食べたくなるような、本好きが聞いたら居ても立ってもいられなくなるような、本読み心を大いに刺激するような、そんなメニューを開発してもいいのではないか。
ということで、実際に、どんな料理があればいいのか、考えてみました。全国のブックカフェの店主さんは、ぜひとも参考になさってください。

ドストエフスキー丼
「ドストエフスキー」であり、なおかつ「丼もの」である、というこの圧倒的なボリューム感と風格は、牛丼や天丼など足元にも及びません。なんと頼もしいことか。
「ドストエフスキー丼、はじめました」
なんて張り紙があったら、それだけで、おなかを空かせた本好きが、するするとお店に吸い込まれていくことでしょう。
そうして常連客は勢いよく、
「ドス丼、大盛り、ツユダクで」
などと注文するのです。

カラマーゾフ丼
こちらもドストエフスキー丼にひけをとらないボリュームが魅力。カラマーゾフの三兄弟に見立てた、肉と魚介と野菜の三色丼です。ごはんを掘り進むと、中にもう一層、スメルジャコフにちなんだ、ちりめんじゃこと麩が敷いてあります。
こちらも常連になったら、
「カラ丼、アリョーシャ抜き、ミーチャダクで」
なんて感じにカスタマイズしましょう。

細雪丼
女性におすすめの四色丼。関西風の上品な味付けです。

魍魎の丼
ふたを開けると、みっしり詰まってます。

ほかに「静かなる丼」なんてのもおすすめですが、丼物ばかりじゃカフェにならないので、もうちょっとカフェっぽいメニューも。

ジョルジュサンド
ジョルジュ・サンド「愛の妖精」をイメージして、ラズベリーとブルーベリーのジャムサンド。

赤と黒のパスタ
真っ黒なイカ墨パスタの上に、真っ赤なトマトソースをたっぷり。スタンダール直伝の情熱の味です(たぶん)。

日替わり富士日記定食
武田百合子の「富士日記」にあるメニューを、その日の日記のコピーとともに。たとえば、おじや、コンビーフ、白菜朝鮮漬風、トマトと玉ねぎサラダ。これは昭和42年7月20日(水)、ポコが死んだ日の昼ごはん。注文した人は、日記読んで涙を流しながら食べます。

菜の花の沖のパスタ
菜の花とホタルイカを和えた、春らしいメニュー。男らしく勇壮に盛り付けました。

芥川龍之介定食
芋粥と河童巻きに、海の色の残る目刺し、馬の脚肉、蜜柑。素朴な食材を使いながら、繊細な味付けで仕上げました。

山椒魚のグラタンパイ
岩屋のようにふくらんだパイ生地をパリパリと崩すと、中にはトロ〜リとしたアツアツのグラタン。国産のサンショウウオとカエルの肉入りです。

坊っちゃんラーメン
味は松山風。見た目はちょっと不浄な感じ。「全部入り」を注文すると、イナゴも入れてくれます。

いかがでしょうか。
せっかくですから、眼鏡で白いブラウスにエプロンで髪を後ろでまとめた清潔な感じの司書さんがウェイトレスをしていたりすると、もっといいと思います。
posted by 清太郎 at 23:23| Comment(14) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

アニメ「高等遊民ソーセキファイブ」第20話

※前々回・前回が好評でしたので、もう1回だけ、同趣のネタです(今回は文字主体にしましたが)。
※以下を読む前に、以前書いたこちらをご覧ください。→「高等遊民ソーセキファイブ 第2回



《前回のあらすじ》

百年の眠りから目覚め、世界の赤裸々化をたくらむ悪の秘密文芸組織リアール。その幹部たちが南の島へ研修旅行に出かけるとの情報をキャッチしたわれらがソーセキファイブは、巨大ロボ・ダイブンゴーを駆って強襲作戦を決行した。だが、あと一歩というところで、無鉄砲なボッチャンレッドの不用意なひと言がもとで、作戦失敗。夜の荒海に投げ出されたサンシローブルーとココロピンクは行方不明になってしまう‥‥!

《第20話「無人島で道草 前編」》

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ということで、待ってました、お約束の無人島シチュwwwww

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照りつける太陽の下、ふと目を覚ましたココロピンクこと桃瀬小虎郎(ももせ・こころう)は、自分が浜辺に打ち上げられていることに気づく。
「はっ、みんなは!? ブルーは!?」
あたりを見回すも、もちろん、返事をする者はない。ただ、波の音、風の音が聞こえるばかりだ。
「どうしよう‥‥、ここ、どこかなあ‥‥」
悄然として、立ち上がる小虎郎。みんなはどうなったのだろう。一緒に投げ出されたブルーは生きているのか。助けは来るのか。それに、この強烈な紫外線。お肌が焼けちゃう‥‥。

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「あーあ、どうしてこんな戦隊に、入っちゃったのかな、僕」
入隊を後悔するのは、もう何度目だろうか。
だが、あのときは、ほかに選択肢がなかったのだ。マンションの大家さんのひとり息子・静也へのひそかな、そして許されない想い。悩み苦しんだ挙げ句、打ち明けた親友の浅生からは、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と厳しい言葉を投げつけられる。だが、その忠告にしたがって、静也への想いを断ち切ろうとしたまさにその夜、浅生と静也が激しく抱きあっているのを目撃してしまったのだ‥‥。

愛を失い、友に裏切られた小虎郎は、投げやりな気分で、ソーセキファイブの隊員募集に応募したのだった。(詳細は第4話「愛と裏切りのココロピンク」参照。ちなみに、女の子のつもりで採用した小虎郎が実は男子だったことが判明して大騒動になるのは第13話「ユメジューヤパープルの失恋」。おかげで、ココロピンクのコスチュームはいまだにミニスカートだ。)

なかば涙目になりながら、とぼとぼと歩く小虎郎。と、岩陰を回ったところで、
「あっ」
何者かにバッタリとぶつかり、尻もちをついてしまう。
「何だっ! おっ、お前は!」
どこかで聞いたことのある声に驚いた小虎郎。
「‥‥ココロピンクッ!」
自分の名を呼ばれ、小虎郎は痛みに顔をしかめながら、相手を見上げる、と‥‥。
ああっ‥‥!
戦慄が体を駆け抜ける。その姿は、まぎれもない、悪の組織リアール幹部。そして手に抱えられたまがまがしいマスクは、‥‥傲慢元帥イワノフのものではないか!
だが、小虎郎の驚きは、そのためではなかった。仮面を脱いだイワノフのその素顔が、静也に、かつてひそかな想いを寄せたあの静也に瓜二つだったのだ!

