2008年07月28日

かわいい小説

今月号のエスクァイア誌の書評コーナーで、布施英利が、
「かわいい、は日本語の王様である。なにしろ、その意味は変幻自在。あらゆるものを評価する絶対的な言葉になりつつある。」
などといって、「かわいい」の語が持つ政治性やら何やらについて警告しています。たしかに、仏像からオジサンの笑顔まで、20年前なら考えられないようなものが「かわいい」の対象になっている昨今。しかしあらためてそういわれてふと気付いたんですが、われらが「小説」って、「かわいい/かわいくない」で評価されてないよね。
もちろん小説に出てくるキャラは、たびたび「かわいい」といわれますよ。ラノベの萌えキャラとか畠中恵の妖怪キャラとか。でも、小説作品そのもの、物語の結構や舞台設定、文体まで含めた全体の評価として、
「これは、かわいい作品だ」
などとは、あまりいわれない気がします。直木賞とかの選評で、
「実に個性的で、候補作中いちばんかわいい点を評価したい」
「人間はよく書けているが、肝心の物語がいまひとつかわいくない」
なんてコメントがついたことは、ないのではないか。
言葉と思想を生み出し時代を切り拓くはずの小説が、日本を覆い尽くさんとする「かわいい」の波に取り残されているとは、何たる失態!

ということで、どんな小説が「かわいい小説」と呼ばれるにふさわしいのか、ちょっと考えてみました。もう一度いいますが、キャラだけがかわいくても、ダメですからね。でもって、大長編小説よりは、やっぱり短編でしょう。長くても、薄めの長編程度で。
最近の若手女性作家の作品(「食堂かたつむり」とか)や川上弘美の「神様」みたいなのとか、あるいは「夜は短し歩けよ乙女」みたいなのとか、とりあえず安易に「かわいい」っぽいかもしれないけど、いや、でも何というか、「かわいい」というのはつまり、人物設定や舞台設定からストーリー、文体まですべてをひっくるめて、もうギュッと抱きしめてナデナデして頬擦りしたくなっちゃうような感じというか、たとえば‥‥。

・太宰治「満願
文庫2ページくらいの超短編で、若奥さんのキャラも、さわやかな高原の夏も、くるくる回る白いパラソルも、ちょっぴりエッチなところも、すべてがもうたまらなく愛しくて、うむ、「かわいい」といってもいいんじゃないかしら。
・バアネット作・若松賤子訳「小公子」
「かあさま、とうさまは、もう、よくなつて?」といった文体からして萌えます。
・山本周五郎「ひとごろし」
山本周五郎のこの手のユーモラスな作品って、「なにこの時代小説、チョーかわいい」と十代の女子がきゃあきゃあ言いながら読んでもいいんじゃないかと思います。
・有島武郎「碁石を呑んだ八っちゃん
いや、この手の「子ども小説」を持ちだすのはズルかも。(ただし、この作品でいちばんかわいいのは、呑み込んじゃった碁石が、その夜の「お通じ」でちゃんと出てくる、というところです。)

などと、あんまり思いつかないんだけど、でも考えてみると、「かわいい」の意味が「変幻自在」で「あらゆるものを評価する絶対的な言葉」である以上、別に「人物設定や舞台設定からストーリー、文体まですべてをひっくるめて、もうギュッと抱きしめてナデナデして頬擦りしたくなっちゃうような感じ」に限ることなく、「罪と罰」や「死の刺」や「方丈記」がそのまんま「かわいい」でも、それはそれでいい気もします。何かのひょうしに高名な作家や評論家が、
「『カラマーゾフの兄弟』って、メチャかわいい!!」
と言ったりしたら、すぐに「かわいい小説」が当たり前のものになるかもしれません。そうして、10年後くらいには、直木賞や芥川賞の候補作は「かわいい」小説ばかりが並ぶことになり、みんな「かわいい」以外にどういう言葉で小説を評価していいのかわかんなくなっていたりして。おそるべし、「かわいい」。


