南アフリカでは、カメムシを食べる。
あのカメムシである。くさい虫。うっかり手でさわっちゃったりすると、なんかもうたいへんなことになっちゃう、あのカメムシ。
「ぐえーっ、でも、食べるっていうからには、くさくない種類のカメムシなんでしょ?」
と思うかもしれないけど、いや、じゅうぶんくさい。しかも、日本のカメムシより巨大。体長2.5センチくらいあって、厚みがあってころころしている。
においをとるための下ごしらえとして、バケツの中で折り重なってガサガサ動いているカメムシに、
《少量の熱湯を注いで、木べらでかき混ぜる。》
こうすると、くさい成分が分泌され切って、においが除去されるのだ。当然、作業中はもうくささムンムン。顔をそむけながらバケツの中身をかきまぜてる写真からも、そのすさまじさがうかがえる。
こうしてにおいをなくして天日干ししたカメムシは、そのまま食べられる。
《味は脂っこく、食感は、クシャクシャ感とシャリシャリ感の混じったものだ。‥‥脂っこさも、ギトギトしたものではなくてまろやかなバターピーナツのようなものだ。嗜好品として、おやつや酒のつまみに用いられる。》
「クシャクシャ感」ってどんなだ、と思うけど、ちょっとおいしそう。
同じカメムシを、ラオスでも食べる。
ただし、こちらは、におい抜きナシ。
調査チームのアシスタントのセンドゥアンさんは、稲穂にとまったカメムシをつまんで、その場で生きたまま食べちゃった。しかも、おいしそうに。
著者もおそるおそる真似してみる。
《つかまえて手に持つとあの独特のにおいがカメムシから発せられる。口もとへ持っていくと、さらににおいが鼻をつく。それでも脚や頭をもぎり取ってから、口の中に入れてみた。》
すばらしいチャレンジ精神だ!
《すると口の中からはあの臭いにおいはしない。口の中に入ったカメムシの体を噛んでみると、ぴりっとした刺激を舌に感じる。‥‥しかし、そのあとで、なんとも言えない甘い味が口から脳に広がる感じがした。酸と脂のハーモニーが広がるとでも言い表せばよいだろうか。》
ハーモニーって、いったい‥‥。ミスター味っ子ですか、味皇ですか。
香草やらニョクマムやら、個性の強いにおいが好まれる食文化の中にあっては、どうやら、カメムシのつんとしたにおいは、くささというよりも、独特の個性的なにおいとして肯定的に評価されているようなのね。もちろん、このにおいが苦手、ナマではさすがに無理、という人も多いようだけれど、それは香草が苦手な人と大好きな人がいるのと同じようなもの。むしろ、人によってさまざまに、カメムシのにおいの微妙な違いを繊細に楽しんでいるのだ。
虫を食べる、なんていうと、
「ゲー」
「ありえねー」
「キモイ」
「かわいそうに、貧しいからしかたがないのね」
「たんぱく質を摂取するために、生きていくうえで必要だから食べているのですね」
と思いがちだけれど、そうではなくて、実はかなり高度な食文化なのね。日本のハチノコや東南アジアのタガメ、南アフリカのモパニムシ(芋虫です)など、食べられる虫の多くが、日常の中にあってもどっちかというと嗜好品に近い、おいしくてちょっと高価な食材としてあつかわれている。
ということで、虫、という身近なものを、食べる、というその営みを通じて、人間の文化の多様性と、それがいかに相対的なものであるかを明らかにしていくのが本書。ほとんどチャレンジ精神のみで書かれた名著「虫の味」(八坂書房)とはまた違った虫食へのアプローチは、知的刺激に満ちています。
【こんな人におすすめ】
・チャレンジ精神旺盛なかた
・好き嫌いの多いかた
・まだ這い這いしていた幼児のころに、落ちていたカメムシの死骸を食べちゃったりして、おかげで今でも親戚のおじさんなんかから「カメ子」などと呼ばれてうんざりしているかた(「カメ子で何が悪い」と、開き直れます)
が、、、虫ですか。エビとかゴキブリに近いようなイメージがしてダメですねぇ。好き嫌いが多いのは自負していますが、さすがにカメムシは自分はダメです。
日本でもイナゴを食うように、結構、あちこちでありそうな気がするんですが。
ちなみに、有機野菜で野菜嫌いは克服されたんでしょうか。
エビやカニって、食べたことのない人にはとってもキモチワルイものに見えるでしょうね。昆虫はエビカニよりも脚の数が少ないし、見方によっては、より食べやすいともいえそうです(^^;
すずめの巣さん。
比較的寒冷なヨーロッパの場合、昆虫を捕ることで得られるカロリーよりも、採るために要するコストが上回るので、虫食の習慣が生まれなかったという説があるそうです。なるほど。
ちなみに、野菜はずいぶん食べられるようになりました。