2009年03月28日

[本]ホワイト・ガーデンの幽鬼(ジェイムズ・ミーク)



1919年、ロシア革命直後のシベリア―極北の強制収容所「ホワイト・ガーデン」から脱走したサマリンがたどり着いたのは‥‥。

ちょっとホラーっぽいタイトルで、読んで始めると確かに、

・サマリンは、凶悪脱獄囚モヒカンから逃れてきた。彼はモヒカンによって、逃避行の間に食料がなくなったときのための「歩く非常食」として連れ出されたのだった。
・サマリンがたどり着いたのは、去勢をすることで“天使”になれる、と信じる去勢教徒(「スコプツィ」と呼ばれています)が暮らす街ヤジクだった。

ということが明らかになって、
「すわっ、人肉嗜食と去勢か!」
と、そちらの方面が好きな人は、否が応でもボルテージが上がるわけで、そのうえ実は実はこのサマリンが‥‥、という中盤のどんでん返しからさらにドカンと興奮度アップなのですが、いや、でも、実のところこの作品はホラーとはまったく関係ないし、去勢と人肉嗜食たっぷりのグロ小説でもありません。

原題は「The People's act of love(人々の愛の行為)」。
「1919年、ロシア革命直後のシベリア―極北の強制収容所「ホワイト・ガーデン」から脱走した男がたどり着いたのは‥‥」というだけでは、どこが愛の行為なのかしらん、なのだけれど、読み終わってみれば、いやはや、なるほど、まさに「人々の愛の行為」なんですわ。
物語は群像劇で、主な登場人物はサマリンと、美人妻よりも神を選んで自ら去勢した元騎兵バラショフ、夫に神を選ばれてしまった元妻アンナ、そしてアンナに愛されようとしてでも結局愛されきれなかったユダヤ人ムッツ中尉の4人。
ヤジクの町に自分の思い通りの王国をつくろうとする隊長マチュラ大尉に対し(このあたり、佐藤亜紀「ミノタウロス」を読んでいると、暴力吹き荒れる時代背景がわかって興奮度倍増です)、チェコ人部隊を故郷に帰そうとするムッツ中尉、というのを縦軸として、それに飛び込み参加のサマリンとヒロインのアンナ、ヤジクの街代表のバラショフが横から絡んであれこれする、という展開なんですが、しかし結局のところ、物語が描き出したのは、彼ら4人のまさに「act of love」の軌跡だったのだなあ。
というわけで、去勢と人肉喰らいの猟奇小説かと思って読み始めると、とんでもない熱烈恋愛小説と出くわすことになりますので要注意。特に終盤、それまでダメダメ変人男とみなされていたバラショフが最後にとった行動には、うわー、ああ、もう! 誰だ、「ホワイト・ガーデンの幽鬼」だなんてタイトルにしたのは!

それはそうと、本筋とは関係なく、たいへん気になったのが、214ページ。いきなり、手相の生命線が出てくるのです。

《「手の平を見てくださいよ。生命線の長いこと」
「だからどうなんだ?」ムッツは言った。
「長い生命線は長寿と幸せを表しているんです」》

これ、ムッツ中尉の手相ではなく、落ちていた片手の手相。だから、ちょっと笑えるシーンなのですが、えーっ、手相って日本や中華圏だけのものじゃなかったのね。と思って、ちょっと調べたら、今の手相占いは、明治以降に欧米から伝わった西洋手相学を基本にしているのだそう。だから生命線(life line)とか運命線(fate line)とか、用語や方法は欧米と共通なのだとか。へー。

【こんな人におすすめ】
・佐藤亜紀「ミノタウロス」を読んだ人。
・去勢小説ファンの人。(ただし、過度な期待は禁物です)
・人肉嗜食小説ファンの人。(ただし、過度な期待は禁物です)

【こんな人にはおすすめしません】
・去勢も人肉も出てこない、ふつうの恋愛小説が好きな人。
posted by 清太郎 at 13:47| Comment(6) | TrackBack(0) | おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月19日

本の中身がひと目でわかる!

