2008年02月26日

十四五本の鶏頭の秘密

「鶏頭の十四五本もありぬべし」
明治33年、9月9日に病床の子規が詠んだこの句については、当時からさまざまな評価がなされてきた。弟子の虚子や碧梧桐は無視し、長塚節や斎藤茂吉は絶賛し、単なる写生句という解釈もあれば、脳裏のイメージを描いたという読みもある。
が、従来の解釈は、まったく間違いである! と、ここに断言したい。
この句は断じて写生句などではないし、イメージを詠んだ句でもない。
そもそも、鶏頭を詠んだ句ではないのである。
この句は子規が、自らの哀しくも熱い思いを歌い上げたものなのだ。

以下で、実証しよう。
まず、十四五、という語に注目されたい。
十四五、すなわち14・15というこの2つの数字。
14は12+22+32という四角錐数。
15は1+2+3+4+5という三角数。
両者の間にはσ(n)=σ(n+1)、約数の和が等しい、という関係にある。(14の約数は1、2、7、14で、合計24。15の約数は1、3、5、15で、これもあわせて24。14と15はσ(n)=σ(n+1)を満たす最少の数である。)
これだけを見ても、子規がいかに意図的に14と15という組み合わせを選んだかが一目瞭然なのではあるが、まあしかし、それは、瑣末なことにすぎない。
カッと目を見開き、もう一度、よく見るがいい。
14と15。
諸君は、何か感じないか。
14とは、2×7であり、15とは、3×5である。
いずれも、2つの素数の積で表される美しい数であるわけだが、見たまえ!
これら4つの素数を足しあわせると、どうか。
2+7+3+5=17。
17なのだ! そう、俳句における聖なる数、完全数ともいうべき五七五、十七文字の17なのである!
これこそまさに、この句が、単なる写生句でも、ぼんやりとした妄想の産物でもないことの明らかな証左ではないか!

そして、そうなると、句の解釈も大きく変わってくる。
「十四五本」とは、鶏頭が14本または15本ある、という意味ではない。「完全」「全体」「すべて」「まったき」。完全性なるものの暗喩なのである。
そして、そこにかぶさるのが、「鶏頭」の語。
赤く濃い、炎のような形をして、大地からすっくとのびる花。そこに託されるイメージは、血潮、情熱、そして生命にほかならない。
ということは、つまり。
「鶏頭の十四五本」とは、「生命の完全性」の言い換えといって間違いない。
そして、結語「ありぬべし」‥‥。
そう、ここに表現されているは、のんびりとした庭先の景色などではない。病床の、もう長くは生きられないことを悟っている子規の、生への、生命への、健康への、切ないまでの望み、希求、渇望なのである。
席題の「鶏頭」という季語を巧みに使いながら、魂の奥底から絞り上げるような悲痛な叫びを十七文字の中に凝縮した、それがこの句の正体なのだ。

「鶏頭の十四五本もありぬべし」
一見したところ、「鶏頭が14、5本くらい咲いているだろう」といった事実を詠んだだけに思えるこの一句に、われわれがかくも惹きつけられるのは、そんな子規の熱い思いを、意識下でひそかに感じ取っているからではないだろうか。

‥‥といった、トンデモ子規俳句論は、どこかにないのかしら。
あるいは、「子規は俳句で911テロを予言していた!」とか、そういうの。
posted by 清太郎 at 23:10| Comment(5) | TrackBack(1) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
す、すごい。すごすぎる〜。
Posted by シキ at 2008年02月26日 23:26
一瞬、『博士の愛した数式』を思い出してしまった…。
数式と文学の融合って面白いですよね!(?)
高校時代の恩師の数学教師は、「人が感じる時間は、0歳の1年間に比べて、年齢分の1になる」と言う話から数式を作って遊んでましたし、
また別な人は「百里の道を行く者は九十九里を半ばとす」を数式にしてましたし。
寝たきり探偵なら、そのぐらいやりかねない…!?
Posted by 黄黒真直 at 2008年02月27日 02:43
>シキさん。
こういう、「どう考えてもトンデモ」的なことをてきとうに考えるのって、楽しいですよね。
それにしても、この鶏頭の句、切り口がたくさんあって、おもしろいです。

>黄黒さん。
数学的に考える、というのは、何だか思いも寄らぬところから光をあてるようで、そういう考え方ができる人ってうらやましい。鍛えればできるようになるんでしょうか‥‥。
Posted by 清太郎 at 2008年02月27日 12:32
この句、授業で習う前には、鶏頭なんていう植物があるのが知らなかったら、鶏の頭が道ばたかどこかに並べられているの思い浮かべていました。田舎かどこかで祝祭用に鶏を十四、五羽は絞めて殺したあとのものを並べている図が浮かんでいて、シュールだなぁと感じていました。
 血なまぐさい土俗的な何か、とかいう風に。俳句って、余分な説明がないだけにけっこう勘違いしたままのがまだあるかも。
Posted by 樽井 at 2008年02月28日 08:33
樽井さん。
そ、それはなんとも恐ろしい‥‥。土俗的というよりも横溝正史とか、そっち方面っぽいです。それを平然と俳句にする子規もこわい‥‥(^^;
まあしかし、文字になってないことをいろいろ想像するのも俳句の楽しみですもんね。それはそれで、いいのかも。
Posted by 清太郎 at 2008年02月28日 23:04
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