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し、静也‥‥、イワノフが、静也‥‥? いや、違う、そっくりではあるけれど、この男の方が、目つきが猛々しく、逞しい印象だ。でも、でも、ああ、なんてこと‥‥、いつも戦っている相手、あの残忍な傲慢将軍が、こんな顔の持ち主だったなんて‥‥。
驚愕と混乱のあまり、目を見開いたまま呆然としている小虎郎を、イワノフも鋭いまなざしでじっと見つめる。そうして、どれほど経っただろうか。静也そっくりのその顔が、ふと表情をやわらげた。
「ふっ、そのようすでは、どうやらお前もこの島に流れ着いたらしいな。いい機会だ、成敗してくれよう、と言いたいところだが、まあこんなところで戦ってもしかたがない。戦闘は一時おあずけにしねえか」
敵幹部の意外な申し出に、小虎郎は、ただ首を振ってうなずく。
「おう、お前、なかなか話がわかるじゃねえか。どうだ、ほかに誰かいねえか、探してみないか」
そう言って、思いのほか人懐っこい笑みを浮かべると、イワノフは、へたり込んだままの小虎郎に手を差し伸べる。
そ、そんな笑顔をされると、僕、僕‥‥。いや、ダメだ、小虎郎、この人は、静也じゃない、敵なんだ、悪の幹部イワノフなんだ、でも、でも‥‥。頬を染めながら、小虎郎は視線をそらすのだった。

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「それにしても本当にまいったぜ。お前らがあんなことしなければ、今ごろ、南の島でバカンスだったのになあ、ハハハ」
連れ立って歩きながら、しきりに話しかけてくるイワノフ。戦場にあっては、悪の秘密文芸組織リアール幹部陣の中でも最も凶悪にして勇猛な彼であるが、プライベートにおいては案外気さくで爽やかな男なのだった。
そうしてしばらく歩き回っているうちに、クルルルル、と小虎郎のおなかが鳴る。思わず赤面する小虎郎。イワノフは笑顔で、
「ちょうど俺も腹へってたんだ。ひともぐりして、魚でも獲ってこようぜ」
言うや、その場でするすると装束を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になると、ざんぶと海に飛び込んだ。
「おい、お前も早く、服脱いで、こっち来いよ」
「でも、僕、僕‥‥」
鍛え上げた精悍な肉体を誇示するかのように、水面から身を躍りだして、手を振るイワノフ。それを目にして、思わず頬を染める小虎郎。そんな、裸だなんて、僕、僕、ダメだよ、やだ、だって、だって‥‥。
「何やってるんだよぉ、気持ちいいぜ。あっ、それとも、もしかして、お前‥‥」
「えっ、違うよ、僕、あの、そんな僕、あの、あの」
「カナヅチなのか? しょうがねぇなあ」
ニカッと笑って海にもぐったイワノフは、しばらくして水面に顔を出し、どうやって捕らえたのか、びちびちと跳ねる大きな魚を高々とかかげるのだった。

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やがて、夜。焚き火のそばで、しばらく語らった後、「ふぁー、眠い、先に寝るぜ」と、コロンと横になったイワノフは、じきに寝息を立て始める。焚き火に照らされるイワノフの寝顔をちらちらと見やる小虎郎。その安らかな表情は、無邪気な静也を思い出させずにはいられない。

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なんて無防備なんだ、イワノフ、僕はキミの敵なんだよ、ソーセキファイブなんだ。なのに、キミときたら‥‥。悪の幹部のくせに、僕を信頼しているのかい、それとも、もしかしたら、僕のことを誘って‥‥。いや、まさか、ありえない、ダメだ、小虎郎、そんなこと考えちゃ、ダメだ‥‥。でも、昼間の、あの裸身‥‥。あーっ、いけない、小虎郎、そんなこと考えちゃダメだ、ああ、でも、でも‥‥。
翌朝、パラパラというプロペラ音とともに、
「おぉい、ココロー、無事だったかー」
とボッチャンレッドが救助に現れたとき、目の下に隈をつくった小虎郎の胸をよぎったのは、安心と失望が交じり合った複雑な感情だった。

そして、このときから、ココロピンクこと桃瀬小虎郎の苦悩の日々が始まるのだ‥‥。

《次回「無人島で道草 後編」予告》

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ちょうど同じころ、島の反対側にはサンシローブルーこと青川三四郎が流れ着いていた。水の音をたよりに密林に踏み入った彼を待っていたのは、死の女教師カタイヤとの運命的な再会であった‥‥!



※以上の画像は、2006年10月〜2007年3月に放映されたアニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ」からピックアップ(一部加工)しました。
posted by 清太郎 at 22:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月06日

アニメ「墓地やん」第1話

4月から始まったアニメ新番組の中でも、あんまり話題になってないらしい「墓地やん」。なかなか見る時間がなくて録画がたまるばかりだったのですが、先日ようやく第1話「墓地やん、襲来」を視聴したので、感想をアップします。

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まずは有名な冒頭シーン。「墓地やん」といえば、これ抜きには語れませんよね。

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「親譲りの鉄砲で小供の時から産婆狩りしている」墓地やんは、

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同級生に冗談で「いくら居張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい」と囃されて、

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撃ち殺します。

親類のものから西洋製のナイフを貰って、

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友達に見せたら、「光る事は光るが切れそうもない」と云うので、

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斬り殺します。

質屋の倅の勘太郎が栗を盗みにきたら、

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やっぱり撃ち殺します。

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そのほか、茂作の小作人を皆殺しにして井戸に投げ入れたり、

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いたずらや乱暴をずいぶんやらかす。町内では、乱暴者の悪太郎と呼ばれて爪弾き者です。
こんな乱暴者の墓地やんは、うちでは怒られてばかりです。とくに、「やに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好き」な兄とは犬猿の仲。

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母をぶち殺したとき、兄が、「親不孝だ、お前のために、おっかさんが早く死んだんだ」というので(まさにその通りなんですが)、口惜しい坊っちゃん、兄の横っ面を張って、やっぱり叱られます。

そんな墓地やんをたったひとりかわいがってくれたのが、下女の清(きよ)でした。

09清.jpg

って、何、この清wwwwwww
清だけは墓地やんのことを「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」といつも褒めてくれます。小遣いで銃弾や手榴弾を買ってくれたり、枕元へサバイバルナイフを持ってきてくれたり、お金を三円ばかり貸してくれたり。そのお金を入れた蝦蟇口を血溜まりに落としたら、頼んでもいないのに拾ってきてくれたのも、清でした。

