2009年03月19日

本の中身がひと目でわかる!

効率優先、情報化進展の現代日本にあって、悠長に本なんか読んでいるわけにはまいりません。
読書感想文を書かなくちゃいけないとか、読んでない本について知ったかぶりをしたいとか、とにかく本を読まずに、手っ取り早く本の内容が知りたい!という人は多いことでしょう。そういえば、ちょっと前に「読んでいない本について堂々と語る方法」(ピエール・バイヤール、筑摩書房)という本も話題になってましたし。
そんなあなたのために、
「本の中身がひと目でわかる!」
をつくってみましたので、ぜひご利用ください。
たとえば、いまだ人気の衰えない「カラマーゾフの兄弟」の中身は、これ。
カラマーゾフの兄弟

「読んでない本の中身を知ったところで、おもしろくない」
という人は、以前つくった、
「あなたを主人公にした本」
とあわせて利用してみてください。
ちなみに、私を主人公にした、
「清太郎とともに去りぬ」
の中身は、こんな感じでした。
清太郎とともに去りぬ
posted by 清太郎 at 07:34| Comment(9) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

読み聞かせロボ

産業技術総合研究所が発表した「人間に近い外観と動作性能を備えたロボット」が話題になってます。
158cm、43kgで、頭部はリアルな女の子。名称は「HRP-4C」と素っ気ないのですが、開発陣の間ではどうせ「よしこさん」などと呼ばれてるのでしょう。
怒り顔とかびっくり顔とか、ファッションショーに出たりとか、人間にきわめて近い動作を実現してるそうで、ここまできたら、もう、アレですね、アレ。
初音ミクなどのボーカロイド技術と組み合わせれば、
「読み聞かせロボット」
まで、あと一歩です。

「読み聞かせ専用ヒューマノイドロボットYMK-KC(通称けいこさん)」
なんていって。
本を読んでほしいときに、
「これ読んで」
というと、
「はあい」
などと返事をして、本を受け取り、そこらへんの床あるいはイスに座って、本を開く。
「ここから読んで」
とお願いすると、指定したところからちゃんと読んでくれるのです。
自力で二足歩行できますから、使用しないときは、
「そのへんにいて」
と命ずればいい。てくてくと自分で歩いて、部屋の隅あたりの邪魔にならないところで座っててくれます。

特筆すべき点は、158cm、43kgという標準的な体型。
ということは、ひざ枕だって、思いのままなのですよ。(そのために、ふとももの質感には頭部と同じくらいこだわってもらいたい。)
「読み聞かせしてもらいながら、ひざ枕」
という、あなたのささやかな夢がかなえられるのです。
うむ、できれば、ひざ枕タイムをさらに充実させるために、
「読んでいる最中に、スカートをめくったりしようとすると、軽く手をはたいて、『今はだめ、あ・と・で』と言ってくれる機能」
などを実装してくれるといいですね。

すばらしいのは、ひざ枕だけじゃありませんよ。
身長158cmで標準体型ですから、服装も自由です。セーラー服やらナース服やら、あなたの秘蔵コレクションが、そのまま使えるのです。
「このスクール水着を着て、ひざ枕しながら、『百年の孤独』を読み聞かせてほしい! ハアハア」
などという、リアルな彼女や奥さんではぜったい実現不可能なことができてしまうのです。
素肌(?)にエプロンだけ着けた読み聞かせロボットけいこさんが、
「‥‥父親のドン・フェルナンドは嫁入り道具を買うにも屋敷を抵当に入れなければならない始末なのに、彼女は結婚式の当日まで、言い伝えの王国を夢みて‥‥、あっ、ダメよ、今はダメ、あ・と・で」

メーカー側は、
「忙しいお母さんに代わって、お子さんへの読み聞かせをしてくれるロボットです! 情操教育にぴったり!」
ということで売り出すわけですが、実際の購入者は独身男性がほとんどですね。
でも、これならば、うっかり女の子が部屋に遊びにきてしまっても、安心です。
アニメキャラのエッチな抱き枕などと違って、
「あ、俺、読書が趣味だからさ。読み聞かせ用に買ったんだ」
と、なんとかごまかすことができるはずです。(無理かな。)
posted by 清太郎 at 11:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

役に立たない感想

本を読むのが好きで、図書館派だから、というわけではないのだけれど、読んだ本の記録をつけるようにしています。
データベースソフトで簡単なフォーマットをつくって、最低限の書誌と評価、それに感想などのメモをちょっと書いただけのもので、一応10年ほど続いています。‥‥というと正しくなくて、途中面倒でけっこうサボったり、サボった分を後から思い出して書いたり、仕事関係で読んだ本は入ってなかったり、半分以上はメモ欄が空白だったり、と甚だ不備が多いのですが、そんな不完全なデータベースでも、たとえば「定額給付金で本を買う」みたいな場合のネタを考える場合などには、それなりに重宝します。

が。
正直、ここに来て、これのつくりかた、間違ってた、と後悔しています。
何が間違ってたかって、「メモ」、これの書き方が間違ってた。今読み返してみると、「おもしろかった」「つまらなかった」に毛が生えた程度の感想がほとんど。そんなもの、あったところで全然意味がない。
だって、読んでから数年たった今、本の内容、てんで覚えてないもの。
むしろ必要なのは、小説ならあらすじ(特に結末)、論文系なら要旨でした。

そんなことを思ったのも、先日、ぱらぱらと見ていて、こんなのを見つけてしまったから。
「インド植民地官僚――大英帝国のエリートたち」(本田毅彦、講談社選書メチエ、2001)
2002年1月29日に読み終わったらしいのですが、この本についてのメモがこれ。

「何これ。読売新聞の書評欄で「2001年のベスト3」ってことで、小林良彰という慶応の政治学の教授があげていた本。「今夜、自由を」以来、ちょっとインド植民地に興味もあるし、ということで読み始めたんだけど。くそ。時間返せ。何これ。つまらん。つまらなさすぎ。最低。少しとして発見的なところナシ。しかもこの資料の使い方は何よ。小学生じゃないんだから。小学生の「この表を見てわかったことを言いなさい」じゃないんだから。少しは統計の勉強でもしたらどうなの。こんなの誤差の範囲だよ。ばかじゃないの。それだから歴史学はバカにされるの。これは科学じゃないね。こんなの本にするのも失礼だね。っていうか、これを年間ベストにあげたアンタ、もしかしてほかに本読んでないんじゃないの。見識が問われるね。
と、ことほどさように不満うずまいた本。途中で投げ出せばよかった。単なる見栄だった。「インド高等文官」という名詞を覚えただけだった。」

ここまでメタクソにけなした本の内容、今、ちーっとも覚えてません。
「「インド高等文官」という名詞を覚えただけだった。」
と書いてあるけど、その「インド高等文官」という名詞すら、忘れてます。
今となっては、こうまでメタクソだと、かえって、
「何がそんなにおもしろくなかったのかしら」
と興味すらわいてきます。っていうか、むしろ、気になってストレスがたまります。
ほかにも、そんなストレスのたまるメモだらけ。

「スタープレックス」(ロバート・J・ソウヤー、ハヤカワSF文庫、1998)
やっぱいいねえ、ソウヤー。「なぜ銀河系は渦巻きなのか」について、こんなに愉快な説明はない。SFはこうでなくっちゃねえ。
‥‥こんなに愉快な説明って、どんな説明なの!?

「嵐をつかまえて」(ティム・ボウラー、白水社、2002)
おお、久しぶりに止まらないおもしろさ。寝る前に読み初めたら3時までかけて読んでしまった。ヤングアダルトだけに少々食い足りないところがあるのだけど(結局誰も死なないし)、「いつもの空を飛び回り」を連想させる家族の暗部のスリル、というか何というか、むふう。
‥‥わー、ぜんぜん覚えてない! 3時までかけて読んだ本なのに。どんな話だったっけ? 「いつもの空を〜」は多少覚えてるんだけどなあ。

「黒船前後・志士と経済 他十六篇」(服部之総、岩波文庫、1981)
表題にある「黒船前後」、かなりおもしろい。こういう目で幕末を見たことがなかったから、とても新鮮だった。司馬遼太郎のようにドラマとして歴史を見るのもいいけれど、ある種、歴史学としてのこうした客観的な視線、というのもそれはそれでめったやたらとおもしろいものである!というのを初めて実感したような気がする。
‥‥こういう目って、どういう目!?

「黒い犬」(イアン・マキューアン、早川書房、2000)
たしかに「セメント・ガーデン」なんかに比べるとソフトだし、「アムステルダム」のシニカルさとも違うんだけど、やはりマキューアンだあ!と思ったのが、クライマックス(というのか?)の犬が出てくるシーン。めちゃんここわい。この迫ってくるようなディテールは、「時間の中の子供」の誘拐シーンなんかに通じて、すごい。
‥‥えーと、どのようにめちゃんここわいシーンでしたっけ? そもそもどんな話だったっけ‥‥。

まあでも、あるいはこういうメモも、いずれもっと年をとって、「確実におもしろいと思える本は読みたいけど、でも新たな本に挑戦する気力もない」という状態になった場合に、役立つようになるかもしれません。
「この思わせぶりな感想が、ついに役立つときが来た! 若いころの自分には、先見の明があったなあ」
なんて思ったりして‥‥。
posted by 清太郎 at 07:50| Comment(8) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

辞世の句講座

渡辺淳一「孤舟」の主人公、威一郎のように、定年退職したら何もやることがなくなった、というお父さんは多いかもしれませんが、その一方で、これまでできなかった趣味に没頭している、という人も多いでしょう。
旅行に登山、釣りに園芸、食べ歩きに鉄道模型。郷土史を調べたり、自分史を執筆したり。
書画や文芸方面をたしなんでいる人の中には、自費出版を検討している人もいるでしょう。
自分ではそのつもりがなくとも、あるいは自分が死んだ後に、息子か孫がまとめてくれるかも、なんて思ってる人も、いるかもしれない。
が、自分集大成のその一冊に、アレがなければ画竜点睛を欠くというものです。
アレです、ほら、アレ。
辞世の句。

古来(といっても中世以降に流行ったらしいんだけど)、日本では多くの人が、死に臨んで辞世の句を用意してきました。
たとえば、よく知られたところで、豊臣秀吉の辞世。
「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」
西行。
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」
お笑い系では十返舎一九の辞世が有名。
「この世をばどりゃお暇(いとま)に線香の 煙とともに 灰(はい)左様なら」
高杉晋作の辞世も、幕末ファンには人気です。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
歌人、文人はもとより、歌なんぞに縁のなさそうなバリバリの武将や政治家まで、こぞって辞世の句を詠んだものです。
いや、むしろ、辞世の句を残してはじめて一人前であった、といってもいいでしょう。
けれども、いつの頃からか、その習慣がなくなってしまった。
辞世の句は、まあ一応、生前、元気なときに用意しておくものです。
そして辞世の句を用意したということは、
「もう、いつ死んでもいい」
その覚悟を決めた、ということでありました。
辞世の句を詠まなくなった、ということは、そんな覚悟がちっともできてない、ということと同義であるといっても過言ではない。戦後の日本人がヘナチョコになったなんていわれるのも、当然でありましょう。

ということで。
男子たるもの、ヘナチョコのまま死んでいいわけがありません。
現在、定年をすでに迎えた熟年男性諸君は、早急に辞世の句をつくり、手帳などにしたため、死に備えておきたいものです。
バシッとした辞世ひとつ残しておけば、たとえ、
「ああ、ヤマダさんって、孤独死で、発見されたの死後3カ月で、身寄りもないし、悲惨だったけど‥‥、いやあ、でもあの人の辞世の句は素晴らしかった」
などと、死後、辞世の句で評価されることになるのです。
たったひとつの辞世の句で、生前の不行跡はチャラ。
そのくらいの力が、辞世の句にあるのです。
「チョイ悪ジジイのモテ往生に、辞世の句は必須だぜ!」
ということにもなるでしょう。

ところで、現在、国内では年間110万人以上の人が死んでるそうです。半分が男性として、でもって辞世の句をつくりたがる人のほとんどは男性として、55万人。この数は、しばらくは増加する一方です。
辞世の句の伝統が絶えてしまった今、辞世の句なんてどうやって詠んだらいいのか、わからない人ばかり。わからないから、辞世の句を残すこともできず、年間55万人死んでるわけです。
そして、辞世の句はその年に死んだ人ばかりが詠むのではなく、生前に用意しておくべきものですから、まあ一応還暦過ぎたらぼちぼち、「そろそろ俺も辞世を‥‥」と考えるべきものです。65歳以上の高齢男性は、今1000万人以上。この数もしばらく増加する一方です。
勘の良い方は、ここで、ハタと気づいたでありましょう。
そう、ここに、商機がある。
「男子たるもの、辞世の句を残すべし」
という風潮さえ確立すれば、ここににわかに、一大「辞世の句市場」が現出するのです。
文化センターなんかの文化講座のように、
「辞世の句講座」
「辞世の句教室」
をオープンしたら、暇を持て余した熟年男性が、わんさと押しかける。
歌人や俳人から転じた「辞世の句コンサルタント」が、町内のお年寄り相手に辞世の句を指導。
斜陽の出版業界でも、辞世の句ノウハウ本が次々ヒット。
ベストセラー辞世の句本をもとに、辞世の句映画化。
映画ともとに、さらに辞世の句ドラマ化。
ネット上でも、辞世の句ブログが大流行。
よぼよぼのおじいさんが、毎日一句辞世の句を詠むブログ、
「今日こそ本当の辞世の句」
をみんなハラハラして見守ります。それがまた感動を呼んで、映画化、ドラマ化。
さらに、DS辞世の句、辞世の句まんじゅう、辞世の句パンツ、辞世の句ソーセージ‥‥。
辞世の句の勢いは、とどまるところを知りません。
漢検なんて、もう古い。
「次は、辞世の句だ!」
そう思ってもらいたい。