効率優先、情報化進展の現代日本にあって、悠長に本なんか読んでいるわけにはまいりません。
読書感想文を書かなくちゃいけないとか、読んでない本について知ったかぶりをしたいとか、とにかく本を読まずに、手っ取り早く本の内容が知りたい!という人は多いことでしょう。そういえば、ちょっと前に「読んでいない本について堂々と語る方法」(ピエール・バイヤール、筑摩書房)という本も話題になってましたし。
そんなあなたのために、
「本の中身がひと目でわかる!」
をつくってみましたので、ぜひご利用ください。
たとえば、いまだ人気の衰えない「カラマーゾフの兄弟」の中身は、これ。
カラマーゾフの兄弟

「読んでない本の中身を知ったところで、おもしろくない」
という人は、以前つくった、
「あなたを主人公にした本」
とあわせて利用してみてください。
ちなみに、私を主人公にした、
「清太郎とともに去りぬ」
の中身は、こんな感じでした。
清太郎とともに去りぬ
posted by 清太郎 at 07:34| Comment(9) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

読み聞かせロボ

産業技術総合研究所が発表した「人間に近い外観と動作性能を備えたロボット」が話題になってます。
158cm、43kgで、頭部はリアルな女の子。名称は「HRP-4C」と素っ気ないのですが、開発陣の間ではどうせ「よしこさん」などと呼ばれてるのでしょう。
怒り顔とかびっくり顔とか、ファッションショーに出たりとか、人間にきわめて近い動作を実現してるそうで、ここまできたら、もう、アレですね、アレ。
初音ミクなどのボーカロイド技術と組み合わせれば、
「読み聞かせロボット」
まで、あと一歩です。

「読み聞かせ専用ヒューマノイドロボットYMK-KC(通称けいこさん)」
なんていって。
本を読んでほしいときに、
「これ読んで」
というと、
「はあい」
などと返事をして、本を受け取り、そこらへんの床あるいはイスに座って、本を開く。
「ここから読んで」
とお願いすると、指定したところからちゃんと読んでくれるのです。
自力で二足歩行できますから、使用しないときは、
「そのへんにいて」
と命ずればいい。てくてくと自分で歩いて、部屋の隅あたりの邪魔にならないところで座っててくれます。

特筆すべき点は、158cm、43kgという標準的な体型。
ということは、ひざ枕だって、思いのままなのですよ。(そのために、ふとももの質感には頭部と同じくらいこだわってもらいたい。)
「読み聞かせしてもらいながら、ひざ枕」
という、あなたのささやかな夢がかなえられるのです。
うむ、できれば、ひざ枕タイムをさらに充実させるために、
「読んでいる最中に、スカートをめくったりしようとすると、軽く手をはたいて、『今はだめ、あ・と・で』と言ってくれる機能」
などを実装してくれるといいですね。

すばらしいのは、ひざ枕だけじゃありませんよ。
身長158cmで標準体型ですから、服装も自由です。セーラー服やらナース服やら、あなたの秘蔵コレクションが、そのまま使えるのです。
「このスクール水着を着て、ひざ枕しながら、『百年の孤独』を読み聞かせてほしい! ハアハア」
などという、リアルな彼女や奥さんではぜったい実現不可能なことができてしまうのです。
素肌(?)にエプロンだけ着けた読み聞かせロボットけいこさんが、
「‥‥父親のドン・フェルナンドは嫁入り道具を買うにも屋敷を抵当に入れなければならない始末なのに、彼女は結婚式の当日まで、言い伝えの王国を夢みて‥‥、あっ、ダメよ、今はダメ、あ・と・で」