10清のいろいろ.jpg

父の死後(もちろん墓地やんが殺したのですが)、

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兄は道具屋を呼んで、先祖代々のガラクタを二束三文に売り払い、家屋敷は金満家に譲ってしまう。墓地やんは、四畳半の安下宿に住むことに。狭い部屋ですが、下女の清も一緒です(あれ? 小説では、清は甥の元に引き取られるんだけど。ま、一緒の方が萌えるし、いいか)。

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その後、九州へ転勤することになった兄が、墓地やんの下宿へ来て、「これを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい」と、六百円の金を出す。墓地やんが疑るような目を向けると、「べ、べつに、お前のこと、心配してるわけじゃないからねっ」。

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ここに来て、いきなり兄ツンデレ開眼!!!!!
ただの嫌な兄ですが、こうしてアニメになると、けっこう素敵キャラかも。これ以降、登場しないのが残念です(アニメだと、また出てくるのかな?)。

その六百円を学資にして勉強することにした墓地やんですが、「物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていた」ので、物理学校に侵入し、生徒と教師全員を、

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皆殺しにします。
さすがに、もう東京にはいられない。親譲りの鉄砲を片手に四国へ高飛びすることにしました。

そして、四国へと旅立つ日、清との別れです。列車に乗り込もうとする墓地やんに、もの問いたげな瞳を向ける清。その彼女に向かって、墓地やんは云います。
「俺が殺してやるまで、死ぬんじゃねえぞ」
小説では、家族愛の発露だったこのセリフですが、アニメのこの設定では、きゃーん、思いっきり、愛の告白wwwwww(///∇///)
そして、プラットフォームに残されて、群衆の中、ひとりたたずむ清。ここで、墓地やんのモノローグ。
「汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた」。

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墓地やん、渋すぎです。これぞハードボイルドwwwwwww

次回、第2話「四国、上陸」。墓地やんの行くところ、必ず血の雨が降ります。

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予告編に出てきたこの娘は、マドンナでしょうか。早く続き見なきゃwww




※以上の画像は、2007年7〜11月に放映されたアニメ「バッカーノ!」からピックアップしました。
posted by 清太郎 at 09:18| Comment(7) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

アニメ「坊っちゃん」第1話

4月から始まったアニメ新番組の中でも、あんまり話題になってないらしい「坊っちゃん」。なかなか見る時間がなくて録画がたまるばかりだったのですが、先日ようやく第1話「清、バイバイ」を視聴したので、感想をアップします。

タイトル小サイズ.gif

まずは有名な冒頭シーン。「坊っちゃん」といえば、これ抜きには語れませんよね。「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」坊っちゃんは、同級生に冗談で「いくら居張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい」と囃されて、校舎の二階から飛び降りちゃう。
うーむ、さすが、冒頭だけに、力が入ってます。もう10回くらい再生しちゃいました。

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そのほか、勘太郎をやっつけたり、茂作の人参畠を荒らしたり、井戸を埋めたり、いたずらや乱暴をずいぶんやらかす。町内では、乱暴者の悪太郎と呼ばれて爪弾き者です。

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アニメだから、誇張するのはいいけど、ちょwwwwww
爆発ってwwwwww
ともあれ、こんな乱暴者の坊っちゃんは、うちでは怒られてばかりです。とくに、「やに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好き」な兄とは犬猿の仲。

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母が死んだとき兄が、「親不孝だ、お前のために、おっかさんが早く死んだんだ」というので、口惜しい坊っちゃん、兄の横っ面を張って、やっぱり叱られます。

そんな坊っちゃんをたったひとりかわいがってくれたのが、下女の清(きよ)でした。

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って、何、この清wwwwwww
清だけは坊っちゃんのことを「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」といつも褒めてくれます。小遣いで金つばや鍋焼きうどんを買ってくれたり、枕元へ蕎麦湯を持ってきてくれたり、お金を三円ばかり貸してくれたり。そのお金を入れた蝦蟇口をトイレに落としたら、頼んでもいないのに拾ってきてくれたのも、清でした。あ、アニメではトイレじゃなくてプールになってるけど。

05キヨ.jpg

父の死後、兄は道具屋を呼んで、先祖代々のガラクタを二束三文に売り払い、家屋敷は金満家に譲ってしまう。坊っちゃんは、四畳半の安下宿に住むことに。狭い部屋ですが、下女の清も一緒です(あれ? 小説では、清は甥の元に引き取られるんだけど。ま、一緒の方が萌えるし、いいか)。

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その後、九州へ転勤することになった兄が、坊っちゃんの下宿へ来て、「これを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい」と、六百円の金を出す。坊っちゃんが疑るような目を向けると、「べ、べつに、お前のこと、心配してるわけじゃないからねっ」。

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ここに来て、いきなり兄ツンデレ開眼!!!!!
小説では、ただの嫌な兄ですが、こうしてアニメになると、けっこう素敵キャラかも。これ以降、登場しないのが残念です(アニメだと、また出てくるのかな?)。

その六百円を学資にして勉強することにした坊っちゃん、「物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ」と、物理学校に入学して、三年たって卒業。

08学校生活.jpg

卒業後、校長から声がかかり、月給四十円で「四国辺のある中学校で数学の教師」をすることに。教師になる気なんてこれっぽっちもなかったけれど、これもやっぱり親譲りの無鉄砲がたたって二つ返事で引き受けます。

そして、四国へと旅立つ日、清との別れです。列車に乗り込む坊っちゃん。プラットフォームに残されて、ひとりたたずむ清。ここで坊っちゃんのモノローグ。
「汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた」。

09わかれ.jpg

清、テラ萌えwwwwwwwwwww
もう坊っちゃんはいいから、清の話にしてほしいwwwww!!!

次回、第2話「四国、上陸」。

10次回予告.jpg

予告編に出てきたこの娘は、マドンナでしょうか。早く続き見なきゃwww
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2008年05月26日

文学少女はもういない

先日から黙って聞いてたら、「文学少女が消える」だの「文学少女ファンの危機」だの「国別対抗文学少女王決定戦」だの、何勝手なことほざいてんのよ。ひとりの女子としていわせてもらいますとね、正直いって、キモイ。マジキモイ。マジ死ねって感じ。
ひとりで本読んでるところをじろじろ見るなっつーの。誰が見ていいなんていったんだよ、このブタ野郎! 文学少女ファンとかいって、ようするにただの窃視マニアなんじゃねーの、キモオタ! って思うわけ。文学少女、文学少女って、所詮、あれよね、「裸エプロン」と同じ、身勝手な妄想なのよね、「男のロマン」ってやつ?