「それはいいとして、でも、時世の句講座なんていって、そんなに教えることあるの?」
と思う人が、もしかしたらいるかもしれません。
いや、ありますよ、いっぱい。盛りだくさん。
まず辞世の句以前に、そもそも短歌や俳句のつくりかたから始めないといけません。
先人の残した辞世の名句鑑賞といった基礎教養も必要です。
実践編においても、辞世の句らしい効果的な表現をはじめ、句作のテクニックは欠かせません。
また、辞世の句はひとつつくって終わりというわけにはいきませんよ。
真夏にプールで水死したのに「花の下にて春死なむ」みたいなのが辞世の句では、みんなから鼻で笑われます。
「シチュエーション別辞世の句」
これも必要です。畳の上での大往生や、出先でポックリいった場合といった基本をおさえた後、交通事故とか階段から転げ落ちたとか、路上で刺されたとか、いくつかのシチュエーションを想定した辞世を用意しておくのが、男のたしなみというものです。

と、そんなことをいってると、
「えーい、もうそんなの、めんどくさい」
ということになって、案外、
「5分でできる辞世の句」
なんて本が売れたりするかもしれないけど。
あるいは、
「名前と生年月日、血液型を入力してね! あなただけの辞世の句を生成するよ!」
という「辞世の句メーカー」で済ませるとか。
posted by 清太郎 at 09:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月06日

ロバの図書館

先日、アルベルト・マングェル「図書館 愛書家の楽園」を読みました。
古今東西のライブラリー(それこそ、古代アレクサンドリアの大図書館から個人の書斎まで)について、「神話としての図書館」「権力としての図書館」「空想図書館」といったテーマごとに、心のおもむくまま随想と蘊蓄を連ねた、本好きならまあそれなりに興奮する一冊。
ディケンズが書斎のドアを隠すためにつくった、本の背表紙だけでできたダミーライブラリー(テキトーなタイトルばかりがずらりと並んでる。恐妻家ソクラテスが書いた結婚生活のためのハンドブックとか「ウェリントン公爵の彫像目録」全10巻とか「さわやかに目覚めるための睡眠の手引き」1〜19巻とか)をはじめ、気になる話題続出でした。

そんな中のひとつが、「ロバの図書館」です。
南米のコロンビアで、図書館バスが通行できないような山岳地帯やジャングルに住んでる人々にも本を届けるために、ロバを使うことにしたのね。ロバの移動図書館です。
本のラインナップは、農業関係とか刺繍の図案とか、技術的なものが中心ですが、小説なども含まれている。
ある司書によると、これまで本が返ってこなかったのは、一冊だけ。スペイン語訳の「イリアス」でした。
《本が交換される期日になると、村人たちは返却を拒みました。私たちはその本を差しあげることにしましたが、なぜ「イリアス」を手元に置きたいのか、わけを尋ねてみました。すると、ホメロスの書いたその作品が、自分たちの境遇に重なるからだという返事でした。戦火に見舞われたある国で、身勝手な神々によって運命をもてあそばれた人びとが、戦いの意味も、いつ殺されるかもわからずにいるという物語です》
という、まあなかなか奥深いエピソードなんですが、ところで、これって何もコロンビアだけに限ったものではないはずです。
クルマが通行できないような道なき道を進むには、動物の力を借りるのが便利。そして、クルマが通行できないような道なき道の先に住んでる人は世界中にいっぱいいますから、世界各地にこんな動物図書館がきっとある。
ということで、こういうときにやっぱりインターネットって便利だよね。サクサクと30分くらい調べた結果をご報告します。

まずは、「図書館 愛書家の楽園」で紹介されていたコロンビアのロバの図書館。(Copyright New York Times)
おお、たしかに、道なき道を進んでおります。

01コロンビアのロバ.JPG

コロンビア以外にも、ロバを使った移動図書館はあちこちにあります。
同じアンデスの国、お隣のベネズエラでは、こんな感じ。(Copyright BBC)

02ベネズエラのロバ.jpg

このロバの図書館は、ベネズエラの大学が主宰しているようです。BBCの記事によると、Calembeという山村では、23人の子どもたちが大はしゃぎでこのロバの図書館を出迎えたそうです。
→詳しくはこちら
ちなみに、アンデスの国々には、リャマの図書館もあるそうです。

次は、エチオピアのロバの図書館。(Copyright Ethiopia Reads)
ロバの図書館は、アフリカでも大活躍です。

03エチオピアのロバ1.jpg

04エチオピアのロバ2.jpg

エチオピアで初めてロバの図書館を始めたEthiopia ReadsのYohannes Gebregeorgisさん(米国サンフランシスコで司書として働き、母国に舞い戻った)によると、ジンバブエでロバが衛星放送の受信局を引いてたのを見て思いついたとのこと。ロバやカート(Gebregeorgisさんが自分でデザインした)がオシャレなのは、エチオピアのお国柄でしょうか。
→詳しくはこちら(Gebregeorgisさんのインタビュー記事)
こちらではスライドショーが見られます

これは英国のユニークな慈善団体Good Gifts Catalogueのホームページで紹介されていたもの。(Copyright Good Gifts Catalogue)

05ソマリアロバ.jpg

このロバの図書館のために寄付しませんか、というのね。一口100ポンドです。
ソマリアやスーダン、ウガンダの子どもたちのための移動図書館です。
→詳しくはこちら

動物図書館は、ロバだけじゃありませんよ。
ケニアでは、ロバではなくラクダが本を運んでいるようです。(Copyright BBC)

06ラクダ.jpg

これは、ケニア国立図書館が1996年に始めたキャメル・ライブラリー・サービス。3、4頭のラクダが、本やテントなどを運びます。写真の先頭のラクダが背負っているのは、200冊ほどの本が入った木箱が2つです。
→詳しくはこちら、またはこちら(動画あり)

タイには、ゾウの図書館があります。

07ゾウ.JPG

2頭のゾウが、優雅に本を運んでいます。本だけじゃなくて、インターネットアクセスも運んでいるとのこと。密林が覆う山岳地帯を20日間くらいかけて巡回するらしいです。
こちらに記事あり

ところかわって寒い国、グリーンランドのイヌイットたちのもとには、犬ゾリの図書館が本を運びます。本が凍ってしまわないよう、アザラシの皮でつくった袋の中に入れてます。おかげで本がちょっと生臭いとか。

08犬ゾリ.jpg

動物図書館は哺乳類だけじゃありませんよ。ナイジェリアにあるのはダチョウの図書館。あまり多くの本は運べませんが、そのかわりスピードはピカイチ。100km離れた村まで3時間で本を届けるそうですよ。

09ダチョウ.jpg

日本では、島嶼部をのぞけば、クルマで行けるところに多くの人が住んでいますが、クルマの移動図書館が巡回しているような地域でも、あるいは移動図書館が必要ない都市部でも、こんな「ロバの図書館」が来てくれたら、楽しいだろうなあ。
「あっ、こんどの土曜日は、月に1度の『ロバの図書館』の日だ!」
なんていって、丸をつけたカレンダーを見ながら、ウキウキしちゃうと思います。図書館再生の一環として、どこかで実現してほしいものです。


あ、ちなみに、おわかりかと思いますが、上の記事のうち、後ろの方の、犬の図書館とダチョウの図書館は、ウソですからね。
posted by 清太郎 at 23:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月04日

図書館の屋台のオヤジに話を聞く

先日紹介した「図書館の屋台」、神田の駅前で実際に営業しているのを見かけたので、オヤジに話を聞いてきました。千代田区立図書館の嘱託職員という山田さん(仮名)です。一見したところ無愛想なオヤジでしたが、話をしてみると意外に気さくな方でした。

――屋台サービスが始まった経緯について、ご存知ですか。

そうねえ、俺はこんな下っ端だから、まあ難しいことはわかんねえけど、やっぱ今、活字離れとかいって、本読む人減ってるでしょ。電車ん中で本読んでる人もめっきり減ったし。図書館っつうのは、なんだかんだ言って、本読まれてなんぼなのよね。知ってるかい、図書館司書の評価って、その図書館でどれだけ本が借りられたかで査定されるのよ。だから、もっと本を読んでもらうにはどうしたらいいんだべ、ってことで、親しみやすい屋台みたいなことすればいいんじゃないの、って上の方で決まったみたいね。

――もともと、図書館で司書をなされていたのですか。

ぶはっ、ハハハ、もともとも何も、今でも司書よ、ほれ、この通り、ちょっとボロっちくなってるけど、司書バッヂ付けてるっしょ。

――すみません、失礼しました。

まあ、俺、見た目こんなだからね、司書なんかよりもおでん屋のオヤジの方が似合ってるかもしんないけど、これでも一応、三十ウン年、レファレンス畑を歩いてきたんよ。自分で言うのもなんだけど、本探しの腕は確かなのよ、これでも。まあでもねえ、最近は、レファレンスで資料探しするお客さんがとんと減ってねえ。みんなインターネットで調べておしまいでしょ。「こんな本読みたいんですけど」なんていうお客さんは、小学生か、年寄りか、それも十年くらい司書やってりゃ誰でもわかるような相談ばかりになっちゃってねえ。でもって、昨今の予算削減で、合理化で、IT化でしょ。レファレンスばかりにそんな人割いてらんないよ、って、山田さんそろそろ選書の方に回ってもらえないか、なんてことになっちゃってさ、まあ俺くらいの歳になるとね、レファレンスとかカウンター業務は面倒、なんて人多いけどね、俺はこの仕事好きだからさ、いやあ、どうしたもんかなあ、なんて思ってるときに、この屋台の話が出てね。だから俺、一も二もなく飛びついたわけ。

――レファレンスの仕事って、やはりやり甲斐があるのですか。

そうね、やっぱ、お客さんのね、読みたいッて思ってた本をビシッと紹介できたッ、と思うときはね、こたえらんないね。麻薬みたいなもんでね、こればっかりは、一度その味を知ったら、もうやめらんないね。
ただ、俺がタッチすんのは、基本的には、貸し出すときだけで、お客さんが本返すときカウンターにいるのは、たいてい違う人でしょ。だから、どんなピッタリな本をすすめることができても、「ありがと!おもしろかった!」なんて言ってもらえることは、あんまりない。まあ、報われないっちゃあ報われない仕事だわなあ。
それを思うと、ほら、この屋台では、どうだい。本を借りたお客さんが、目の前で読んで、その場で返してくれるわけでしょ、さっき出てったお客さんみたいに「ありがとう」なんて言ってくれる人が、いっぱいいるわけ。まあ、やっぱ嬉しいわなあ。ま、でも、お礼なんか言われなくても、夢中になって本を読んでるお客さんの表情をね、チラッと見られるだけでもね、けっこう満足、充実だね。

――お客さんにはどんな人が多いのですか。

そうさねえ、ま、俺が回ってんのは、このあたり、神田から大手町、丸の内近辺だから、お客さんのほとんどは、サラリーマンだわな。それもまあ、このご時世、景気のいい人は、勤め帰りにこんな屋台なんかに寄らないからねえ。たいていの人が、ぐったり疲れてるか、ぴりぴりしてるか、どっちかで。ま、でもそんなお客さんが、ここで一編読んで、ちょっと元気になって、帰ってく。それが俺にとっちゃ、うれしいことだわな。
そうそう、一週間前くらいかな、こんなお客さんがいたんよ。「心にしみるような、とっておきの一編、ないかい」っていうオッサンなんだけど、その顔が、もう真っ青、っていうか真っ白でね、うーん、死相っていうんじゃないだけど、生きているようで生きてないような。俺それでね、ピンと来たわけよ、この人、これから自殺するんじゃないかって。死ぬ前の最後の一編に、何か読もうと思ってるんじゃないかってね。
で、俺は、ちょっとこれは賭けだったんだけど、そのときお客さんにすすめたのがさ、これ、この前入れたばっかのジュンパ・ラヒリの短編集「見知らぬ場所」の表題作。どうかなー?って思ったんだけど、読み始めたそのオッサンの頬にね、だんだんと赤みがさしてくるわけよ。で、読み終わって、オッサンしばらく放心したみたいにぼうっとしてね、そのあと、なんだか恥ずかしそうにちょっと笑って、「いい話だった」って、それだけ言って、出てったんだけどね。たぶん、あんまし思い詰めるのはよくないかなって気持ちになったんじゃないかなって、思う。まあ、お客さんに直接聞いたわけじゃないから、ホントにそのオッサンが自殺しそうだったか、ホントに自殺やめたか、わかんないよ。でも、俺としちゃ、うーん、屋台やってよかった、本の力もまだまだ捨てたもんじゃないぜ、なんて思ったわけよ。

――いい話ですね。お客さんがリクエストする本は、やっぱりそうした元気が出るような、いい話が多いんでしょうか。

まあ、ほとんどがそうね。去年のリーマンショック以来はねえ、やっぱ、心あったまる話、ほっとする話、スカッとする話、それから前向きにがんばれるような話、なんていったリクエストが多いかなあ。山本周五郎とかO・ヘンリとか奥田英朗のユーモア物とか、足立倫行のルポとか岸本佐知子のエッセイとか、そのへんの明るめのラインナップが中心になってるよね。
俺としては、まあ、もうちょっと景気がよくなって、「キュッと身がひきしまるような一編を」「山椒は小粒でも的にヒリリと皮肉の利いたやつを一編」「人生の深淵をのぞくような短編を」なんてリクエストが多くなる日を待ってるんだけどね。まあ、せっかく本読むんだから、感動感動ばっかじゃ、つまんないからさ。ほら、ヘンリー・ジェイムズの「荒涼のベンチ」とか、モロワの「タナトス・パレス・ホテル」とか、すすめたいわけ‥‥。

「うぃー、おやっさん、大根とはんぺんと玉子、それと熱燗ひとつ」

あ、ちょっと、お客さん、すんませんねえ、ここ、屋台っていっても、図書館なんで、おでん屋じゃないんすよ。

「えっ、何、ないの? おでん、ないの?」

いや、うち、図書館なんで、おでん、元からないんすよ。すんませんねえ。

「おでん、品切れなの、えっ、そうなの? ないの?」

ええ、図書館ですからねえ、ホントに、すんませんが。‥‥あ、お客さん、ちょっと、そんな悲しい顔しないで。あ、ちょっと、泣かなくてもいいから。‥‥あーあ、もう、しょうがないすねえ、おでんはないんすけど、かわりにこれでも読んでってはどうですか、北大路公子のエッセイです。「最後のおでん」。
posted by 清太郎 at 07:04| Comment(7) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

読み聞かせカフェ

メイド姿や浴衣姿の女の子が膝枕で耳かきしてくれるお店、なんていうのがちょっと前に話題になりましたよね。
秋葉原くらいにしかないのかと思っていたら、先日、地元の駅前にも看板が出ていて、驚きました。けっこういろんなところにあるのね。

