2011年04月19日

俳句とポケモンカード

えー、お久しぶりでございます。
3・11の震災以来、どうも考えることが津波やら原発やらに引っ張られてしまって、ブログのネタになるようなバカなことに思いをめぐらすことができず、更新が滞っておりました。
‥‥というのは、ウソですね。いや、ウソじゃないけど、ホントじゃないですね。だって、震災前の1カ月間も、更新なかったもんね。なんか単にサボってただけかも‥‥。

ということで、まあぼちぼちと、再開したいと思います。
で、とりあえず、リハビリとして、本のバカネタではなくて、俳句についてのわりと真面目な話。
以前の「オタ俳句」で俳句のおもしろさを知って以来、すっかりハマっちゃって、ときどき中断しつつも、俳句をつくり続けてきたのね。
その間、句会にも参加しちゃったりして、今ではすっかり、どこに出しても恥ずかしくない「俳句初心者」になりました。
そうして、俳句初心者として半年間、俳句をつくってみて、まあそれなりに思ったり感じたりしたこともあるわけで、あんまり俳句に興味がない皆様向けに、それをちょっとまとめてみましょう、というのが今回のネタ。

で、どんなことを思ったり感じたりしたのかというと、ひと言で簡単に言えば、
「俳句は、詩よりもポケモンカードに似てる」
ということです。
などというと、句歴五十年の山田さん(65歳)あたりから、
「くわっ、俺の俳句が、ポケモンカードと一緒だってのか!! 俺は人生を俳句に懸けてんだぞ!! ってことは、エッ、何だ、俺の人生がポケモンカードだってのか!! 俺の人生が、紙みたいに薄いってんのか!! エッ、どうなんだ!!」
と怒られそうですが、まあそういう人は、「初心者だから何もわかっとらんのだ、バカめ」と思って聞き流していただきたい。

山田さんには申し訳ないけど、俳句は、ポケモンカードに似てます。
なんで似てるか、その理由は2つありまして、ひとつは、
「俳句は、言葉のコンボである」
ということです。
ポケモンカードの遊び方って、たとえば、単純にピカチュウのカードとキャタピーのカードを出し合って、ピカチュウが強いから勝ち、とかなんじゃないですよね。
キャタピー自体は弱いけど、それに他のカードの能力を付け足したりして、攻撃力を高めたりする。(えーと、私はポケモンカードについて、無知です。さわったこともありませんが、たぶん、そんな感じだよね?)
ポケモンカードのおもしろさは、そんな、
「カードのコンボ」
をキメること、なんだと思います(たぶん)。
で、俳句も、基本はそれと同じなんじゃないかしら。
カードではなく、言葉を組み合わせる、つまり、
「言葉のコンボ」
をつくるのが、俳句。(まあ、それだけではないとしても。)
たとえば、誰もが知ってる芭蕉の名句、
「閑さや岩にしみ入蝉の声」
これがどうして名句なのかというと、ふつう「蝉の声」ときたら、これはもう、うるさかったり騒がしかったり賑やかだったりするのが当たり前。それなのに、いきなり、
「しずかさや」
なんて言っちゃう。エッ、蝉なのに、しずか!? でも、それが、「岩にしみ入る」というのと相俟って、かえって蝉の声を感じさせる。芭蕉以前に誰もが思いつかなかった、そんな一発逆転のコンボが、この句なんだと思います。
使える言葉は、名詞や動詞から助詞、オノマトペまで、日本語の数だけあります(いや、日本語だけとは限らないか)。そこからいかに言葉を選んで、どう組み合わせてコンボをつくるか。
極端な場合は、言葉を2つ並べるだけでも、ステキな俳句になります。
 《カンバスの余白八月十五日  神野紗希》
とかね。
私が俳句をつくるときも、基本は、そんな感じです。
たとえば、「番長」という言葉が思い浮かんだ場合、それと組み合わせるには、どんな言葉がいいか。
「ケンカ」「学ラン」「子分」
といったような言葉は、もともと番長につきものですから、これらの言葉を組み合わせたって、大したコンボになりません。
「番長」を引き立てるような、なんかちょっと発見があるような、そんな言葉を使ったほうが、いいコンボになる。
ということで、
「番長がいきものがかり春隣り」
という句になったりする。
ちなみに、ここで重要なことは、こうして言葉のコンボをつくるとき、私自身の「心情」とか「感動」とかは、一切関係してないっていうこと。
俳句が詩そのものであるとしたら、心情も感動もない単なる言葉の組み合わせでは、
「えっ、何それ? 何その薄っぺらい言葉。それでも詩なの?」
ということになるのですが、俳句は詩よりもポケモンカードに近いですから、別に「心情」も「感動」も必要ありません。
このあたり、私に俳句の手ほどきをしてくれた千野帽子さんが、ずっと以前から、
「俳句は、“自分の言いたいこと(メッセージ)や感動を自分の言葉で表現するもの”なんかじゃない!」
と言っておりまして、大いに賛同してます。