posted by 清太郎 at 00:18| Comment(8) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
伊坂幸太郎さんの小説のように「かっこいい」とか「クールな」小説はあるのに、「かわいい」小説は確かになかなか思い浮かびませんね。難しい。
 「とぼけた」小説や「恐ろしい」小説もあるのに、どうしてだ??
Posted by 樽井 at 2008年07月28日 02:53
樽井さん。
そうなんですよね、こんなに「かわいい」で済ませられるものが多い世の中なんだから、小説だってかわいくたっていいような気もするんですが。これが「かわいい」の限界なのか、まだまだ発展途上なのか、よくわかんないところです。
Posted by 清太郎 at 2008年07月28日 23:50
小説に「かわいい」が無く、「かっこいい」や「クール」ならあるのは、本という物体そのものがかっこよくクールだから、というのはどうでしょうか。


四角くて、大きさの規格もしっかりしていて、文庫本もハードカバーもツルツルとしていて、どうにもスマートに過ぎるように思います。

代わりに、変形の多い絵本、上部が波型にカットされていたり、大元が四角ですらなかったり、飛び出したりなんかは、誰が見ても可愛い本と評価されるはず。


本のシルエットがそもそも、スタイリッシュに過ぎるような気がするのです。

小説の内容に応じて、丸かったり、ハート型だったり、開いたら折りたたまれた蟹工船が飛び出したりするといいのではないでしょうか。
Posted by ama at 2008年07月30日 02:35
amaさん。
なるほど、そうですね、本の形から、中身が類推できると楽しそうですよね。「蟹工船」はカニの形だったりするのね(中身とあんまり関係ないか)。
あるいはもともと、本そのものがもっとかわいいものになる、という選択肢もあったはずですよね。何がダメだったのかしら。紙じゃなくて、中面ページは布、表紙はもこもこの毛糸か何かで編んだものを本とするのが一般的になっていたら、もうちょっとかわいい本が増えていたかもしれません。
Posted by 清太郎 at 2008年07月30日 17:58
バリバリの硬派である私にはかわいい本、可哀そうなお話は禁忌です。「幸福の王子」や「フランダースの犬」をNHK教育テレビなんぞで道徳の時間に見さされていたおじさんは同窓会に行くたびに「道徳の時間に泣いていた銀河クン」という記憶が女子の中でインプットされていて、強面の銀河がいまだに「かわいかった」と評されてしまう屈辱。
もちろん「Eのつくアン」も「アルプスの少女」も手に取ったことがありません。

今後「かわいい本」が巷にあふれたら私の読書範囲は確実に狭まることが予測されます。
Posted by 銀河旋風児 at 2008年07月30日 21:50
銀河旋風児さん。
こういうものは先に言ったもの勝ちなので、ご愛蔵の梅原某などを「かわいい」ということにすれば、立派にかわいい本所持者になれますよ。仏像ですら、かわいい/かわいくないで評される今、何がかわいいか否か、速断は禁物です。
それにしても、同級生女子に「かわいかった」といわれるなんて、いいではないですか。今は「チョイワル」オヤジがもててますが、そのうち「チョイカワ」がもてる時代になりますよ、きっと(^^)
Posted by 清太郎 at 2008年08月01日 13:29
これは、評論の罪です。評論がかわいさを主題として評論してこなかったのがいけないのです。文芸評論の大家が、
「確かに、モオツアルトの可愛さは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには可愛いすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かわいい」という言葉の様にきゃわいい。」てな文章を書いていれば歴史はきゃわったでしょお。

Posted by すずめの巣 at 2008年08月01日 22:42
すずめの巣さん
そうですね。たぶん「かわいい」があまりにも当たり前の言葉であるのが一因なのでしょう。これが「スキゾ」とか「強度」とか、微妙に意味がよくわかんない言葉であったのなら、とっくの昔に評論の言葉になっていたことでしょう。。
とはいえ、歴史を変えるのは今からでも遅くはないはず。っていうか、もしかしたら現在は、誰かが恥をしのんで言いだしっぺになる一歩手前なのかもしれません。
Posted by 清太郎 at 2008年08月02日 22:55
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