ということで、耳かき店が普及(?)してきた今、そろそろ、これの本バージョンが出てきてもいいと思いませんか。
ずばり、
「読み聞かせカフェ」
です。
「メイド服や浴衣の女の子が、本の読み聞かせをしてくれる」
というお店。
「え、それだけ?」
とお思いかもしれませんが、いや、でも、ほら、かわいい女の子が本を読んでくれるんですよ。一対一で、あなただけのために。
お店に入ると、店内はガラス張りの個室に分かれていて、個室にはそれぞれ、ひとり掛けのソファと小さなローテーブル、その脇にスツールが置いてあります。
お客さんがソファに腰掛けて待っていると、
「お待たせしましたぁ。ユキナでぇす。今日は、何をお読みしましょうか」
とメイド服または浴衣姿の店員さんが入ってくるので、持参した本を手渡し、読んでもらいたいところを指定する。
女の子はスツールに座り、軽やかに澄み切った声で、あるいは情感あふれるしっとりした声で、朗々と読み聞かせてくれるのです。
読み聞かせをしてもらってる間、女の子を鑑賞し放題、という点もひそかに評判です。
「別に本とか興味ないけど、かわいい女の子を好きなだけ凝視できるんで‥‥、ハアハア」
というお客さんも、3割くらいいます。

店員の女の子は、意外にも漢検準1級くらいは持っているので、読めない漢字で詰まったりしませんよ。泉鏡花だろうと源氏物語だろうと、よどみなく、すらすら読んでくれます。
あ、でも、ひとりくらいは、難しい漢字が読めないドジっ娘仕様の店員さんがいてもいいですね。
「‥‥えっと、あ、あの‥‥、これ、なんて読むんですか?」
と頬を染めて恥ずかしそうに聞いてくるので、お客さんは、
「どれどれ、どこかな」
なんて身を乗りだして、読み方を教えてあげるのね。
「はわわ、すごぉい、こんな難しい漢字、よく知ってますねぇ」
なんていわれるのも、まんざらではありません。
いや、これ、ひとりじゃ足りないですね、店員さんの半分くらいはこの仕様のほうがいいかも。

本は、原則的には持ち込みで。
手持ちの本がなくても、お店の本棚には太宰治「女生徒」や北村薫の《私》シリーズなど、それっぽいラインナップが揃っているので、そこからチョイスするのもいいでしょう。
過激なポルノ小説などはNGですが、お客さんの多くは意識的に、エッチな描写の多い小説を持ってきます。超能力青年が時間をとめて女の子の服を脱がせまくってしまうニコルソン・ベイカー「フェルマータ」(白水社)の、さらに作中で主人公が書いたポルノ小説の部分などを読んでくれるかどうかは、その場で店員さんと交渉してください。
ちなみに、エッチなシーンおよび怖いシーンが含まれていた場合、後で追加料金をいただくことがあります。

料金は、1時間3,500円くらいでしょうか(これでは安すぎるか?)。
指名料1,000円。
基本は和服またはメイド服ですが、追加料金を払えば、セーラー服やパジャマなどに着替えてくれます。胸元の開いたシャツとかスクール水着とかはさらに料金上乗せ。

もちろん、こんな男子向けサービスだけじゃなくて、女子向けもありますから、ご安心を。
代々木アニメーション学院なんかに通ってる声優志望のそれなりに見た目もいい男の子が、甘い声で読み聞かせてくれますよ。腐女子のかたは、お気に入りのBL小説を持ち込んでください。

とかいって、ふたを開けてみると、お客さんのほとんどが、さいきん眼がしょぼしょぼして本が読めないという熟年世代だったりして‥‥。
posted by 清太郎 at 21:17| Comment(9) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

渡辺淳一「孤舟」が熱い!

「失楽園」は未読で、「愛の流刑地」は新聞紙上でチラチラと見つつもさしておもしろいと思えず、与謝野晶子・鉄幹を題材にした「君も雛罌粟われも雛罌粟」は気になりつつも「でも作者があの人だからなあ」という理由でなかなか手にとることができず‥‥。
ということで、これまでまるで興味の対象外だった渡辺淳一。

死ぬまでに一作品も読まなかったところで後悔することもないだろう、と思っていたわけですが、いやはや、長い人生何が起こるかわかったものではありません。
今、いちばん続きが気になっている小説、それがまさに渡辺淳一なのです。
「孤舟」
という作品。

といっても、ここを読んでるかたのほとんどは、
「へ? 渡辺淳一、そんなの連載してるの? どこで?」
と思うんじゃないでしょうか。
掲載誌は、「marisol(マリソル)」という女性誌です(ウェブで全部読めます→こちら)。川原亜矢子が表紙の、まあいわゆるアラフォー世代向け女性誌。
「え、なんであなたそんな雑誌読んでるんですか、実はアラフォー女子なんですか」
なんてことはさておき、とにかく、これに昨年の秋から連載されてる、
「孤舟」
これが、熱いのです。
もう、ホント、熱い。
毎回、こぶしを握りしめ、毎回、ハアハア。
毎回、読後は深いため息。

どういうストーリーなのか説明しますと‥‥。
「あっ、待って、いわなくてもわかるって。渡辺淳一でしょ。どうせ、ちょっと裕福な中年男が色っぽい年増とあーんなことやこーんなことになっちゃうんでしょ」
などと早合点する人がいることでしょうが、いやいや、待ちなさい、そんな内容だったらこぶしを握りしめたりハアハアしたりするわけがないでしょう。

連載第2回に紹介されている「前回のあらすじ」を引用すると、
《ほぼ一年前、大手の広告代理店を定年退職した
 大谷威一郎。待っていたのは、
 彼が思い描いていた生活とは、ほど遠く――。》
主人公は還暦過ぎです。
で、「ほど遠く」なんていいながら、どうせいずれ色っぽい年増と出会っちゃったりするんでしょう、と思うかもしれませんが、1回とばして今年1月号、連載第4回の〈今までのあらすじ〉は、これ。
《約一年前、意に染まぬ子会社社長の席を蹴って、
 大手広告代理店を定年退職した大谷威一郎。待っていたのは、
 家族からも疎ましがられ、友だちや趣味も見つからず、
 毎朝、どこへ行こうか途方にくれる日々だった。》
第3回までは、年増女の影なし。いいことなし。
まあでも、あれでしょ、とりあえず最初のうちはもったいぶってるんでしょ、最初のところでダメっぷりを見せ付けておいて、意外にその姿が、年増女に受けたりするんでしょ、と思うかもしれませんが、最新の3月号、連載第6回の〈今までのあらすじ〉は、
《約一年前、意に染まぬ子会社社長の席を蹴って、
 大手広告代理店を定年退職した大谷威一郎。待っていたのは、
 家族からも疎ましがられ、友だちや趣味も見つからず、
 毎朝、どこへ行こうか途方にくれる日々だった。》
‥‥まったく変わりなし。

ということで、この「孤舟」、今までのところ、「定年退職後に途方にくれる小説」なのです。色っぽい年増女なし。当然、色っぽいラブシーンもなし。
「そんな小説のどこがハアハアなのか、どこに深いため息なのか」
という人がいるかもしれませんが、いや、もう、それが、すごいんですってば。ハアハアなんですってば。
会社員時代にはブイブイいわせて家に帰ったら「フロ」「メシ」だけだった、という驕り高ぶったニッポンのお父さん、そのプライドが惨めに踏みにじられ、鼻っ柱をぶち折られ、虐げられ、屈辱にまみれ、哀れに屈服し、ひざまづき、土を舐める、そのありさまが、もうたまらんのですわ。ハアハア。

たとえば、第2話。
《これまで四十年近くにおよぶ会社人生で培ってきた経験豊かな自分が、この程度の簡単な職場で働くことなんてできはしない》と、傲岸にも求人のえり好みをしている威一郎には、もちろんいい再就職の口はありません。面接会場でプライドを傷つけられ、打ちのめされて帰宅します。
汗をかいたので、お風呂に入って頭を洗おうとするわけですが、
《シャンプーの容器を手にとって頭に振りかけたが、中身がほとんど出てこない。
 どうやら空のようである。》
悪いことは重なるもので、がっくしです。
《「おーい」
 呼んでも、やはり返事がない。》
妻も、無視。勤めている頃には、こんなことはなかったのに‥‥。うぎぎぎ、と唸る威一郎。
妻の不注意をとがめようとして、
《「俺のシャンプーがないんだ」
「あら、すみません。今度、買っておくわ」
「それだけか‥‥」と喉元まででかかったのを抑えると、妻は再びテレビを見ている。》
なんだ、妻のやつ、いい気になってるんじゃないのか、と文句をいうと、逆ギレされ、
《「正直いえば、お風呂の掃除くらいは手伝っていただきたいわ」
「俺に、風呂を洗えというのか‥‥」》
あっという間に返り討ち。っていうか、「俺に、風呂を洗えというのか‥‥」という思い上がりっぷりが、滑稽でたまりません。
で、読者は、このあたりでちょっとゾクゾクしてきます。ようし、いいぞう、こんな男、もっといじめてやれ。うふうふ、威一郎、身の程を知るがいい‥‥。
そうして妻に押し切られた威一郎は、素直に風呂掃除をすることになり、
《まず洗剤を手にして、容器の裏の説明書を読もうとするが、字が小さくて読めない。》
ああ、もう、いきなり、しょんぼり。この情けなさがいい!
《「おい、眼鏡を持ってきてくれ」
「それより、まずやってみてください」》
強気の妻は、相手にしません。ぐふふ、いいぞいいぞう。
《この年齢では、思っていた以上に大変だが、それにしても、妻や娘が入る風呂を掃除するとは‥‥。
 これでは、浴室の掃除係になったと同じではないか。》
ああ、もう、この天然の勘違いっぷり、たまりません。もうあなたはね、役員でも何でもないのよ、ただの還暦過ぎの、家ではまったく役に立たないしょぼくれ男なのよ! ぐふぐふ、ぐふふふふ。
風呂掃除のあと威一郎は、先日の出来事、会社時代の部下に会ったときに「結構、忙しくてね‥‥」などと見栄を張ってしまったことを思い出して、われながら情けなくなり、
《傾いていく西陽を見ているうちに、威一郎の眼に自然に涙が滲んでくる。》
夕日を見ながら涙。風呂掃除して、涙。うふふふ、いい、たまらなく、いいキャラだわ、威一郎。

あるいは、第5回。お正月の出来事。
退職して2回目のお正月には、年賀状は激減。妻からは《「六百枚も印刷したのにどうするの」》といたぶられます。
特に寂しかったのが、《数回、一緒にホテルに泊まったことのある》銀座のクラブ「まこと」のママからの年賀状。《はっきりいって、大阪の子会社に行かないかといわれて断ったのも、このママに逢えなくなるのが一つの原因でもあった》などと入れ込んでいるママです。
彼女からの年賀状、昨年は《ママの写真の下に達者な字で、「お変わりありませんか」と記されていた。》
それが、今年はどうか。
《それから一年経って今、再び届いた賀状には「賀正」という印刷された文字と写真がのっているだけで、自筆の文字はなにもない。》
ああ、威一郎、哀れ。純情すぎ。
《「一言くらい、書けなかったのか」
 写真のママにいってみても、もちろん言葉は返ってこない。》
なんだか哀れを通り越して、何やら愛しくなってきます。うふうふ、もっともっと、ひどい目にあえ‥‥。

最新の第6回では、だんだん卑屈になってきた威一郎は、妻のご機嫌をとろうとハワイ旅行に誘ってみます。(このご時世に退職後のハワイ旅行なんていってるあたり、読者の反感が増すばかりで、さすが威一郎、素敵です。)
もちろん、妻、即座に拒否。やたー。
退職後すぐに行った京都旅行で、
《「あのとき、お父さんはお土産を買っても手を差し延べてくれなかったでしょう。重くて肩が凝ってしまったのに……」》
などと、これまでのダメ夫としての所業が次々と暴き出されます。ああ、もう、サイテー。
俺はカメラ係だったから、と反論すると、
《「カメラだって、ほとんど撮ってくれなかったじゃありませんか」》
ぎゃふん。
《旅館でも“フロ”“ネル”っていうだけ》の夫の面倒を、旅行に行ってまでみたくない、と妻は威一郎をバッサリ切り捨てます。いいぞいいぞう、もっと言ってやれ、ぶちのめしてやれ。
思い返してみると、退職直後、映画に誘ったときも、威一郎は妻に断られていました。
《当然、喜ぶと思ったが、妻はあっさり、「気がすすまないわ」とつぶやいた。》
映画すら一緒に行きたくないんだって。うひひひ、いい気味。
妻が拒否した理由は、
《「お父さん、ときどき、所かまわず大きなくしゃみをするでしょう」》
ということで、なんか、もう、男として、ダメな感じ。むふふふ。
娘の美佳も妻を応援して、
《「それって、KYよね」》
冷たいひと言。ぐひぐひ。
そして今回の旅行拒否。ずたぼろになった威一郎は、
《とにかく今更、こんなことが問題になるところをみると、この三十年間、俺たち夫婦はなにをしてきたのか。》
と、またしても途方にくれるのでした‥‥。

いかがですか、なんだか気になってくるでしょう。こんな内容だったら、毎回ハアハアというのも、おわかりでしょう。
次回、威一郎はどれほど無様にぶちのめされるのか、妻からいかなる仕打ちを受けるのか、気になってしかたがありません。
今後の展開の予想として、ますます卑屈になっていく威一郎は、いつしか妻のきついひと言を、心ない仕打ちを、無意識のうちに求めるようになり、やがてマゾとして目覚めていき‥‥、一方で夫の定年まで自らの本性を包み隠してきた妻は秘めたる資質を開花させ、さらに娘の美佳も加わって、ここぞとばかりに渡辺淳一の華麗な筆が冴え渡る、
「家族変態SM小説」
になるのではないかしら、と思っています。「愛の流刑地」で首を絞めたりして変態プレイを展開させた渡辺淳一の新たな境地‥‥。
惨めな牡豚と成り果てた威一郎に、首輪がはめられる日が待ち遠しいです。
posted by 清太郎 at 06:57| Comment(6) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月05日

図書館の屋台

不況やら派遣切りやら、何かと荒んだ世の中ですが、こんなときにこそ、われらが、
「本」
の出番があるというものです。
一杯の酒で心の渇きを癒すのもいいですが、一冊の本に心なぐさめられるのも、いいでしょう。