あたしは別に眼鏡でも三つ編みでもないからいいんだけど、もしあたしがそういう女子で、電車の中で本読んでて、ふと顔を上げると、目の前に座ってる男がじとーっと湿度高そうな視線で見つめてた、としたら、もうあれよね。全身鳥肌。やだ、想像しただけで、なんかちょっとかゆくなってきちゃった。思わず「この人痴漢ですー!」とか悲鳴あげちゃうかも。少なくとも、すぐ次の駅で下りて違う車両に乗り換える。
「文学少女ファン」の男はどうせ、そういう場合に、「ぽっ」とかいって顔を赤らめてうつむくような女子が好みで、
「それこそが文学少女である!」
とか何とか言うんでしょうけど、いい? 耳の穴かっぽじって、よく聞くのよ。そんな女子、いまどき、どこにも、い・ま・せ・ん!
「本がなくなったら文学少女がいなくなる。危機だ!」
なんてしょうもないこと言ってるけど、ここではっきりさせておきます。
あんたたちが思い描いてるような、セーラー服で眼鏡で三つ編みで、ぽっと頬を赤らめるくらい内気で繊細ではかなげな文学少女なんてものは、紙の本があふれてる今でさえ、現代でさえ、この世に、ひとりとして、存在しません。ハナからいないんだから、危機でも何でもありません。文学少女は最初ッからあんたたちの頭の中にしか、いなかったの!
それを何? 「われわれ文学少女ファンが見守る中、ケータイで読書してくれる文学少女のかた(13〜17歳)も募集します」って、マジで文学少女がいるなんて信じてるわけ? バカじゃないの? 超ウケる。おかしすぎて涙出てくる。

ただ、まあ、男子と違って女子は融通無碍、柔軟だから、時と場合によっては、文学少女もあり、かもしれません。
たとえば、本を読んでいてふと目を上げたら、湿度100%のキモ男なんかじゃなくて、五月の風のように爽やかで背が高くて知的でやさしそうな、山Pみたいな男の子と目が合って、その彼が「ぽっ」とか頬を上気させて目をそらしたりなんかして‥‥、ということであれば、あたしだって、まあ乙女なんだし、頬のひとつを赤らめるくらい、やぶさかではないかも。その後はいわゆる文学少女のように、「本を読みながらもさっきの彼がちょっと気になって時おり目を上げてはそのたびに彼の視線にぶつかってまた頬を赤らめる」ふりくらいしようってもんよ、次の日からはコンタクトの代わりに眼鏡にして、三つ編みに結ってきてあげてもいい、と思わないでもないです。
っていうか、今いいこと思いついちゃったんだけど、文学少女ファンは、この際、会員制にする、ってのはどう? 文学少女ファンになりたい男子は、文学少女ファン協会に、写真(全身および顔写真)入りの履歴書を送って、書類審査と厳正な面接試験に合格した者だけがファンになれる。正規会員のみが、本を読んでいる少女に対して憧れのまなざしを捧げることを許される、ということにするわけ。ちなみに、文学少女ファン協会の初代会長に就任するのは、もちろん、あたし。

さあ、全国の文学少女ファンども! 我こそはと思う者は、強化合宿なんかしてないで、下記宛先まで、至急、履歴書を送るのだ!
書類選考の結果、一次審査通過者には、こちらから連絡します。一部の応募者には、会長みずからがじきじきに手取り足取り個人指導しちゃったりするかも!!!

*      *      *


と、以上のような意見を、乙女のかたからいただきました。
この際、一文学少女ファンという立場を離れて、我輩の個人的な考えを伝えさせていただきますと、こんな本好きの乙女から、「ブタ野郎」などと汚い言葉でののしられ、冷たい瞳で蔑まれるのは、恥ずかしながら、我輩といたしましては、まんざらでもない、いや、むしろ推奨、なのであります。場合によっては、顔面キックも可であります(ただし、靴だけは脱いでいただきたい。できれば、素足か黒パンスト装着でお願いしたいであります)。
posted by 清太郎 at 22:54| Comment(12) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

世界の文学少女

当たり前のことを言いますと、文学少女は、何も日本独自のものではありません。卓球少女が中国やドイツにもいるように、文学少女だって世界各地に存在しています。彼女たちは、それぞれの地元の文学少女ファンたちに見つめられ、萌えられ、崇められながら、今日も静かに本を読んでいるのです。

たとえばロシアでは、市電のホームにひとり、金髪の頭に毛皮の帽子(メーテルがかぶってたような円筒形のアレ)をかぶった文学少女タチアナ・リブロスカヤ(15歳)が、手にした本に目を落としています。気温は氷点下、タチアナの頬と鼻の頭は、寒さで真っ赤です。手にはモフモフの大きな手袋をはめていて、ページをめくるときは、大急ぎで片手の手袋をはずして、パラリとページをめくって、裸の手にハーッと息を吹きかけ、はめ直します。
そうやって寒さに耐えながらタチアナが読んでいるのは、分厚くて活字がびっちり並んだ‥‥、どうやらドストエフスキーの『悪霊』のようです。無表情な顔に、ときおりあるかなしかの微笑が浮かぶのは、もしかしたらピョートル×ニコライのカップリングについて想像したりしてるんでしょうか。
あっ、雪が降り出しました。タチアナが読んでいる『悪霊』のページにも、細かな粉雪が音もなく舞い落ちます。そのたびにタチアナは、本を顔の前に持ち上げては、真っ赤な頬をさらに赤くして、ふうっ、ふうっ、と雪を吹き飛ばして‥‥。

あるいは中国では、市内のお茶屋さんで、チャイナドレス姿(わざとらしいかな)の文学少女姚文麗(17歳)が、熱心に本を読んでいます。感情が顔に出やすい文麗は、読みながらときどきハッと息を呑んだり、ふうっと溜め息をついたり、うぬぬと拳を握りしめたり、かと思ったらコロコロとかわいらしい笑い声を上げたり。手にしているのはどうやら、金庸の傑作『笑傲江湖』。文麗は女の子ながら、武侠小説の大ファンのようです。
彼女はページから目を離すことなく、小さな急須にお湯をチョボボと注ぎいれては、小さな湯飲みにお茶をついでいます。一滴もこぼすことがないのは、さすがに手慣れたもの。でも、大興奮の物語に夢中になるあまり、落ち着きなく頻繁に脚を組みかえて、そのたびにチャイナドレスの深いスリットが割れて、真っ白な脚がチラリハラリ‥‥。