さて、俳句がポケモンカードに近いもうひとつの理由は、
「俳句はゲームである」
ということです。
などというと、またもやさっきの山田さんから、「何!? 俳句がゲームだと!? 俺の人生はゲームだっていうのか!? エッ、どうなんだ!!」とすごまれそうなんだけど、でもねえ、やっぱり俳句って、ゲームっぽい。
ポケモンカードでコンボをつくったら、実践でどれだけ通用するか、バトルに出して試してみたくなるものです。(だよね?)
同様に、言葉のコンボで俳句をつくったら、このコンボがどれだけ通用するか、バトルに出してみたくなるはずです。
そのバトルの場が、たとえば、句会。
匿名で出し合った俳句に、点数をつけ合って、「わーい何点入った」とか「ぐぎー、一点も入らなかった」とか、それってゲームそのもの。
そこには、
「表現というのはその人のオリジナルのものであるから、たとえ不格好でも、その表現ひとつひとつに、魂が宿っているのです。どんな句も全部、すばらしい。みんな違って、みんないい」
なんて甘っちょろい考えは、一切ない。ダメなものはダメ。下手なものは下手。
オリジナルの表現を尊重するどころか、勝手にどんどん直しちゃったりもする。
「ここは○○じゃなくて△△に置き換えたほうが、もっといいよねー」
「あっ、そうか、じゃあ、そうする」
まあでも、そうやって、お互いワイワイ言いながら楽しめるところが、俳句のおもしろさじゃないかなあ、と思うのね。
となると、やっぱり、自分を表現する詩というよりも、みんなで持ち寄って見せ合いっこして楽しむゲームに近いでしょ。
俳句のことを、日本文化でワビサビで芸術だと思ってると、なにやら敷居が高いけど(私も長い間そう思ってたけど)、ポケモンカードに似たゲームだと思うと、なんだか楽しくなってくるはず。
ってことで、みなさん、俳句やってみませんか。

ただし、身近に俳句をやってる人がいないかぎり、句会なんてなかなかできませんよね。だから、代わりにTwitterで。
#otahaiku ハッシュタグでは、褒めたり腐したりワーワー言うようにしてるので、遊びたいかたはぜひ参戦ください。
ちなみに、一から俳句をはじめたい人におすすめの参考書は、藤田湘子『新版 20週俳句入門』(角川学芸出版)、ウェブでは日経ビジネスオンラインの連載「千堀の『投句教室575・別館』 飛び込め! かわずくん」、それから千野帽子さんが私の俳句(と皆さんの俳句)をビシバシ添削しまくるTwitterのまとめ「千野帽子俳句道場」「千野帽子俳句指南」は実践的にすごーく役立つと思います。

と、以上、「俳句はポケモンカードに似てる」という趣旨でここまで書いてきましたが、もしかして、
「ちょっとアンタ! さっきから黙って聞いておれば、何てことを抜かしやがるんだ! ポケモンカードはゲームじゃない! ポケモンカードは、芸術なんだ、アートなんだ!!! 現代日本を代表する文化なんだ!! 俳句なんかよりよっぽど高尚なんだ!! 一緒にしてもらっては困る!!」
と激怒しているポケモンカードファンがいたら、えーと、ごめんなさい。


posted by 清太郎 at 22:03| Comment(5) | TrackBack(2) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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