たとえば、日々リストラの影におびえる年配のサラリーマンが、今夜も疲れた足取りで、駅へと急ぐその途中。
駅前広場の片隅に、見慣れない屋台が出ているのに気づきます。
よく見かける焼き鳥やおでんの屋台ではない、その屋台の赤いのれんに、白く染め抜かれているのは、
「図書館」
の文字です。
何だろう、と遠慮がちにのぞいてみると、おでん屋の屋台であればおでん種のケースがある場所に、本がぎっしり。古本屋の店頭に置かれた百円均一本ワゴンのようなあんばいです。
本のケースを挟んで、ごま塩頭のしょぼくれた店主がひとり。暖簾の間から顔をのぞかせたサラリーマンに、そっとうなずいて挨拶します。
ハハアと思ったサラリーマン、ためしに、
「おやっさん、なんか、こう、ふんわりあったまるような、心洗われるような本、あるかい」
と、声をかけます。
店主のオヤジ、見た目はかようにしょぼくれてますが、実はこの道40年のベテラン司書なんですね。Googleなんてなかった時代に次々と利用者の相談に応えてきた彼にとって、こんなリクエストはお茶の子さいさい。
黙ったまま2、3秒、本の列に目を走らせると、やおら一冊の文庫を取り出し、ぱらぱらとめくってページを開いて、サラリーマンに差し出します。
そこに載っているのは、たとえば、
「シモンのとうちゃん」
新潮文庫の「モーパッサン短編集(2)」の一編です。
サラリーマンは本を受け取ると、やや半信半疑の面持ちでイスに腰掛け、おもむろにその短編を読み始めます。そうして20分後、読み終えた彼は、静かに目を閉じて、ポケットからハンカチを取り出し、そっと目頭をおさえると、本をオヤジに返します。
「やあ、いいもんを読ましてもらったよ」
オヤジは静かに目礼を返し、立ち去るお客さんを見送ります。
あるいはまた、サラリーマンと入れ替わるように暖簾をくぐって入ってきたフリーター風の若い女性が、乱暴にイスに腰かけながら、かみつくように、こう言います。
「あーっ、もう、ホントにムシャクシャする! おじさんっ、なんか、こう、スカーッ!とする話ない?」
もちろん、この道40年の腕前を誇るオヤジに、躊躇はありません。
新潮文庫の山本周五郎、
「ひとごろし」
をサッと取り出すと、表題作のところを広げて、差し出すのです。

この図書館の屋台、毎日決まって同じ場所に出る、というわけではありません。その日の天気やオヤジさんの気分によって、駅の東口だったり西口だったり、隣駅だったり、あちこち移動します。
そんなこともあって、残念ながら、閲覧は館内(?)だけ。貸し出しサービスはおこなっていません。
ただし、図書館ですから、無料で利用できるのがいい。心と一緒にフトコロもさびしい現代人にぴったりの、やさしいサービスです。

本を読むだけではなあ、なんだかなあ、どうせなら飲み物とかちょっとつまむものとか、あるといいんだけどなあ、有料でもいいからさ、という人は、
「図書館バー」
へどうぞ。カウンターの向こうにギッシリ本が詰まった本棚が並ぶこのバーならば、グラスを傾けながら、本が読めます。
常連になれば、
「マスター、いつものを」
と言うと、いつものギムレットと一緒に、前回読んだところにしおりが挟んである「フォルトゥナータとハシンタ(下巻)」などをそっと差し出してくれることでしょう。
posted by 清太郎 at 09:19| Comment(3) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

本の伝染病

※今回はやや品のない内容なので、女子中学生のかたはご注意ください。

本に伝染病が流行ったとします。
本を介した伝染病、ではありませんよ。本に感染する伝染病です。
人には無害ですが、本を手に取った人を介して、あるいは本と本が直接触れ合うことで伝染する、とします。
「何を荒唐無稽な」
などと侮ってはいけません。日進月歩の勢いで進化するバイオテクノロジーやナノテクノロジーは、両刃の剣。その暗黒面として、将来、
「無生物に感染するウイルス」
なんてものが生み出されないとは限らないのです。(現にパソコンだってウイルスに感染するわけだし。)
ウイルスに感染した本には、そうですね、たとえば、
「人名がすべて、スヴィドリガイロフになる」
という症状があらわれます。(スヴィドリガイロフは、「罪と罰」の登場人物です。)
これは怖い。この病気にかかったが最後、メロスもロミオも駒子もミス・マープルも涼宮ハルヒもスネ夫も、老若男女みんながみんな、ぜーんぶ、スヴィドリガイロフになっちゃう。(マンガの場合は絵があるからまだマシかもしれませんが、マンガだけに感染する「登場人物がすべてジャイアンになる」伝染病が発生しないとも限りません。)
名作の感動シーンも緊迫の場面も、台なしです。
《河原のいちばん下流の方へ州のようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。スヴィドリガイロフはどんどんそっちへ走りました。するとスヴィドリガイロフはいきなりさっきスヴィドリガイロフといっしょだったスヴィドリガイロフに会いました。スヴィドリガイロフがスヴィドリガイロフに走り寄ってきました。
「スヴィドリガイロフ、スヴィドリガイロフが川へはいったよ。」
「どうして、いつ。」
「スヴィドリガイロフがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとスヴィドリガイロフがすぐ飛びこんだんだ。そしてスヴィドリガイロフを舟の方へ押してよこした。スヴィドリガイロフはスヴィドリガイロフにつかまった。けれどもあとスヴィドリガイロフが見えないんだ。」》
もう、なにがなにやら。(「銀河鉄道の夜」の終盤です。)

こんな伝染病が流行ったら、どうするか。
もちろん、ワクチンや治療薬の開発は急務でしょうが、とりあえず予防策として一般読者にできることは、
「カバーをつける」
これに尽きます。
本屋さんで、
「カバーどうなさいますか」
などと聞かれて、けっこうです、なんて断っている人は多いと思いますが、マナー上、もうそれは許されませんよ。必ずカバーつけなきゃなりません。
本屋や図書館はもちろん、同級生のタカシくんなどから、
「おい、タケダ、おまえ佐藤哲也の『沢蟹まけると意志の力』持ってるんだって? こんど貸してくんない?」
といわれた場合にも、
「いいけど‥‥、ちゃんと、つけてね」
ということになります。
ところがタカシくんはいい加減な男だったりして、カバーなんてうざったいと、こっそり外して読んじゃったりする。数日後、タカシくんに本を返してもらうと、タイトルがいきなり「スヴィドリガイロフと意志の力」。青ざめたタケダさんが慌てて本をめくると、ああ、なんたること、沢蟹まけるからイカジンジャーまで、キャラ全員がスヴィドリガイロフになっていて、
「ひどいっ、タカシのバカっ、ちゃんとつけてって、言ったじゃない! どうしてくれるのよ! 責任とってよね!」
ということになります。絶版本ですよ! タカシくん、ちゃんと責任とりなさい。

一部の識者からは、
「いい機会だから、紙の本は廃止して、ぜんぶ電子書籍にしちゃえば?」
という、まあ至極まっとうな意見も出ますが、しかしそうなっては本屋さんの立つ瀬がありません。
日書連などは、躍起になってカバー着用キャンペーンを展開することになりますね。着用強化月間には、駅や電車の中、街角に、ほしのあきがカバーを手にした、
「ちゃんと、つけてる?」
なんていうキャッチコピーのポスターがあふれることになります。

多くの読者のかたは、マナーを守って、ちゃんとカバーをつけることでしょう。しかし、本は単なる紙の束ではありません。
「あの表紙の感触、つるつるした、あるいはザラザラした、その本独自の表紙の感触を楽しみながら読んでこそ、真の読書というものです」
「カバーをかけて本読むくらいなら、ケータイで読んだほうがマシ」
「本はナマに限る」
という「ナマ読み派」が必ずいるはずです。
本屋さんもいろいろ配慮して、そちら方面に強いメーカーなどと協力して、業界最薄、厚さわずか0.02ミリの、
「極薄カバー・ジャストフィットうすうす」
などを開発したり、あるいはまた店頭で色っぽい女性店員さんが、
「うふふ、お口でつけてあげる」
と特別サービスしたりするわけですが、ナマ読み派を根絶するにはいたりません。マラリアを媒介する蚊のように、ウイルスの媒介者が存在する限り、病気の根絶は難しいでしょう。
ああ、あやうし、本屋さん。

しかしまあ、考えようによっては、こういう危難の最中にこそ、本読みとしての真の力量と真の愛情が試される、というものです。歳寒うして然る後に松柏の凋むに後るるを知る、というやつですね。
伝染病に罹患し、登場人物の名前がすべてスヴィドリガイロフになってしまった吉川英治「三国志」などを手にして、
「それでも僕は、この本を読み続ける!」
と天に向かって絶叫してこそ、真の本読み者といえるのかもしれません。
posted by 清太郎 at 07:20| Comment(11) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月26日

ライトノベル「高慢と偏見」

先日の「ハーレクインにする」の末尾に、
「ラノベにする」
というのもありなのでは、と何気なく書いたわけですが、後であらためて考えてみたところ、ありどころか大いに推奨!のような気がしてきました。
ラノベにする、といっても、もちろん、内容はそのままですよ。話をつくりかえて、たとえばラスコーリニコフに殺された老婆ふたりがゾンビとなってよみがえったりすることには、なりません。あくまで、見た目だけ、の話です。
しかし、見た目だからって、バカにはできません。「人は見た目が9割」といいます。本だって見た目が、たぶん8割くらい。ちょっと難しそうな文学作品でも、人気の漫画家が表紙イラストを描いたりするとジャンジャカ売れることがある、というのは集英社文庫の「人間失格」が証明したとおりです。

ただ、「人間失格」や、あるいは昨年の「こころ」や「地獄変」、「伊豆の踊子」などは、表紙のイラストを差し替えただけでした。
ほかはすべて、タイトルも裏表紙のあらすじも、もちろん中身も、すべて旧来のまま。カバーを外してしまえば、これまでの「人間失格」や「こころ」と何ら変わりがありません。
それでは、つまらないのではないか。
どうせなら、本文中にも挿絵をいっぱい入れ、裏のあらすじももっとおもしろそうにして、タイトルは、まあ日本の作品を改題することはできませんが、海外の作品ならば邦題をアレンジしてみる。そのくらいのことをしてもいいのではないかしら。
「何をいう、小賢しい。文学作品は、中身で勝負だ!」
などと正論を吐く人がいるかもしれませんが、しかし今の時代、なりふり構っているわけにはいきません。本だって、所詮、商品。どんなに優れた作品も、読者が手に取らなければ、読まれることはないのです。それに、美麗な挿画を載せたりして、モノとしての本の価値を高めれば、電子書籍にも対抗できるはず。
何より、中身で勝負できる作品こそ、一度手に取らせてしまえばこっちのもの、なんです。可能な限りハードルを低くして、十代の若い子の嗜好にドカンとうったえるような体裁を考えてもいいのではないでしょうか。

たとえば、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」。
映画「プライドと偏見」や「ジェイン・オースティンの読書会」のおかげで、これが恋愛小説であることを知っている人は増えたことでしょう。内容は、もう思わず足ジタバタ級の王道ラブコメ。ラノベにするにふさわしい作品ですが、しかし、何も知らない女子中学生が岩波文庫の棚に並んでいるこの作品を見て、
「わ〜、おもしろそう〜!」
と手に取るとは思えません。
それを、ラノベ好きの十代の子でも思わず手に取っちゃうようにするには、どのような体裁にしたらいいでしょうか。

まず、タイトル。
「高慢と偏見」あるいは「自負と偏見」では、いかにも硬い。「高慢」も「自負」も「偏見」も、いずれもいかめしいですね。親しみやすいのは、「と」の字だけです。
私は十代のころ、本屋さんに並んでいる背表紙だけ見て、何やら哲学的な難解な作品だと思ってました。(ついでに作者のことも男だと思ってた。オースティンって言語学者もいるし。)
このタイトルを何とかしたいものです。若い子が親しめるようなものに変えたい。
もちろん、文学作品の翻訳ですから、いきなり、
「涼宮ハルヒの高慢」
「ハリー・ポッターと自負と偏見」
などにするわけにはいきません。ここはひとつ、われらが日本語の必殺技、
「四文字の短縮語にする」
という手を使ってみましょう。マンガやアニメでも常套手段のようだし(「キミキス」とか「かのこん」とか「つよきす」とか)。
「高慢と偏見」を短縮すると、こうなります。
「こうへん」
‥‥。
うーん、なんだかイマイチっぽい‥‥。肝硬変を連想しそう。
あるいは、「自負と偏見」を縮めることにして、
「じふへん」
‥‥。
これも、ダメっぽい気が‥‥。
たぶん「へん」がいけないのだ。
あたまの二文字をとるんじゃなくて、こうしてみるとか。
「こまへけ」
‥‥。
短縮語にする、というのは、無理だったかも‥‥。

いや、それなら、原題「Pride and Prejudice」をそのまま縮めればいいのではないか。
「プラプレ」
あ、なんとなく、いけそうな気がしてきました。
どうせなら、ひらがなにして、
「ぷらぷれ」
おお、なんだか、ラノベっぽくなってますよ! タイトルはこれでいきましょう。

さて、タイトルが決まったら、表紙ですね。
ラノベは表紙が命。ちょっと萌えな感じの、それっぽいイラストがなければ、正しいラノベとはいえません。
ということで、試しに描いてみました。
これ。

表紙(帯なし)GIF変.gif

‥‥萌え絵っぽくしようとがんばったんだけど、なんだか世界名作劇場テイストになってしまった‥‥。(アニメ絵風に影をつけてはダメだったのかしら。っていうか、描き方がそもそも古いのかしら‥‥。絵描くのって、難しいのね。)
ラノベファンのかたからは、
「こんなの、ラノベとはいえません」
とバッサリ切り捨てられそうですが、まあ、そこはそれ、ここにお好みのイラストレーターさんの絵が入っていると思ってください。
で、どうせなので、帯もつけてみました。
こんな感じ。