あるいはまたアメリカでは、道端に止めたスポーツカーの助手席で、ボーイフレンドを待ってるのでしょうか、文学少女アビゲイル・ブックス(14歳)が本を読んでいます。シートを倒して、ぴっちりとしたジーンズの細い脚は、お行儀悪くダッシュボードの上に投げ出されています。耳にはiPodのイヤフォン。聴いているのは大音響のロックでしょうか。爪先でコツコツとフロントガラスを叩いては、リズムをとっています。ときどき、噛んでいるガムをプウッとふくらませては、パチン。
外はまだ肌寒いですが、クルマの中の彼女が着ているのは、ぴったりとしたTシャツ1枚きり。かわいらしいおへそがのぞいています。彼女の姿を見ると、年のわりには発育のよすぎる胸のあたりについつい目が行ってしまいがちですが、いやいや、それよりも手にしている本に注目してください。分厚いペーパーバック。ナボコフの『アーダ』です。14歳ながらアビゲイルは、早熟な玄人本読みなのです‥‥。

などと、こうして世界各地の文学少女を見てみると、当然のことながら、次は、
「国別対抗・文学少女王座決定戦」
ということを考えずにはいられません。
これら世界の文学少女たちが一堂に会し、競い合い、闘ったら、どうなるのか。ふだん読みなれた本を逆手に持ち替え、きりりとしたまなじりで相手の隙をうかがうのか。至高の文学少女王の座を勝ち取るのは、果たしてどの国の文学少女なのか。われらが日本代表となったセーラー服の眼鏡っ娘文学少女・本多アヤ(16歳)は、並み居る世界の強豪たちに太刀打ちできるのか!?
想像するだけで、あ、いかん、もう鼻血‥‥。

東京都の石原慎太郎都知事は、オリンピックの誘致なんかにかまけてないで、ぜひとも「第1回国別対抗文学少女王座決定戦」大会の開催に向けて前向きに取り組むべきでしょう。
全国の文学少女ファンよ、今から署名を集め、石原都知事のもとへ送り付けるのだ!

(その前に、ちゃんとルールを決めないといけないですよね。いたいけな乙女なんだし、顔面キックは禁止にしましょう。)
posted by 清太郎 at 22:43| Comment(6) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

文学少女ファンの危機

ここしばらく、環境保護と本の未来について考えています。本好きにとっては残念なことですが、今あるような紙の本というのは、遅かれ早かれ縮小されていくことと思われます。数十年後には、まったくなくなってしまうことはないかもしれませんが、それでも一部の好事家のためのマニアックなアイテム、程度のものになっているのではないでしょうか。
本屋さんにとっては大打撃ですよね。しかし、ここに、本屋さんと同じくらい、いやそれ以上に、大打撃を受ける存在があることをご存知でしょうか。
何か。
それは、ほかならぬ、われわれ文学少女ファンなのであります。

われわれは昔から文学少女を愛でてきました。校庭の片隅でひとり本を開いているセーラー服のお下げ髪少女に、朝の満員電車の座席で本の世界に没入している眼鏡少女に、埃くさい古本屋の奥で真剣なまなざしで書棚を見上げている白いワンピースの少女に、愛と崇拝を捧げてきました。遠くからはうっとりとして眺め、近寄ってはおごそかな気持ちでひざまずいてきたのであります。
ファンによっては、文学少女は眼鏡っ子でなくてはならぬ、いや、セーラー服が必須である、ブレザー不可、などとさまざまに意見が分かれることでしょう。しかしながら、誰もが共通事項として了解しているのは、当然ながら、本、なのであります。彼女の手に、そのかたわらに本がなければ、たとえそれが年に千冊を読破する本狂いの少女だとしても、文学少女とは呼べぬ、少なくともわれら文学少女ファンにとって鑑賞に値する文学少女とは、いえないのであります。
であるからして、環境のためには紙の本よりも電子書籍、という昨今の趨勢に対して、われわれ文学少女ファンは、深く深く危惧せずにはいられないのであります。
十年先か、二十年先か、本を読む少女の手に、紙の本がなくなってしまったその瞬間、われらが愛すべき文学少女は、霞のごとく消えてしまうのであります。そこにいるのは、kindleのような専用端末か、あるいはケータイのような汎用端末か、もしくは眼鏡やコンタクトレンズに内蔵された極小端末、それとももしかしたら脳に直結したマイクロチップ、それらを使って読書をしている、文学少女ではない、ただの少女でしかないのであります。

ああ、なんたることか!
文学少女を愛おしみ、いつくしんできたわれわれ文学少女ファンは、今は滅んだ、
「割烹着を着た若妻ファン」
「ちょうちんブルマの女子小学生ファン」
などと同様の悲劇を、涙ながらに甘受するしかないのでありましょうか。
紙の本といえば古本しかない、そして古本を読む女性なんてほとんど老婆しかいないような世の中で、虚ろな心を抱えたまま、ボロ屑のように生きるしかないのでしょうか。人けのなくなった神保町の一角に開かれた、かつての文学少女ファンのためのマニアックな文学少女喫茶「夜の蝉」あたりで、ひそかに無聊を慰めるしかないのでありましょうか。
今のままでは、そうでしょう。時代の流れは、個人の力ではなかなか変えられるものではありません。環境保護に異を唱えることも不可能であります。

しかしながら、個人であるところの自分自身なら、変えられるはずであります。
将来、紙の本ではなく電子端末で本を読む少女だけになってしまうのならば、その彼女たちに対して萌えられるようにするのです。社会が変わるのならば、われわれも臨機応変に対応しようではありませんか。
紙の本なき後は、電子端末で読書を読む少女を、新時代の「文学少女」として愛で、鑑賞し、いつくしむ。われわれ文学少女ファンの活路は、それ以外に見出せぬのであります。
となると、今が肝要であります。紙の本がなくなってからでは遅い。今、電車の中や駅のホーム、道端で、ケータイで小説を読んでいる少女たちに対して、文庫本を読む文学少女と同等の萌えを感じられるようになる、それこそが第一歩です。
そのためには、一にも二にも訓練であります。特訓であります。まずは、その少女が手にしているのはケータイではなく文庫本だ‥‥、そう妄想するところから始めてはいかがでしょうか。
しかし、独学では限界があるかもしれません。ひとりでは挫けてしまうかもしれません。少女がケータイで読んでいるのが小説なのかただのメールなのか瞬時に判断する、そんな特殊な技能を涵養する必要もあります。
われわれ文学少女ファンが生まれ変わるためには、お互い研鑽し、切磋琢磨する場が必要でしょう。
そう、全国の悩める文学少女ファンが集う、
「強化合宿」
我輩は、その開催をここに宣言するものであります。

全国の文学少女ファンよ、結集せよ。ともに学び、ともに競い、おのおのの鑑賞眼を養おうではないか。ともに手を取りあい、新たな文学少女像の地平を切り開こうではないか。
ケータイで小説を読む少女を一心不乱に見つめ、見つめ、ひたすら見つめることで、そこに一筋の光明を、新時代の幕開けにつながる萌えを、ともに見出そうではありませんか。
厳しい修行となることでしょう。脱落者も続出するに違いない。
しかし、この修行なくしては、われわれ文学少女ファンに、明日はないのであります。
全国の文学少女ファンよ、覚悟を決めよ。そして、われこそはと思う者よ、わがもとに集いたまえ!