表紙(帯あり)GIF変.gif

あ、なんか、ちょっと、あなた、なんとなく、ラノベな感じじゃありませんか?
これでもっと絵が萌えな雰囲気ならよかったのですが、まあ方向性は間違ってないはずです。

そして、裏表紙には、あらすじ。
これももちろん、ラノベ風にライトな感じにしたいものです。
以下のようなのは、ダメです(ちくま文庫の新訳「高慢と偏見」)。

「元気はつらつとした知性をもつエリザベス・ベネットは、大地主で美男子で頭脳抜群のダーシーと知り合うが、その高慢な態度に反感を抱き、やがて美貌の将校ウィッカムに惹かれ、ダーシーへの中傷を信じてしまう。ところが…。ベネット夫人やコリンズ牧師など永遠の喜劇的人物も登場して読者を大いに笑わせ、スリリングな展開で深い感動をよぶ英国恋愛小説の名作。」

‥‥あらためて引用してみると、このあらすじ、なんだかひどいですね。「元気はつらつとした知性」の持ち主のはずのエリザベスが、単なる軽薄女にしか見えません。
この物語のポイントのひとつ、若草物語を上回る「五人姉妹である」という点を含めつつ、たとえば、こんな感じではいかがでしょうか。

「女だらけの五姉妹で今日もにぎやかなベネット家。彼女たちが暮らす田舎町に、美形の青年資産家ビングリーが別荘を借りて引っ越してきたから、さあ、たいへん! 娘たちのひとりをビングリーとくっつけようと、五姉妹の母ベネット夫人の大奮闘が始まった! ある晩、舞踏会で、次女リジーはビングリーの親友ダーシーと出会う。第一印象は、「何この男、チョー最悪!」。でも、運命は、やがて二人を‥‥! 世界文学史上最強の「ツンデレ×ツンデレ」カップルが高慢と偏見の限りを尽くす王道ラブコメ、堂々の開幕!」

翻訳は、できれば新訳あるいは改訳で、原文に忠実というより日本語としてわかりやすい表現にしたいところです。
挿絵も、なるべくふんだんに。カラーの口絵があってもいい。
最初のところには、イラスト入りで登場人物紹介があってもいいですね。
たとえば‥‥。

002リジー.gif
リジー(エリザベス)
ベネット五姉妹の次女。知的だが、思い込みが激しい頑固者。はじめはダーシーの高慢な態度に反発するが、やがて‥‥。

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ジェーン
ベネット五姉妹の長女で、誰もが認める美女。無垢で世間知らずでほわーんとしていて、見た感じちょっとオツムのほうがトロそうで、それでいてカラダのほうはけっこうムチムチでボインボインだったりして、見ていてハラハラしちゃうのだけど、実はわりとしっかり者で面倒見がよい保母さんタイプ。ビングリーに惹かれる。

003メアリー三女.gif
メアリー
ベネット五姉妹の三女。容姿にコンプレックスを持っており(でも、ふたりの姉が美人過ぎるだけなので、メアリー本人もかなりかわいいはず)、おかげで性格がひねくれている。本ばかり読んでいて知識をひけらしたがる本オタク。

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キティ(キャサリン)
ベネット五姉妹の四女。主体性に欠けていて、妹のリディアに引きずられっ放し。頭の中にあるのは常に、男、および結婚。

005リディア五女目色変更.gif
リディア
ベネット五姉妹の五女。16歳。性格は母親似で下品。バカで出しゃばりで自己チューで、なおかつアクティブ。後にとんでもないスキャンダルを起こす。

他にもベネット夫妻や、ダーシー、ビングリー、ウィカムやコリンズ牧師などがいるわけですが、力尽きたので省略。ともあれ、こうして絵が入っていたほうが、読者の想像を多少阻害するというデメリットはあるにせよ(「メアリーは眼鏡っ娘じゃないやい!」とか「キティたんはツインテールのはず!」とかいった意見があるでしょうし)、とっつきやすいんじゃないかと思います。

‥‥と、まあこんな感じの見た目にして、ライトノベルコーナーに平積みにしておけば、文学なんてものに縁がなかった中高生も、間違って買っちゃうはずです。
そうして、読み始めてしばらくして、間違って買ったことに気づくのですが、時すでに遅し! そのころには続きが気になって、やめられなくなっているはずです。

この「高慢と偏見」のように、見た目は取っ付きにくいけど、中身は中高生にもやさしくて、しかも、もう大興奮の七転八倒! という作品は、「ジェーン・エア」やら「トム・ジョウンズ」やら「危険な関係」やら「いいなづけ」やら、まだまだいっぱいあるわけですから、光文社古典新訳文庫に対抗して、
「クラシカルライトノベル文庫」
とか何とか、こんな感じの文庫シリーズにしてもいいのでは、と思います。
新潮社あたりで、実現しないかしら。
posted by 清太郎 at 23:46| Comment(8) | TrackBack(1) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

【太宰治生誕百年記念】太宰治体感旅行

昨年は、日本近代文学史に燦然と輝く国木田独歩の没後百年という節目の年だったというのに、赤毛のアン百年や源氏物語千年紀に比べて、というか比べずとも、さっぱり盛り上がることがありませんでした。ガッカリです。
しかし、今年は違いますよ。独歩よりも圧倒的にファンが多い太宰治の生誕百年なのです(中島敦、埴谷雄高、大岡昇平、松本清張の生誕百年でもあるけど。太宰と清張って同い年なのね‥‥)。太宰ゆかりの各地(および太宰と何のゆかりもない各地)で、さまざまな太宰治関連イベントが開催されるはずです(たぶん)。もちろん、本ブログでも、これまで何度もネタ元としてお世話になっている義理もあることですし、全面的に支援しますよ。今年はつとめて多めに太宰関連ネタをアップしていきたいと思います。(もっとも、それだけの更新頻度があれば、なんだけど。)

さて、太宰関連のイベントとして、当然、
「太宰治ゆかりの地をたずねるツアー」
が企画されているはずです。太宰の生地である津軽の金木をめぐって(かなり観光地化されているようです。「走れメロス号」という列車が走っていたり、太宰ラーメンなんてものもあるとか)、名作「津軽」の乳母たけをしのびながら、八重桜の花をむしったり、あるいは「富嶽百景」の舞台となった天下茶屋(太宰が使った火鉢やら机やらが保存されている)に行って、月見草を摘んだり‥‥。
ただ、その程度では、筋金入りのダザイストは満足しません。っていうか、津軽や天下茶屋なら、生誕百年を待たずとも、とっくの昔に見物してきた、
「『富嶽百景』の井伏氏をまねて、三ツ峠でゆっくり煙草を吸いながら、放屁してきましたよ」
というファンも多いことでしょう。

そんな太宰ツウのために、もうちょっとマイナー作品にゆかりの、こんなツアーはどうでしょうか。
たとえば、
「太宰の名作『佐渡』を追体験するツアー」
「佐渡」といえば、男のひとり旅のしょんぼりな真実を凝縮した、まさに太宰の面目躍如たるしょんぼり紀行小説です。作中で太宰が味わったしょんぼりな気持ちを、リアルに体験してみるツアー。なんだかマニア心がそそられませんか。
新潟から船で佐渡に渡って、宿泊先の女中さんは選りすぐりの無愛想女。ためしに、
「内地へ、行って見たいと思うかね」
と質問すると、当然、答えは素っ気なく、
「いいえ」
のひと言。キターッ、「いいえ」キターッ! と、これだけでダザイストは悶絶です。
夕ごはんは、宿ではなくて、外の料亭で。その料亭が、作中通り、
《この料亭の悪口は言うまい。はいった奴が、ばかなのである。》
ああ、そしてそして、お待ち兼ねの芸者さん登場。もちろん、これも作中通り、
《君は芸者ですか? と私は、まじめに問いただしたいような気持にもなったが、この女のひとの悪口も言うまい。呼んだ奴が、ばかなのだ。》
うわー、しょんぼりだー! ダザイスト号泣。鼓腹撃壌。
「太宰と同じしょんぼりな気持ちを味わった!」
「僕と太宰の心が、今、時空を超えてつながった!」
「今、この瞬間、僕は太宰になった‥‥」
ダザイストの皆さんは、恍惚の表情を浮かべながら、満足して帰っていくに違いありません。

「名作『美少女』体感ツアー」
なんてのもいいですね。
太宰は昭和14年、井伏鱒二の媒酌で石原美知子と結婚すると、8ヶ月ほど甲府の新居で過ごしました。そこから歩いて二十分ほどの大衆浴場へ行ったときのエピソードを小説にしたのが「美少女」です。
温泉に入りながら、ダザイストに人気(たぶん)のこの作品を体感しましょう、というツアー。
宿泊先は、甲府・湯村温泉の「旅館明治」です。
この旅館で太宰は後年、「右大臣実朝」や「正義と微笑」を執筆したそうで、まあ熱心なダザイストの中には、
「そこだったら3年に1度は泊まりに行ってますけど」
と不満を漏らす人がいるかもしれませんが、まあまあ、だまされたと思って、ほら、ささっと、お風呂の方へ‥‥。
なんだかよくわかんないけど当時太宰が浸かった大衆浴場が、この「旅館明治」の大浴場になっているそう。
ウブな女子ダザイストのかたは、
「ああ、あたし、今、太宰と、時を超えて、時間差混浴‥‥」
と胸をときめかせるかもしれませんが、このツアーはどっちかというと男子向けです。
皆さんほどよく温まったころ、いきなりガラガラと戸が開いて、じゃじゃーん、待ってました、
《十六、七であろうか。十八、になっているかも知れない》
美少女の登場です。
もちろん皆さんダザイストですから、つつましく目をそらしたりしませんよ。
《私は、ものを横眼で見ることのできぬたちなので、そのひとを、まっすぐに眺めた。》
という太宰になったつもりで、思いっきり凝視です。
その美少女たるや、まるで作品から抜け出てきたかのように、
《一重瞼》
で、
《眼尻がきりっと上って》
《唇は少し厚く》
《野性のものの感じで》
《清潔に皮膚が張り切っていて、女王のようである》
その彼女が、
《ちっとも恥じずに両手をぶらぶらさせて私の眼の前を通る》
のである。
ああ。
《ぴちっと固くしまった四肢》
あああ。
《なめらかなおなか》
そしてそして、
《コーヒー茶碗一ぱいになるくらいのゆたかな乳房》
ダザイスト、鼻血。水しぶきを上げて、轟沈。

お金に余裕があるかたは、海外旅行もいいでしょう。
「走れメロス」ゆかりのシラクサ(シチリア島です)へ行く、
「お得なWプランで名作『走れメロス』を体感しよう! 素っ裸で街中を駆け抜けるメロスプラン&群衆の真ん中ではりつけにされるセリヌンティウスプラン」
などがおすすめです。
posted by 清太郎 at 09:03| Comment(7) | TrackBack(1) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月08日

猿蟹合戦でいいのか

えー、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

NHK大河ドラマ「天地人」の第1回視聴率が「篤姫」のそれを上回ったそうですね。
私も、本も読まずに呆けながら見るともなしに見ていたのですが、これはあれですね、直江兼続&上杉景勝といえば、兼続×景勝か、景勝×兼続か、頭の中でシミュレーションするだけで、
「ごはん軽く十杯いけます」
と名乗りを上げる猛者も多いという戦国王道カップリングで、ドラマの方もそのあたりをそれなりにわきまえたうえでのつくりに見えます。大河ドラマなのにこんなに腐女子向け企画でいいのでしょうか。
十代の頃「炎の蜃気楼」(読んでないのでよく知らなかったけど、同じ直江・上杉とはいっても信綱・景虎なのね)を読んで、いまだBLなどと呼ばれていなかったこの道に足を踏み入れ、研鑽を積み、そうして腐女子などと名がつく以前にきれいに足を洗ったはずの女子の皆さんがこのドラマを見て、結婚あるいは出産をきっかけに封印したはずのおぞましい黒い血が、
「私の身体の奥底で‥‥、再び、たぎろうとしている‥‥」
ということにならないか、心配です。
今から数カ月後、さいきん妻の様子がおかしい、週末にこそこそ出かけるし、メールの中身を隠すし、引き出しにいつの間にか鍵がかけられている、ということがあったら、浮気よりも前にBL同人を疑ったほうがいいかもしれません。

ともあれ、未曾有の経済危機が待ち受けている今年、消費のキーワードのひとつが引き続き「腐女子」であることは間違いないわけで、当ブログでもなるべくそのあたりをカバーしていきたいと思います。

ということで、テーマは脈絡もなく、猿蟹合戦。
猿蟹合戦でいいのか、である。
古来より我々は、猿と蟹が出てくるあの昔話を、猿蟹合戦、猿蟹合戦と呼び習わしている。そして、そのことに微塵も疑問を呈してこなかった。
猿蟹ではない、
「蟹猿合戦でもいいのではないのか」
という意見があってもよさそうなのに、まるで聞いたことがない。
猿蟹でも蟹猿でもどっちだっていいじゃない、などというなかれ。物語を味わうにあたって、そんななおざりな態度ではいけない。少なくとも腐女子のかたなら、なるほど猿蟹か蟹猿かでは大いに異なる、少なくとも兼続景勝か景勝兼続くらいの違いはある、と賛同するであろう。
そう、今、我々が必要としているのは、その繊細さなのだ。
猿蟹合戦の語に何ら疑問を抱かなければ、この物語は、文字通り猿と蟹の合戦の話でしかない。そこにはただ、争いが、憎しみがあるのみである。
だが、ここで「猿蟹合戦でいいのか」と疑問を持ってみよう。それによって何が起こるのか。

「猿蟹合戦でいいのか、蟹猿合戦でもいいのではないのか」と疑問を持つこと、猿蟹/蟹猿の順番にこだわることとは、ありていにいえば、腐女子目線を持ち込むことである。
「そんなことして何になるの」
「オレ腐女子じゃないからそんなことできません」
と思うかも知れぬが、いや、大いに意味があるのだ。腐女子目線を持ち込むことで、そこに争いと憎しみ以外のものが生まれるのだ。それは何であるか。
あえていおう、愛であると。

腐女子目線を持ち込むとは、猿蟹合戦の「猿蟹」を「猿と蟹の並列」ではなく「猿×蟹という関係」として見ることである。猿蟹合戦を、猿×蟹の物語として解するのだ。その瞬間、物語は、単なる争い、憎しみの物語を超越する。猿と蟹の間をつなぐのは、憎しみではなく、愛となる。
もちろん、それは世間一般からすれば、やや倒錯した愛かもしれぬ。Sっ気のある猿が無力で純朴な蟹を欺き愚弄し傷めつけ、やがてその報いを受ける。「猿=攻め、蟹=受け」という倒錯した愛の物語である。
それはそれで大いにそそられるものがあるわけなのだが、しかし、腐女子の底知れぬ欲望は、そのシンプルな倒錯愛では飽き足らない。「猿=攻め、蟹=受け」という構図は、倒錯的ではあるけれど、腐女子を満足させるには、ありきたりに過ぎるはずである。
腐女子視点を持ち込んだ以上、我々はこう考えなくてはならぬ。「猿=攻め、蟹=受け」があるのなら、「蟹=攻め、猿=受け」でもいいのではないか、猿×蟹合戦ではなく蟹×猿合戦でもいいのではないのか、と。

猿蟹と蟹猿では、大いに異なる。そもそも、蟹が持っていたおむすびを猿が柿の種と交換した、という一事も、蟹×猿とすれば、まったく新たな解釈が成立しうる。
猿は、蟹をいじめたのではないのだ。蟹が手にするおむすびに、嫉妬したのではないか。大事そうにおむすびを抱えた蟹を見て、猿が思ったのは、
「おむすびさえなければ、キミは俺のことを振り向いてくれるはず」
ということではなかったのか。
猿は、必死なのだ。受けとしての猿は、攻めとしての蟹の愛を勝ち得ようと、闇雲に蟹にまとわりつき、すがりつき、知恵を絞る。(が、残念ながら、所詮、猿知恵でしかない。)
蟹の関心を一身に集める憎らしいおむすびを取り上げると、猿は代わりに、柿の種を渡す。(おむすびを強奪するのではなく、柿の種を代替として差し出すあたり、蟹に完全に嫌われたくない猿のけなげさがあらわれている、とも解釈できるだろう。)
だが、ああ、なんということか。
蟹はそれでも、猿を振り向きはしなかった。蟹が次に愛情を注いだ相手は、手にした柿の種だったのだ。何という愛の悲劇か。
いや、蟹は猿の想いに気づかなかったはずがない。だが蟹は、飛び出た眼でチラリと猿を一瞥すると、冷たく甲羅を向けたのだ。
そうして、蟹はこれ見よがしに歌う。
「早く芽を出せ柿の種、出さぬとハサミでちょん切るぞ」
ああ、なんてことを言うんだ、キミにちょん切られたいのは、俺のほうなんだ‥‥。
ねっとりとした蟹の歌声を聞きながら、猿は悶え、のたうち回ったはずだ。うう、柿のやつめ、うらやましい、ねたましい‥‥。

実をつけた柿の木によじ登り、蟹に青柿を投げつけたのも、嫉妬の余りに生まれた一瞬の殺意がなせるわざであったのかもしれないし、あるいは、
「柿なんかより、俺のことをかまってほしい‥‥」
という切実な気持ちの表出だったのかもしれない。好きな女の子をいじめてしまう幼稚園児のような、つたない愛情表現だったのかもしれない。
「おむすびよりも、柿よりも、俺を、この俺だけを、見つめてほしい」
だが、できることといえば猿まね程度、生来不器用な猿には、そのひと言を言葉で伝えることができなかった。
そして、その結果もたらされたのは、一途に恋い慕う相手、蟹の、あっけない死であった。しかも、みずからが手にかけての無残な死‥‥。
と、このように考えると、もはや我々は猿を単純な悪者と見ることは出来ない。この物語において、真に哀れむべきは蟹ではなく、報われぬ愛に苦しんだ猿のほうだったのではないか。物語の結末、おのれの愛した蟹の子に討たれた時、猿の胸にはいかなる思いが去来しただろうか‥‥。
物語を読み終えた後、我々の胸には深い感慨がこだまするはずだ。
猿×蟹ではなく蟹×猿ではないか、そう考えるだけで、かくのごとく物語は豊潤なものへと姿を変えうるのである。腐女子目線を持ち込むことで、物語の味わい方、解釈に新たな厚みと広がりが加わったのだ。

腐女子のそうした見方に対して、これまでは、
「腐っている」
などと一笑に付す向きが大勢を占めていたわけだが、思うに、もっとポジティブに評価してもいいのではないか。腐女子的視点を、物語を読解するためのツールとしてとらえ、物語が内包するBL的関係に基づいて再構築する理論と方法論に磨きをかけ、精緻化してもいいのではないか。そうして、ポストコロニアル批評やマルクス主義批評、フェミニズム批評などのように、
「腐女子批評」
という文学理論として確立してはどうだろうか。
そこから新しい文学的地平が、新しい世界が、見えてくるはずである。
(ろくな世界じゃない気もするけど。)
posted by 清太郎 at 08:27| Comment(11) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

ハーレクインにする

「人は見た目が9割」なんて本がありましたが、本だって見た目は大切です。9割とはいかなくても、8割くらい。小畑健のイラスト、あるいは蒼井優の写真じゃなかったら、「人間失格」や「こころ」を手に取ることはなかった、という学生さんは多いでしょう。タイトルや内容がまったく同じでも、装幀が変われば、本の印象なんて、ガラリと変わってしまうものです。

ということで、お馴染みの本がたとえば、いきなりハーレクインの装幀になったら、どんな内容の本に見えることになるのか、考えてみましょう。

「夢をかなえるゾウ」

夢をかなえるゾウ

ベストセラーの自己啓発本ですが、ハーレクインの表紙にすると、あら不思議、
「ゾウのようにでっぷりと太って頼もしいあなたが、幸せな結婚というあたしの夢をかなえてくれたわ‥‥」
というデブ専向けラブストーリーに見えてきます。

「流星の絆」

流星の絆

これはもうそのままハーレクインのタイトルにおさまっていそうですね。「3年前、あの流星が降る夜、初めて愛を交わした直後に引き離された彼は、 二人の間に生まれた秘密を知らない‥‥」みたいな。

「おひとりさまの老後」

おひとりさまの老後

先日、娘に子どもが生まれ、「あたしもついにおばあちゃんね」とつぶやいたレイチェル。そんな彼女のもとに、ある朝、一通の手紙が届いた。それは、死んだ夫・ダンの友人、アーサーからのものだった‥‥。ひそやかな恋の予感。でも、でも、あたし、こんな年になって、それにまだダンのことだって、でも、でも‥‥。
という感じでしょうか。

「不機嫌な職場」

不機嫌な職場

スザンナは数年ぶりに外国からロンドンに戻り、社長秘書の仕事を手に入れた。しかし、雇主となるマックスは鼻持ちならない男性で、仕事を始める前にスザンナにこう警告した。君の前任の秘書はボスに恋して仕事を失った、と。心配いらないわ。彼女は心の中で言い返した。いくら人気雑誌で“結婚したい男性五十人”に選ばれたとしても、私はこんなうぬぼれ屋の男性になんかまったく興味がないわ。だが、ある日、マックスの意外な一面を知ったスザンナは‥‥。

「女性の品格」

女性の品格

女社長として日夜ビジネスの最先端で働いているキャシー。そんな彼女のもとをふと訪れたヒッピーくずれのフランス人、ポール。「君のからだは、冷たいシルクで覆われているんだね。その下に何が隠されているのか、この目で確かめずにはいられないんだ・・・・」。毅然として撥ね付けようとするキャシー。だが、意外にもたくましいポールの腕に抱かれ、容赦ないキスの洗礼をうけると、それまでおぼえたことのないエクスタシーを前に、彼女を覆う高貴な仮面は静かにすべり落ちていくのだった‥‥。

「生物と無生物のあいだ」

せいぶつと無生物の間

ああ、生物と無生物、その断絶を超えた禁断の愛が今ここに! 「あたし‥‥、マネジャーのジェイクのうちの‥‥、れ、れ、冷蔵庫が好きになってしまったの!!」 色白で頼もしい冷蔵庫との愛におぼれるシャノン。「オッオー! シャノン、きみはうちのキッチンで、いったい何をしてるんだい?」「ジェイクっ、違うのっ! これには、わけが‥‥!」 一人と一台の愛の逃避行が始まった‥‥!

ということで、見た目をハーレクインにするだけで、ハーレクイン的なロマンスあふれる小説だと勘違いして買っちゃう人が増えて、いいような気がします。(そうして間違って買っちゃって、
「シャノンはいつ冷蔵庫と出会うのかしら」
と読み始めて、途中で、
「やだ、この本、ハーレクインじゃないわ!」
と気づいても、
「おもしろかったので結局最後まで読んじゃいました」
ということになれば、読者層が広がります。)

単行本の小説は2年くらいすると文庫化しますが、文庫にする前に、とりあえずハーレクイン化してみるのもいいかもしれませんね。(文庫化した後でもいいけど。)

また、この「ハーレクインにする」がうまくいったら、
「ラノベにする」
「ジャンプコミックスにする」
「ポプラ社の昔の江戸川乱歩シリーズにする」
なども試してみるといいと思います。
posted by 清太郎 at 22:12| Comment(13) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

2008読書界しょんぼり番付

えー、ここで振り返るまでもなく、何かとしょんぼりなことが多かった今年の読書界でした。が、あえてそのしょんぼりを直視しよう、直視してますますしょんぼりしよう、ということで、先日の「2008読書界番付」に続いて、今年もまとめてみました。
番付の順位は、「読書界番付」以上に個人的な趣味によるものです。草思社の破綻は横綱級としても、
「いちばんしょんぼりなのはS&Mスナイパー休刊じゃないの!?」
などといった反論・意見などございましたら、どうぞコメントしてください。



読書界しょんぼり番付

西
草思社経営破綻 横綱 主婦の友休刊
マイクル・クライトン死去 大関 ヤングサンデー休刊
堺市図書館の大量BL本発覚 関脇 読売ウイークリー休刊
月刊現代休刊 小結 国木田独歩没後100年不発
ロードショー休刊 前頭1 アーサー・C・クラーク死去
S&Mスナイパー休刊 同2 新風舎破産
PLAYBOY日本版他いろいろ休刊 同3 洋販自己破産
金色のガッシュ!訴訟 同4 氷室冴子死去


いちおう解説しますと‥‥。

横綱
・草思社経営破綻(文芸社の子会社として再発足)
草思社の破綻は新年早々の大ニュースでした。同時期の新風舎破綻とともに、出版業界のしょんぼりな一年を予見させる出来事でしたね。文芸社の傘下に収まって、事務所も移転して再出発したけど、どうなるのかなあ‥‥。
・主婦の友休刊
今年はまた数々の雑誌が休刊しましたが、その象徴が主婦の友といえるのではないでしょうか。なんせ会社名が主婦の友社なのに、その名前が付いてる看板雑誌をを休刊しちゃうんですからね。味の素が味の素の製造をやめちゃうようなもんでしょう。
主婦の友なき後、主婦の友社の看板雑誌って何になるんでしょうか。いきなり社名変更して、「Cawaii!!社」とかになっちゃうと楽しいのに。

大関
・マイクル・クライトン死去
クライトンはたぶん「アンドロメダ病原体」と「スフィア」くらいしか読んでないんだけど、それなりにコンスタントに新刊が出てたから、いきなりの訃報でびっくりしました。66歳でした。
・ヤングサンデー休刊
読んでないし、特に好きな作品があったりするわけでもなかったんだけど、こんなわりとメジャーな漫画誌も休刊なのねえ、としみじみ。

関脇
・堺市図書館の大量BL本発覚
堺市の図書館が5,000冊以上のBL小説を収蔵していた、しかも開架書棚に置いてあった、というのが市民の投書で発覚したのが7月。あちゃー、と思いましたけど、要はバランスの問題であって、ある程度はBL小説くらい置いててもいいんじゃないの、とは思います(BLを男同士のポルノ小説だと勘違いしている人がときどきいるように思いますが、男同士の恋愛小説でしょ? 過激な恋愛小説が図書館の蔵書として許されている以上、BLを排除するのは論理的におかしい)。結局は、書庫に収蔵する、ということで決着したんだけど、なんだかなあ‥‥。
・読売ウイークリー休刊
まあなるべくしてなった休刊のような気もしますが(ニュース聞いて、読売ウイークリーって週刊読売と違うの? とか思ってしまった。知名度が悲しいほどなかったんですね)、週刊誌が休刊なんて、しょんぼりな出来事です。

小結
・月刊現代休刊
総合雑誌はなくなっていくばかりなのねえ(まあ個人的には、全然読まないから、わりとどうでもいいんだけど)。団塊の世代とともにあった雑誌は、読者と一緒にそろそろ引退時期なのかもしれません。
・国木田独歩没後100年不発
誰も気にしてなかったけど、今年は独歩の没後100周年です。地味なイベントとかあったみたいだけど、まるきり盛り上がりませんでした。doppo100.comなんてウェブサイトができたりして、もっと話題になってもよかったのにねえ。

前頭1枚目
・ロードショー休刊
この手の情報誌も、だんだんと減っていくばかりなんでしょうねえ。
・アーサー・C・クラーク死去
クラークは、マイクル・クライトンと違っていつ死んでもおかしくない年齢ではありましたが、これでハインライン、アシモフに続いて往年のSF界ビッグ3がみんな鬼籍に入ってしまったのだなあ、と思うとしんみりします。

前頭2枚目
・S&Mスナイパー休刊
よくわかんないけど他の業界同様、緊縛界も少子高齢化してそうだから、もうしばらくは紙媒体でもやっていけそうな気もするのですが、やっぱりインターネットの影響からは逃れられなかったんですね。
・新風舎破産(文芸社に事業譲渡)
文芸社は草思社を子会社化したうえに、こうして自費出版業界の唯一のライバルだった新風舎の事業も取得、そのうえ「B型自分の説明書」シリーズが大当たりで、一人勝ちなのか、あるいはこれが終わりの始まりなのか、よくわかんないです。