※われわれ文学少女ファンが見守る中、ケータイで読書してくれる文学少女のかた(13〜17歳)も募集します。
posted by 清太郎 at 09:47| Comment(9) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

本屋武装化

前回書いたとおり、正直いって、本は「環境にやさしい」ものではありません。
今のところ、日本の社会全体で環境への取り組みについてぜんぜん本気じゃないからいいようなものの、この先いったいどうなることやら。
再販制やら何やらを盾に、電子書籍普及の流れに目をつぶっていると、いつの間にか社会のエコ化に取り残されて、気がついたら、本屋さんで紙の本を買うことは、エコ的な観点から見て、密猟者から象牙を買ったりするのと同じくらい悪いことになっているかもしれません。
日本国内では、持ち前の馴れ合い主義のおかげで、まあまあいいからいいから、なんて適当にごまかせるでしょうが、良識を誇る海外の国々が黙っていませんよ。アメリカでは議会で民主党議員なんかが、
「日本では、まだ本屋が野放しになっておる! なんたる野蛮なことであるか! 私は環境のことを配慮して、成人になってから本なんて一冊も読んでないぞ!」
と日本の本屋を非難する決議案を提出し、それに刺激されたオーストラリアあたりの過激派環境保護活動家が国内に潜入、次々と本屋を襲撃したりします。
「またも本屋で爆破テロ! 店員とお客さんあわせて3名が死亡、8名が重軽傷」
なんてニュースが連日報道されることになる。
環境テロリストを取り締まろうにも、
「何だね、日本では、われらが地球環境を破壊する本屋を、保護しようとでもいうのかね」
などと各国から日本政府に圧力がかかるから、警察は見て見ぬふり。
ここにいたって本屋さんは、もう自助努力で、何とかするしかありません。

となると、本屋さんの将来として、ふたつの道が考えられます。(消滅する、という道は除いて、ですが。)
ひとつは、
「地下化」
アンダーグラウンドな存在になる、というものですね。
お客さんは本屋さんに行くために、まずは尾行に注意しなくちゃいけない。隣町にあるはずの本屋さんに行くにも、わざわざ電車に乗って、3回くらい乗り換えて、タクシーをつかまえて、すぐ降りてまた違うタクシーに乗ったりする。で、ようやく横丁の暗がりなんかに入り込むと、他所を向いて新聞を読んでいる男(鳥打ち帽をかぶっている)が、ボソッと、
「兄弟」
とつぶやくので、すかさず、
「カラマーゾフ」
と合言葉を答える。すると、やおら男が立ち上がり、路地のさらに奥の奥、何度も曲がった暗がりのほうへと歩いていくから、付かず離れず、あまりその男の方を見ないようにしながらついていく。そうして、ようやく何の変哲もない民家に辿り着いて、その地下室が本屋さんだったりするわけね。

そうやってひたすらヒソカに隠れ潜むのと対極にあるのが、
「武装化」
本屋さんは徹底的に防備を固め、環境保護活動家の襲撃に備える、というもの。窓ひとつない、2メートルくらいの厚みのあるコンクリート壁に囲まれたトーチカのような建物の入口に、マシンガンを下げたいかめしいガードマンが4人くらい立っていて、お客さんはまず徹底したボディチェックを受けないといけない。液体の入ったペットボトルはもちろん、携帯電話なんかの精密機械も持ち込み禁止です。
ときどき、自転車か電気自動車に乗った環境活動家が、奇声を上げながら突進してきては手榴弾(もちろん、環境にやさしい素材でつくってあります)を投げつけてきたりするから、要注意。建物の外壁は、襲撃にあった後の黒焦げや穴ぼこだらけです。
でも、いったん中に入ってしまえば、そこは夢のような空間。つねに活動家の襲撃を恐れねばならない地下本屋さんとは違って、心置きなく本選びに専念できます。時おり、爆弾が炸裂するズウウウウンという音が遠雷のように響いてきたりしますが、この本屋さんの中にいる限り安心です。

あ、でも、本屋さんは安全だけど、お客さんはぜんぜん安全じゃないのか。本がいっぱい詰まった袋を両手に下げて、意気揚々としてお店から出てきたところを、バシュッバシュッとひとりひとり狙い撃ちにされたりして‥‥。(まあそれはそれで、幸福な死に方のような気もするけど。)
っていうか、いずれにせよ、自助努力が必要なのは、本屋さんよりもむしろ、本屋さんに足を運ぶお客さんのほうですね。
いや、そこまでの危険を冒して、それでも本屋さんに行きたい‥‥、という品揃えを、本屋さんが用意できるかどうか、ということのほうが問題かもしれませんが。
posted by 清太郎 at 23:08| Comment(7) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

環境にやさしい小説

今、時代はエコです。環境に配慮し、地球にやさしい。これにまさる正義はありません。企業はとりあえずISO14001やら何やらの認証を取得し、二酸化炭素排出量を抑え、何だかよくわかんなくても「サステイナブル」って言っておく、そういう時代です。
そんな中、われらが本業界も、うかうかしてはいられませんよ。洗濯機やら自動車やら電球やら食品やら、世間にあふれる「環境にやさしい」商品にならって、
「環境にやさしい小説」
これを模索するべきではないのか。
「本ってのは、そういうのとは違うから。文化だから」
なんて態度を決め込んでいると、いずれは「環境にやさしいゲーム」や「環境にやさしいケータイ」や「環境にやさしいパチンコ」や「環境にやさしいアマチュア無線」などが当たり前のものになって、
「えっ、読書? アンタ、本なんか読んでるの? やめなさい、そんな環境に悪いこと」
という事態になるに違いありません。
「なにっ、読書が趣味だと!? そんな環境に悪いことをやってる奴に、うちの大事な娘はやれん!」
そうなっては、もう誰も本なんか読まなくなってしまいます。
手遅れになる前に、各出版社から取次、書店までみんなで知恵を絞って、環境への負荷のなさを格付けする認証制度でもつくりあげて、業界として、本気でエコに取り組んでいることをアピールしてもいいのではないでしょうか。