前頭3枚目
・PLAYBOY日本版他いろいろ休刊
今年休刊の雑誌をそろそろまとめますと、主立ったところは、
・論座
・KING(これは売れるはずがなかった)
・ラピタ
・BOAO
・GRACE(来秋再刊?)
・zino
・LOGiN
Z(あの「人生最後のメンズファッション雑誌」です)
といったあたりでしょうか。
ついでに、来年に休刊するのが、
・広告批評
・マミイ
・英語青年
なんともしょんぼりですが、いつまでも過去に拘泥するばかりではいけません。もっと前向きになりましょう。前を、未来を向いて、ほら、たとえば来年は何が休刊するのか、予想してみるとか。(やっぱり後ろ向きだ。)
・洋販自己破産
洋販というとあまりピンとこないかもしれませんが、青山ブックセンターの親会社です。傘下の青山ブックセンターの運営事業は、ブックオフが取得することになりました。もともと青山ブックセンターは一度破綻したのを洋販が引き受けて運営してきたわけですから、これで2度目の破綻です。そろそろ店名を、
「青山ブックセンターNeo」
「青山ブックセンターReturns」
などと変えてもいいんじゃないかと思います。

前頭4枚目
・金色のガッシュ!訴訟
サンデーの人気連載で、今年完結した「金色のガッシュ!」。原稿を紛失されたとかいろいろ揉めて、作者が小学館を提訴しました(11月に和解)。
・氷室冴子死去
氷室冴子死んじゃったのかー、というのはけっこうショックでした。51歳で、まだまだ若い。ここしばらく執筆してなかったようだし、ずっと闘病だったんでしょうか。
ほかに今年逝去した作家として、ソルジェニーツィン、赤塚不二夫、アラン・ロブ=グリエ、小川国夫、バリントン・ベイリー、アイトマートフ、野田昌宏、南里征典。
ソルジェニーツィン死去も仰天ニュースだったなあ。だって、まだ生きてたなんて思わないもの。死んでから、生きてたことを知りました。

ということで、そんなしょんぼりな一年でした。
来年は何かいいことあるといいですね。いちおう「太宰治生誕100年」だったりして、それなりの盛り上がりが期待できそうですが、その一方で、
「中島敦生誕100年」
「二葉亭四迷没後100年」
はスルーされそう。いや、でも、読者としては、こういうのをひとつひとつちゃんと盛り上げていくべきなんですよね。そうじゃないと、来年もまた読書界全体がしょんぼりになってしまう。
よーし、来年はがんばるぞう。二葉亭四迷没後100年にあやかって、来年の目標は、ズバリこれ。
「平凡」
あ、いきなりしょんぼりな気がしてきた‥‥。
posted by 清太郎 at 15:21| Comment(6) | TrackBack(1) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月19日

来年ブームになる小説

昨年の「カラマーゾフの兄弟」、今年の「蟹工船」と、リバイバルブームが続いています。石川達三の「青春の蹉跌」も、本屋さんで平積みになってたし(テレビのワイドショーか何かで紹介されたそうです)。
2008年はそろそろ終わりですが、来年2009年も、また何かリバイバルものが流行るんじゃないでしょうか。

では、カラマーゾフと蟹工船の次に来る作品は何か。ちょっと予想してみましょう。
カラマーゾフ、蟹工船と、共通するのは「カ」で始まる小説であることですね。うむ、来年も「カ」で間違いないでしょう。
ロシア、日本と来て、次は米英、あるいはフランスあたりになりそうですから、 
・フロベール「感情教育」
・メリメ「カルメン」
・スウィフト「ガリバー旅行記」
なんかが有望そうです。
が、いや、ちょっと待ちなさい。安易にタイトルだけで予想しても意味がないのではないか。中身も重要なんではないか。
暗い世相を反映して「蟹工船」がブームとなった今年に続き、さらに暗澹たる不況が待ちかまえている来年は、この「蟹工船」をすら凌駕する暗い作品が歓迎されるに違いありまません。
「ワーキングプアなんて、もう古い。時代は今、ワーキングどころじゃない、ただのプアだ!」
なのです。

となると、
・葛西善蔵「哀しき父」
・宇野浩二「枯木のある風景」
といった貧乏私小説が俄然クローズアップされることになるんだけど、うーん、いまひとつマイナーです。私も読んだことないし。
そこまで「カ」の字にこだわらなくてもいいのかも、貧乏小説としてもっとメジャーな、
・川崎長太郎「抹香町」
・宇野浩二「子を貸し屋」
・尾崎一雄「暢気眼鏡」
といったところでもいいのではないか、とも思うのだけど、いや、待てよ待て。
今年は「蟹工船」が流行ったといえど、所詮それはひと握りの人たちの間でのこと(読書人口なんて釣り人口などよりずっと少ないのです)。世間的には、もっと流行ったものがあるわけです。
ほら、あれ。
ポーニョポーニョポニョ、「崖の上のポニョ」。

となると、ですね。
今年流行ったのが、崖の上。
暗澹たる来年は、崖の下。
ということになっても、おかしくはないのではないか。
うむ、そう、それです。
・嘉村礒多「崖の下」
これがあるではないか。
「駆け落ちしてきた男女が、今にもくずれそうな崖の下のボロ家でひっそり暮らすことになった」
というプア小説で、なおかつ、おお、「カ」の字で始まるではありませんか。
これはもう、この作品で決まりではないか。
来年流行るのは、ずばり「崖の下」。
崖の上の次は、崖の下だ! 崖の下のプアだ!

ということで、時代の最先端を体験したいあなたは、今から「崖の下」を読んでおくといいでしょう。
posted by 清太郎 at 00:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月17日

2008読書界番付

はわわー。
ぼんやりしていたら、いつの間にかもう12月半ばではございませんか。2008年も残すところわずか2週間ですのよ! 奥様!
ということで年末恒例企画、今年も「読書界番付」をまとめてみたいと思います。
昨年と同様、
「どれだけ売れたか、だけではなく、話題性やインパクトの大きさ、将来性、私の個人的趣味といった各要素を勘案したうえで」
順位付けしています。ご意見・ご要望がございましたら、どうぞお寄せください。



読書界番付

西
B型自分の説明書 横綱 蟹工船
赤毛のアン100年 大関 源氏物語千年紀
ハリポタ最終巻 関脇 ジャケ買い狙いの夏文庫
小悪魔ageha 小結 あたし彼女
ル・クレジオ 前頭1 ブックファースト新宿店
国民読書年 同2 石井桃子
ケータイで読む電子書籍 同3 本棚本


いちおう順番に解説を加えておきますと‥‥。

横綱
・B型自分の説明書
・蟹工船
今年いちばん話題になった出版物といえば、両者のほかにないでしょう。どちらも、大手出版社が「仕掛けた」のではなくて、口コミ的なところからじわじわと広がったのが特徴的ですね。「B型自分の説明書」は、今となっては信じられないくらいですが、最初は1000部の自費出版でした。「蟹工船」も上野の本屋さんから徐々に話題になっていったもの。
それにしても、「B型自分の説明書」に続く「AB型」「A型」「O型」自分の説明書がちゃんとベストセラーになった一方で、「蟹工船」ブームにあやかった、柳の下のドジョウを狙う第二、第三の、
「蟹小説」
が出てこなかったのが不満です。数だけはどんどん出てるくせに、ここぞというときに「これ!」という本が出ないのは、出版業界全体の体力の衰えを感じさせます。

大関
・赤毛のアン100年
・源氏物語千年紀
今年前半は赤毛のアン100年、後半は源氏物語千年紀、という感じでした。どちらも各地で記念イベントが開催されたり、関連本がいろいろ出たりしましたが、いまひとつ、本を読む人だけの内輪の盛り上がり程度におさまってしまったような気がして残念です。
奈良にまったく興味のない人が、あのせんとくんのおかげで奈良遷都1300年に興味を向けたことを思うと、源氏物語千年紀においても藪内佐斗司先生にお願いして微妙なマスコットキャラをつくってもらえばよかったのに‥‥。
源氏物語、先月から刊行されている大塚ひかり訳の「源氏物語」(ちくま文庫)、もっとくだけてもいいかと思う文章ですが、本文に挿入された解説がわかりやすくて(特に、どこがどのようにエッチなのかについての説明)、いいです。

関脇
・ハリポタ最終巻
・ジャケ買い狙いの夏文庫
今年の夏休みを盛り上げた両者。
ハリポタ、昨年は原著の最終巻、今年は日本語版の最終巻でした。毀誉褒貶ありつつも、多くの子どもたちに読まれたハリポタ。完結した今、
「ハリポタもう読めないから、ほかの本でも読んでみよーっと」
という子どもが少しでも出てくれば、と思います。
夏の文庫は、昨年に続くマンガ家起用が話題になりました。荒木飛呂彦の「伊豆の踊子」とか小畑健の「地獄変」「こころ」とか。個人的には新潮のビビッド単色カバーが好みでしたが。
関係ないけど、フレデリック・ブラウンの古典的名作「天の光はすべて星」(ハヤカワSF)がいつの間にか美麗な表紙になっていて、心惹かれました。カバーデザインのリニューアル、大いに推奨です。

小結
・小悪魔ageha
・あたし彼女
ここを読んでおられる方のほとんどはご存じないと思いますが、「小悪魔ageha」はキャバ嬢のバイブルといわれている女性誌。創刊は2年前くらいですが、今年になって次々と雑誌休刊が相次ぐ中で、
「こんな雑誌が発行部数30万だなんて!」
ということで、注目されました。
「あたし彼女」も、ここを読んでおられる方のほとんどは直接読んだことはないと思いますが、第3回日本ケータイ小説大賞受賞作。
「アタシ

 アキ

 歳?

 23

 まぁ今年で24

 彼氏?

 まぁ

 当たり前に

 いる

 てか

 いない訳ないじゃん

 みたいな」
といった破滅的に強烈な文章が、ネットでもかなりネタになりました。

前頭1枚目
・ル・クレジオがノーベル文学賞
・ブックファースト新宿店開店
ノーベル文学賞は、もしかしたら村上春樹かも、なんてことも囁かれていましたが、ル・クレジオなら、まあしょうがないよねえ。っていうか、この人、まだノーベル賞もらってなかったのか。
ブックファーストは、昨年渋谷のお店がなくなってガッカリでしたが(跡地はどうなるのかと思っていたら、今話題のカジュアル衣料チェーンH&Mの渋谷店になるのね)、この新宿西口店に生まれ変わったんだね、と思うことにしました。改札からの距離を考えると、元の渋谷店より多少便利。建物も奇妙だし(丹下健三の義理の息子率いる丹下事務所のデザインです)。どこに何があるか、まだ把握しきれておりませんが‥‥。

前頭2枚目
・2010年が国民読書年に決まる
・石井桃子101歳で死去
「国民読書年」なんて聞いても、
「エッ、何それ!? 決まったって、誰がいつ決めたのよ」
と思われる方が大半でしょうが、6月の衆参両院の本会議で、「2010年を国民読書年に定める決議」が全会一致で採択されてたんです。「国民読書年」だなんて、いかにもアナログ、というかアナクロな響きですが、まあ一部の読書人として、支持いたします。
石井桃子が死んじゃった、というのは「読書界番付」よりもむしろ「読書界しょんぼり番付」のようにも思えますが、でも101歳の大往生なんだから、いいよね。プーさんやピーター・ラビットなど、彼女が翻訳した作品についても、少し話題になりました。

前頭3枚目
・ケータイで読む電子書籍
・本棚本
昨年盛り上がった「ケータイ小説」(ケータイ発の紙の書籍)は下火になりましたが、ケータイで読むケータイ小説やマンガはずいぶんと広まり、定着してきたようです。
本棚本というのは、作家や有名人の本棚を紹介する本ね。ヒヨコ舎の「本棚」「本棚2」をはじめ、「本棚三昧」「書斎の達人」などが立て続けに出ました。

‥‥っていうか、これだけで終わり? 昨年は前頭6枚目まであったのに、ちょっと少なくない?
そう、そうなんですよねー。もちろん他にも話題になったものとして、

・東野圭吾がベストセラー独占(流星の絆、探偵ガリレオシリーズ、容疑者Xの献身)
・楊逸が芥川賞受賞
・good!アフタヌーン、少年ライバルなど新漫画誌創刊
・夢をかなえるゾウ
・オリコンによる書籍の週刊ランキング提供開始
・ブックオフ、経営破綻した青山ブックセンターを取得

などいろいろありますが、なんだかあんまりピンとこない。東野圭吾はあんまり好きじゃないし、楊逸は「日本語が母語ではない作家が初めて芥川賞受賞」ということで話題になったけど、その程度の話題性ならむしろリービ英雄読もうよ、と思うし、good!アフタヌーンや少年ライバルは創刊後ちゃんと売れてるのかよくわかんない。といったような感じで、いずれも幕下以下とはいいませんが、十両レベルのような気がして、番付からはずしました。

ようするに、こうしてあらためて振り返ってみると、今年の読書界って、去年に比べて全体的に何だかしょんぼりなのです。うーむ、こうして出版業界は凋落していくばかりなのかなあ。
番付をつくって盛り上がろう、と思ったのに、なんだか寂しくなってしまいました。これでまた昨年同様に「読書界しょんぼり番付」をつくったら、さらに悲しい気持ちになってしまいそうです‥‥。
posted by 清太郎 at 12:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

シアトル中央図書館に行ってみた

建築雑誌などを見ていると、ときどき図書館が話題になってます。伊東豊雄がデザインした多摩美術大学新図書館、坂茂の成蹊大学情報図書館、ヘルツォーク&ド・ムーロンのコトブス大学図書館、フォスターのベルリン自由大学図書館なんてあたりがよく知られていますが、大学内だったり海外だったりで、実際に目にする機会はなかなかありません。
が、このたび、所用あってシアトルに滞在中。シアトルといえば、シアトル公共図書館の中央図書館! 話題図書館の筆頭格です。ということで、いそいそと行ってきたので、今回はネタもオチもない単純な図書館レポートをお届けします。

中央図書館がオープンしたのは2004年5月。設計は、レム・コールハース(北京オリンピックの前にちょっと話題になった北京のヘンな形のビル、中国中央電視台本部もこの人のデザインですね)。総工費1億6,550億ドル、11階建てで床面積3万4,000平米、収蔵能力は145万冊(現在100万冊くらい)なのだとか。

画像01

建物の見た目は、いかにもコールハースらしい、ヘンな形。今にも、
「【問】この立体について、
(a)体積を求めよ
(b)表面積を求めよ
(c)頂点abkjで切った断面の面積を求めよ」
などと迫られそうな、得体の知れない形状です。見上げてるだけでは、どこがどうなってるのか皆目見当がつきません。

が、全体を覆うガラスと取り去ってしまえばわりとシンプルで、積み重なった直方体をガチャガチャと横にずらして、その頂点を結んでいった、といった感じ。ネットで拾ったこのイラストを見るとわかりやすいでしょう。