格付けするとなると、たとえば、無駄に資源をいっぱい使って二酸化炭素をドカドカ排出するような小説は、悪い、マイナスの小説ということになります。分厚い単行本で、何巻にもなって、ベストセラーになって何百万部も売れて、でも数年で忘れられてしまうような作品は、ダメです。ハリポタなんて、ABCのランクでいえば、Cマイナス。(いや、ハリポタは「モモ」みたいにロングセラーになれるかな?)
逆に、資源を無駄にしない、薄い文庫本で、かつ何十年ものロングセラーになる小説は、環境的に見て、優れた作品です。カフカの「変身」とかヘッセの「車輪の下」とか。
‥‥と、そういうレベルで問題がおさまると、突き詰めていけば、
「ぜんぶ電子書籍にしちゃえばいいじゃん。紙の本、廃止」
ということになって、なんだかちっともおもしろくないので、ここはやはり、作品の内容にも踏み込んでみましょう。電子書籍のみで販売されて、執筆から配信まで可能なかぎり二酸化炭素排出量を抑制し、子や孫にまで伝えられるロングセラーになったとしても、たとえば、その作品が、
「火力発電所をつくろう」
とか何とか、そういう内容であってはマイナス評価、ということにするのです。

そうなると、Aランク以上の認証を取得するのは、なかなか難しいですよ。
一見したところ、懐かしい日本の姿が描き出されてエコ的には問題ないように見える川端康成の「雪国」も、エンディングを飾るのは火事の場面。立ち上るすさまじい炎と煙に、
「いやあ、盛大に二酸化炭素を排出してますなあ」
ということになって、せいぜいB程度の評価。同様の理由から、芥川龍之介「地獄変」や三島由紀夫「金閣寺」もダメです。
「車輪の下」も、主人公のハンスが挫折したところまではいいかもしれないけれど、彼ったら鍛冶職人の見習い(だっけ?)になっちゃうんですよね。鍛冶ではねえ、いかにも炎がゴウゴウ燃えて、二酸化炭素をどんどん出してそうで、環境にやさしいとはいえない。これがレンジャーとかビオトープ管理士とかだったら、よかったんだけど。ということで、やっぱりB止まり。
ハリポタも電子書籍なら問題ないかというと、「炎のゴブレット」なんて二酸化炭素排出の観点からいかにもNGっぽいし(読んでないからわかんないけど)、それ以前に、ニムバス2000やら何やら新商品が次々と出てくるあたり、現代資本主義を無批判に投影しているようで、エコ的にはマイナス評価です。(「賢者の石」しか読んでないので、うかつなことを書いているかもしれません。この後ハリーが改心して、「やっぱり魔法のホウキは、こんな工業製品じゃなくて、自然の山に落ちている木の枝を使って丁寧に手作りしたものじゃないとダメだよね。魔法もエコじゃなくっちゃ!」なんて展開になっているのでしたら、ぜひともAランクに格付けすべきでしょう。)
‥‥などと考えてみると、主人公のグレゴール・ザムザが醜い毒虫になって、産業社会から疎外されるカフカ「変身」は、正しく環境にやさしい小説といえるかもしれません。

エコに配慮しているアナタ、これから読むなら、電子書籍で「変身」がオススメですよ!
posted by 清太郎 at 09:58| Comment(5) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

三四郎百周年

今年2008年は、「赤毛のアン」出版100周年。今では世界中の女子たちに愛されているこの作品の百歳を記念して、各地でいろんな記念行事が行われています。たとえば、
・翻訳原稿や初版本をはじめ、モンゴメリゆかりの品々を集めた「赤毛のアン」展
・新潮文庫の感想文コンテスト(最優秀賞の副賞は、物語の舞台となったプリンス・エドワード島への招待)
・プリンス・エドワード島を訪ねるツアーパック
・カナダ大使館で開催された、トークや朗読などのイベント「アンの世界」
・記念切手発行
などなど。いやあ、ホントに人気なんですね、赤毛のアン。

でも、いくら世界中の女子に読まれてるからって、カナダの小説ばかりをもてはやすのはどうか。わが国の小説だって、今年100周年の作品があるはずだぞ。
と思ってちょっと調べてみたところ、おお、漱石の「三四郎」が朝日新聞に連載されたのが1908年の9月から12月というではありませんか。今年は、日本文学史に燦然と輝く「三四郎」の誕生100周年なんです。
「赤毛のアン」ばかりにかまけてないで、日本の文学青年、文学少女よ、「三四郎」誕生100年をともに祝おうではないか! 全国のストレイシーパーよ、結集せよ!

ということで、三四郎100周年の記念行事として、「赤毛のアン」に対抗するためにも、以下のようなものは必須です。
・自筆の原稿や初版本をはじめ、漱石ゆかりの品々を集めた「三四郎」展開催
・新潮文庫の感想文コンテスト(最優秀賞の副賞は、三四郎の故郷・熊本への旅行)
・「三四郎」の舞台を訪ねる東京文学散歩(東大本郷キャンパスの三四郎池、三四郎たちが菊人形を見物に行く団子坂をはじめ、谷中や上野界隈をのんびり散歩。最後は、寄席で小さん――「三四郎」のときは三代目、今の小さんは六代目だけど――の高座を聴きます)
・「三四郎」をテーマにしたシンポジウム、トーク、朗読会など(会場は東大本郷キャンパス)
・記念切手発行(三四郎や美禰子、広田先生などお馴染みの登場人物が絵柄に。額面は80円や50円ではなく、使い勝手が悪いけど、34円もしくは346円にしてほしい)

加えて、「三四郎」ならではの、こんなものも。
・モコモコした肌触りが安眠を誘う「ストレイシープ」抱き枕発売
・熊本発・東京行きの一泊二日列車の旅(途中、宿泊地は名古屋。あだっぽいお姉さんと一晩同じ部屋で過ごすことになるイベント付き。もちろん「三四郎」ファンなら、手を出せないまままんじりともできず、翌朝お姉さんから「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と、にやりと笑われよう!)