図1

見上げてるだけではしょうがないので、早速入ってみました。入り口は、ここ。

画像02

入ってすぐの1階にあるのは、児童図書と各国語図書のコーナーです。
日本の本もちゃんとありました。

画像03

量的には他の言語の本より断トツに多いようで、たぶん4、5千冊くらいはあるんじゃないかしら。ただ、蔵書はどういう基準で選んでいるのか(もしかしたら寄贈本がほとんどなのか)、中身はなんとも微妙。時代小説の一角は、懐かしの春陽文庫やら山手樹一郎やらが堂々と並ぶ、今の日本ならありえないラインナップでした。蔵書がこの程度なのか、それとも人気作品は軒並み借り出されているのか、そのあたりは謎です。「江戸っ子侍(上)」の隣になぜ「秘密のSummer Kiss」が並んでいるのかも謎。

画像04

マンガもありました。いきなり「じゃりン子チエ」とか。

画像05

ちなみにマンガについては翻訳ものの方が充実していて、3階のヤングアダルトコーナーにはMANGA専用棚も設けられています。MANGA事情にことさら詳しいわけではないのでよくわかんないのだけれど、ざっと見たところ、「フルーツバスケット」や「犬夜叉」、「NARUTO」、なるしまゆりといった定番作品から、「ケロロ軍曹」「魔法先生ネギま!」「エマ」といった最近のものまでそれなりに揃っているみたい。

画像07

どうやらデルレイという出版社(レーベル?)がマニアックな作品に強いらしくて、「ネギま!」のほか「寄生獣」「蟲師」「げんしけん」「ゴーストハント」なんかが出てました。なるほど。

シアトルは坂の街なので、3階にも出入り口があります。こんなセルフサービスの貸出機が置いてありました。

画像08

図書はすべてRFIDタグで管理されているのね。便利そう。返却もブックポストに放り込めば、ベルトコンベアでゴゴゴゴ‥‥、と運ばれます。

画像06

3階は「Living Room」と呼ばれていて、わりとオープンな感じ。小説の書架がバーンと並んでいるほか、一部の雑誌とヤングアダルトもここ。カフェや売店(中央図書館グッズも売ってます)もあります。
何より、天井が高くて、とっても広々。

画像09

写真中央の黒いカタマリが、中二階になっている4階(ミーティングルームがある)で、その上の5階まで吹き抜けになってます。
5階は「Mixing Chamber」なんて名前がついている調べものスペース。参考図書の書架が並び、カウンターでは司書さんが何でも相談に乗ってくれて、パソコンも145台置いてあるそうです。写真は、そのカウンターと、背後にある司書さんのワークスペース。

画像10

カウンターの上にあるモニターは、貸し出された本のタイトルが刻々と表示されていくようなデジタルアート作品らしいです。現在の貸し出し件数なども、一定時間ごとに表示されているようです。

でもって、6階から9階が、小説以外の本がドカンとおさまった「Books Spiral」。スパイラルですから、螺旋状です。床がわずかに傾斜していて、6階から9階までがひと続きになってるのね。
この図を見ればわかるでしょうか。

図2

000の総記から始まって、上へ上へ、折り返し折り返し、延々とつづいています。もちろんエスカレーターや階段があるのでショートカットできますが、いちおう下から上まで歩いてみました。

画像11a

画像11b

ちなみに、エスカレーターはハデハデ。どこの未来だ、という感じです。

画像12

これまで図書館というのは、本を読むため、あるいは調べものをするための静的な空間でした。図書館がそういう場である限り、
「こんなハデハデなのは、図書館として、いかがなものか」
ということになるのでしょうが、でも最近の図書館は、インターネットに対抗して、「知識創造の場」として自ら定義し直そう、という流れにあるようです。となると、創造性を刺激しそうな、こんな突飛な空間デザインが、これからの図書館には増えていくのかもしれません。(こんな奇妙な図書館ばかりになったらイヤだけど。)

そうして歩き回ってると、館内のあちこちに検索用端末が置いてあるのが目につきます。

画像13

こんなふうに書影も出たりして(新しい本だけみたいだけど)、なかなか秀逸です。

10階に行き着くと、ここも天井の高い閲覧室になってました。年中天気の悪いシアトルですが、晴れたら自然光が降り注いで、気持ちいいだろうなあ。

画像14

というような感じでひと通り見てきたわけなんですが、図書館としての使い勝手はともかく、空間の切れ目をあまり感じさせないところが、さすが。1年に1度くらい、館内整理日と称して一週間休館にして、最上階から1階までの、
「本を使ったドミノ大会」
を開催しているに違いない、と思いました。
posted by 清太郎 at 15:24| Comment(5) | TrackBack(1) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月07日

古典の日でいいのか

もうひと月以上前のことになっちゃいましたが、11月1日は「古典の日」になったそうです。

今年、2008年の11月1日は、源氏物語が書かれてから、少なくとも1000年。なぜ「少なくとも」なのか、なぜ「11月1日」なのかというと、「紫式部日記」の1008年11月1日(旧暦だから今の11月1日とはずいぶん違うはずだけど、気にしない)の項に、当時すでに源氏物語が読まれていたことをうかがわせる次のような記述があることから。

《左衛門督、「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ。」と、うかがひたまふ。源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。》

敦成親王(後の後一条天皇)誕生祝いの宴席で、藤原公任(百人一首の「滝の音はたえて久しく〜」の歌を詠んだ人。当時40過ぎ)が、酔っぱらって(たぶん)、
「このへんに、若紫ちゃんはいないかにゃ〜、ゲヘへ」
などといいながらうろうろしてるのを見て、
「光源氏に似た男がいねーのに、若紫がいるわけねーっつーの」
という、なんというか「あーあ、この合コン、ハズレだわ。早く帰りたいんだけど」的ウザ感たっぷりの感想をもらしてる、という場面です。

で、「古典の日」。せっかく「源氏物語千年紀」なのに、なにゆえ「源氏物語の日」にしなかったのか。
おそらくは、
「源氏物語をはじめ、広く日本の古典文学全般に親しんでもらうきっかけになったら」
という目論みがひそんでいるんでしょうが、それは机上の空論というか、下司な根性。「源氏物語」として限定したところでなかなか源氏物語なんて手に取ってもらえないのだから、それを「古典」なんてぼんやりしたものに置き換えるなんて、何も言ってないのと同じではないか。「前年同月比2.5%アップを目標に」といった数値目標を、「みんなでがんばって営業成績を上げましょう」にするようなものです。

それに、これが「源氏物語の日」であれば、当然ながら次は、
「源氏物語の日があるのなら、われらが平家物語も『平家物語の日』を制定すべし」
「もちろん、『枕草子の日』も」
「『方丈記の日』も」
「『徒然草の日』も」
と、それぞれのファンが黙っていないわけで、古典文学業界といえど多少は活況を呈したはずです。それがこともあろうに「古典の日」では、この先、たとえば、「伊勢物語の日」を制定しようと申請すると、
「あー、もうすでに『古典の日』がありますからねー、ダブっちゃいますから、ダメです」
ということになるに違いなく、それでもゴリ押しして「伊勢物語の日」をつくろうとすると、
「あの源氏物語でさえ、表立って『源氏物語の日』を標榜せず、『古典の日』と謙遜しているのに、伊勢物語の分際で『伊勢物語の日』を僭称するとはどういうことだ!」
ということになるのは必定で、つまり将来の古典文学業界に対して障害とはなっても、プラスになることはまったくない。いったいどこの誰が「古典の日」なんて言い出したのか。責任者にはすみやかに猛省と撤回を促したい。

それはそうと、源氏物語千年紀を記念して、11月1日の記念式典をはじめ、展覧会や講演、コンサートなど各地でさまざまなイベントが催されているそうです。でもって、便乗した関連グッズもいろいろ出ているようですが‥‥。
生誕百二十年とか没後三十年とかじゃない、千年紀なんていう千年に1回しか記念できない祝典だというのに、その関連グッズが、
・「こころの京 玉乃光」源氏物語千年紀ボトル
・「源氏物語千年紀記念 京都限定 源氏物語のはろうきてぃ」根付け
・源氏物語千年紀「紫のゆかり、ふたたび」あぶらとり紙
・源氏物語千年紀記念漬け物「ゆかりむらさき」
こんなものでいいのか。

せめて、たとえば源氏物語キャラクタートレーディングカード(江口寿史やいとうのいぢをはじめ人気のイラストレーター・漫画家20余名が参加)とか、衣装着脱可能の空蝉フィギュアとか、人気声優を起用した源氏物語ドラマCD(葵上には釘宮理恵を配して、ツンデレを強調)とか、その方面のマニア心をくすぐるグッズは企画できなかったのか。こちらもやっぱり、責任者には猛省を促したい。

ちなみに、パチンコ「CR源氏物語」、というのも考えたのですが、でも念のためにググって見たら、とっくの昔に商品化されてました。「CR源氏ものがたり」だそうです。

《恋が成就すれば大当たり確定。
 リーチアクションは「禁断の琴」「恋の舟遊び」「愛の修羅場」など。
 変動開始時から恋の駆け引きは始まっているのだ。
 庭or廊下でのキャラ系予告、ステップアップ予告に和歌予告と複数の伏線が敷かれている。
 源氏がいきなり廊下を走り出すなどのリーチ確定の予告も多彩。
 リーチになれば源氏が麗しき女性の待つ部屋へ。
 御簾が開けば発展確定。セリフに注目だ。
「アツイ夜になりそう」などと言われた時には‥‥。》

‥‥パチンコやらないので、用語についてはまったく理解できないのですが、ちょっぴり気になります。
posted by 清太郎 at 09:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月05日

お知らせ

はじめまして。清太郎の姉の澄子と申します。
ここをご覧になっておられる皆様には、妹(清太郎というハンドルネームでしたが、妹です)が大変お世話になったかと思います。
しばらく更新のないことから、もしやと思われていた方もおられるかもしれませんが、妹は先日、長い闘病の末、亡くなりました。病床で、もう薄い文庫本も持てなくなったほど体力が衰えても、震える指でページをめくり続けていた、そんな本好きの妹でございました。(最後に読んでいたのは、東海林さだおでした。)
今、少しづつ妹の遺品や本を整理していたところ、パソコンの中に、こちらのブログにアップする予定だったであろうメモがいくつか残されておりました。私も身内ながらこのブログのファンではございましたし、このまま何の告知もなしにブログを閉鎖してしまうのは、妹の望むところではございますまいと思い、とりあえず形になっていそうなものを整理して、掲載することにしました。
今日から少しづつアップいたします。素直にお読みいただき、笑っていただけることが、あの世の妹への何よりの手向けになるのではと思います。


「ベスト本読ミストを決める」(9月半ばのメモより)

北京五輪で銀メダルを獲ったフェンシングの太田くんが、先日ベストジーニストに選ばれて、でも、
「ふだんはジャージーで過ごすことが多いので、なぜ選出されたかわからない」
という話を聞いて、
「なーんだ、ベストジーニストって、ふだんジーンズをはいてない人を選んでもいいのか」
ということをはじめて知りました。
ベストジーニスト賞というのは、今調べたところ、日本ジーンズ協議会という業界団体が選出する賞。ジーンズ協議会なんていって、そんなにジーンズ関連の企業っていっぱいあるの? リーバイスとエドウィンくらいじゃないの? と思ったらそんなわけはなくて、「日本におけるジーンズ衣料の(輸入を含む)生産、販売を行う企業」が名を連ねているようです(それこそ、グンゼとか帝人とかYKKとかも加盟してます)。

となると、われらが出版業界も、せっかく日本書籍出版協会だか何だかたいそうな業界団体があるんだから、ベストジーニストにならって、ぜひ、
「ベスト読書ニスト」
ではちょっと語感がいまひとつだから、
「ベスト本読ミスト」
を選出してはどうかしら。
これまでは、この手の賞を創設しようという動きがあっても、ほら、「芸能人とかスポーツ選手とか、話題になる人って、あんまり本読んでなさそうだから(読んでも所詮ベストセラー程度だから)」という暗黙の了解があったので(たぶん)、業界として自制してきたのです。
それが、このたびの太田くんのベストジーニスト受賞。ジーンズをはかない人がベストジーニストになれる以上、
「本をちっとも読んでなくたって、本を手にした姿が素敵そうならベスト本読ミストにしていい」
ということになったわけで、ええ、これはもう、チャンスですぜ(何の?)。本を読んでいようと読んでなかろうと、中学校卒業してから(あるいは卒業する前から)本なんて開いたことなさそうでも、本を手にした姿さえ、サマになっていればいいんです。いや、別にサマになんかならなくたって、芸能ニュースのネタとして取り上げられ、スポーツ紙の片隅に写真入りで載るくらいの話題になればいい。

ってことで、ステージの上には、今年のベスト本読ミストに選ばれた巨乳アイドルが、ビキニ姿で胸の谷間に本を挟んで登場して、
「やーだー、あたしー、ふだん、こんな格好で、本読んだりしないですよー」
と胸をぷるぷるさせたりして、それを見ていたワイドショーのコメンテーターが、
「あんなふうにして本の読み聞かせをしてくれたら、若者の活字離れにも歯止めがかかるんじゃないでしょうかねえ」
などと能天気なコメントをつけたりするのも、いいんじゃないでしょうか。
(ちなみに、谷間に挟んだ本は、その年の直木賞受賞作とかベストセラーとかではなくて、たとえばバルザックの「谷間の百合」とか「ムーミン谷に春がきた」とかであってほしい。いや、でも最近、巨乳アイドルなんて流行ってないのかしら‥‥。)




‥‥と、そんなわけで例の通りもちろんウソで、私はもちろん生きてピンピンしております。姉なんかいないし。
まあ、せっかくですので、こういうときでもない限りはできない悪趣味なネタをやってみました。

多少よんどころない事情がありまして、しばらくブログをほったらかしにしてバーチャルに引きこもっておりました(いちど引きこもっちゃうと、なかなかカムバックできないんだよねー)。いつも楽しみにされている読者の皆様には、たいへん申し訳ございませんでした。また何事もなかったかのように再開しますので、今後ともよろしくお願いします。




‥‥というのもネタで、ホントに死んでたりして‥‥。
posted by 清太郎 at 08:48| Comment(12) | TrackBack(1) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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