そして、作品誕生から100年目にして、ついに堂々の続編が登場! タイトルはズバリ、
「五六郎」
あの後けっきょく故郷に戻って、おでこがだだっ広い三輪田のお光さんと結婚した三四郎の孫の孫、五六郎。2008年の春、東大に合格し、熊本から上京してきた彼を待っていたのは、あの美禰子の孫の孫娘だった! そして、ああ、やっぱり血は争えないのか、易々と手玉に取られる五六郎。21世紀のストレイシープとして大活躍する五六郎の迷える日々を描く!
(って、なんだか、最近ありがちなストーリーかも。)

ところで、蛇足ながら最後に、すごく基本的なことを注意しておきますと、
「エッ、記念行事って、これだけなの? 三四郎の100周年といったらもちろん、三四郎杯全国柔道大会開催とか、三四郎柔道着発売とか、気になる彼の目の前でいつでも自在に鼻緒が切れる特製下駄発売とか、池の中に浸かりながら早朝に蓮の花が音を立てて開くのを見ようツアーとかじゃないの!?」
というかたがいるかもしれませんが、それは姿三四郎。人違いです。漱石の「三四郎」に出てくる小川三四郎は、柔道をしません。ちなみに、プラレス三四郎も関係ないです。
posted by 清太郎 at 23:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月24日

サン・ジョルディの日はなぜ失敗したか

えー、忘れていたかたも多いと思いますが、昨日4月23日は「サン・ジョルディの日」でした。
男子は女子に本を贈って、女子は男子に花を贈る‥‥、あれ? 逆だったかな? とか何とか、そういう日です。

あらためてWikipediaを見たところ、サン・ジョルディの日というのは、もともと1923年にスペインのカタルーニャ地方の本屋さんが考案したものなんだそうです。この日がセルバンテスの命日で、かつシェイクスピアの誕生日&命日、しかもカタルーニャ地方の守護聖人サン・ジョルディ(聖ゲオルギウス)の祝日であることから、ひとつうまいこと商売に結び付けられないか、とキャンペーンを始めたのが最初なんだとか。(ちなみに、男子が女子に赤いバラを、女子が男子に本を、でした。)

日本では1986年に導入されたそうですが、それから20年余がたって、ご覧の通り、残念ながらさっぱり根づきませんでした。どのくらい根づいてないかというと、「サン・ジョルディ」という言葉をカタカナ変換しようとしたら「三・女ルD」「産・所るディ」になっちゃった、というくらい。バレンタインデーは「馬連多淫D」なんかになることなく一発でちゃんと変換されるのに。

バレンタインデーやホワイトデーのあの興隆ぶりに引き比べ、サン・ジョルディの日はなにゆえ失敗に終わったのでしょうか。
そもそも本をプレゼントするって難しいとか、お互いにプレゼントを贈りあうなんてクリスマスでもないのにこっぱずかしいとか、あたしの彼は本なんて読まないとか、日本人の知的レベルが低下したからとか、いろんな理由を挙げるかたがいるかもしれませんが、しかしこれは単純に、出版社や本屋さんの営業努力が足りなかった、というそれだけの理由だと思うんです。

バレンタインデーが人気なのは、単純に、お菓子屋さんやスーパーやデパートががんばってるからです。
バレンタインデーが近づくと、お店には特設のバレンタインコーナーができて、バレンタイン用の、ちょっと高そうなチョコレートがいっぱい並ぶわけです。お菓子屋やスーパーやデパートは、バレンタインデーのための特別なチョコを、ちゃんと用意している。
これがもし、いつもと同じチョコレート、明治のミルクチョコレートとかマーブルチョコとかアポロチョコとか、ふだんと変わらない品揃えだったとしたら、どうでしょう。「そろそろバレンタインだから、チョコ買わなきゃ」と思って明治のミルクチョコレートとかマーブルチョコとかアポロチョコとかを買う女性客は、いるわけありませんよね。
それに対して、本屋さんはどうか。サン・ジョルディの日が近づこうが当日になろうが、店頭には「サン・ジョルディの日のプレゼント用の本」なんて、一冊も並びません。つまり、口では「サン・ジョルディの日ですよ! 本買いましょう!」といったとしても、お店に並べているのは、いつもと変わらない明治のミルクチョコレートとかマーブルチョコとかアポロチョコとか、ということなんです。これではお客さんの心が動くはずがありません。
Wikipediaの記事では、カタルーニャ地方ではこの習慣が定着しているようなことが書いてありますが、それが本当なら、彼の地では本屋さんががんばったのでしょう。

日本でも、本気でサン・ジョルディの日を定着させたかったら、口先だけでなく商品で、この日をアピールしなくてはいけなかったんです。
たとえば、
「サン・ジョルディの日限定! エルメスの総革文庫『紋切型辞典』」
「サン・ジョルディの日限定! ポール・スミスデザインの布製単行本『ボートの三人男』(広げればジャケットになるよ!)」
「サン・ジョルディの日限定! タグホイヤーの腕時計型本『失われた時を求めて』(100m防水機能付き!)」
なんてのがドカドカと店頭に積まれていたとしたら、限定、しかもブランド物ですから、それだけでじゅうぶん話題になったことでしょう。
マスコミに取り上げられ、「anan」で特集が組まれ、春先から今年のサン・ジョルディの日の特製本のラインナップが気になってそわそわする、ということになったはずです。

そんなに高価なものは買えないわ、どうせ彼からもらえるのは花束だけなんだし、というかたのためには、ふだんの本よりちょっと高めの「サン・ジョルディの日限定の特製デザイン本」を用意すればよかったんです。
たとえば、
「よく見ると読点(「。」のことです)がすべてハート形になってる」
「やっぱり既製品じゃダメ! 世界にひとつだけの本がつくれる手作り本作成キット」
「判型がハート形」
「主人公とヒロインの名前が、あなたと彼の名前に置き換えてある本(1週間前までにご注文ください)」
とかいうの。
こんな本が積んであったら、ほらね、なんとなく、買って彼に贈ってもいいような気がしてきますよね。別に相手がいなくても、
「自分用に、ハート形の特製『一瞬の風になれ』買っちゃおっかなー」
という女子も多かったことでしょう。バレンタインデーほどではなくとも、サン・ジョルディの日が近づくにつれ、本屋さんの店頭は女子たちの熱気であふれるようになっていたのではあるまいか。

‥‥と、今さら悔やんでも、しかたがないですよね。過ぎたことは、いさぎよくあきらめましょう。サン・ジョルディの日よ、さようなら!
そして、未来へ、前へと目を向けようではありませんか。4月23日は、今や「子ども読書の日」なんです(そうなんですよ。ご存知でしたか?)。子どもたち、あるいは両親や祖父母を相手に、どうすれば本を買ってもらえるのか、じっくりと広告戦略を練りましょう。
その際、大いに参考になるのは、サン・ジョルディの日の失敗です。失敗は成功の母。ここから学ぶことは、決して少なくはありません。
「子ども読書の日」にふさわしい本として、とりあえずは、そうですね、
「子ども読書の日限定! ポケモンカード付き絵本」
なんてのはどうでしょうか(安易すぎる)。
posted by 清太郎 at 07:56| Comment(7) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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