メーカー側は、
「忙しいお母さんに代わって、お子さんへの読み聞かせをしてくれるロボットです! 情操教育にぴったり!」
ということで売り出すわけですが、実際の購入者は独身男性がほとんどですね。
でも、これならば、うっかり女の子が部屋に遊びにきてしまっても、安心です。
アニメキャラのエッチな抱き枕などと違って、
「あ、俺、読書が趣味だからさ。読み聞かせ用に買ったんだ」
と、なんとかごまかすことができるはずです。(無理かな。)
posted by 清太郎 at 11:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

役に立たない感想

本を読むのが好きで、図書館派だから、というわけではないのだけれど、読んだ本の記録をつけるようにしています。
データベースソフトで簡単なフォーマットをつくって、最低限の書誌と評価、それに感想などのメモをちょっと書いただけのもので、一応10年ほど続いています。‥‥というと正しくなくて、途中面倒でけっこうサボったり、サボった分を後から思い出して書いたり、仕事関係で読んだ本は入ってなかったり、半分以上はメモ欄が空白だったり、と甚だ不備が多いのですが、そんな不完全なデータベースでも、たとえば「定額給付金で本を買う」みたいな場合のネタを考える場合などには、それなりに重宝します。

が。
正直、ここに来て、これのつくりかた、間違ってた、と後悔しています。
何が間違ってたかって、「メモ」、これの書き方が間違ってた。今読み返してみると、「おもしろかった」「つまらなかった」に毛が生えた程度の感想がほとんど。そんなもの、あったところで全然意味がない。
だって、読んでから数年たった今、本の内容、てんで覚えてないもの。
むしろ必要なのは、小説ならあらすじ(特に結末)、論文系なら要旨でした。

そんなことを思ったのも、先日、ぱらぱらと見ていて、こんなのを見つけてしまったから。
「インド植民地官僚――大英帝国のエリートたち」(本田毅彦、講談社選書メチエ、2001)
2002年1月29日に読み終わったらしいのですが、この本についてのメモがこれ。

「何これ。読売新聞の書評欄で「2001年のベスト3」ってことで、小林良彰という慶応の政治学の教授があげていた本。「今夜、自由を」以来、ちょっとインド植民地に興味もあるし、ということで読み始めたんだけど。くそ。時間返せ。何これ。つまらん。つまらなさすぎ。最低。少しとして発見的なところナシ。しかもこの資料の使い方は何よ。小学生じゃないんだから。小学生の「この表を見てわかったことを言いなさい」じゃないんだから。少しは統計の勉強でもしたらどうなの。こんなの誤差の範囲だよ。ばかじゃないの。それだから歴史学はバカにされるの。これは科学じゃないね。こんなの本にするのも失礼だね。っていうか、これを年間ベストにあげたアンタ、もしかしてほかに本読んでないんじゃないの。見識が問われるね。
と、ことほどさように不満うずまいた本。途中で投げ出せばよかった。単なる見栄だった。「インド高等文官」という名詞を覚えただけだった。」

ここまでメタクソにけなした本の内容、今、ちーっとも覚えてません。
「「インド高等文官」という名詞を覚えただけだった。」
と書いてあるけど、その「インド高等文官」という名詞すら、忘れてます。
今となっては、こうまでメタクソだと、かえって、
「何がそんなにおもしろくなかったのかしら」
と興味すらわいてきます。っていうか、むしろ、気になってストレスがたまります。
ほかにも、そんなストレスのたまるメモだらけ。

「スタープレックス」(ロバート・J・ソウヤー、ハヤカワSF文庫、1998)
やっぱいいねえ、ソウヤー。「なぜ銀河系は渦巻きなのか」について、こんなに愉快な説明はない。SFはこうでなくっちゃねえ。
‥‥こんなに愉快な説明って、どんな説明なの!?

「嵐をつかまえて」(ティム・ボウラー、白水社、2002)
おお、久しぶりに止まらないおもしろさ。寝る前に読み初めたら3時までかけて読んでしまった。ヤングアダルトだけに少々食い足りないところがあるのだけど(結局誰も死なないし)、「いつもの空を飛び回り」を連想させる家族の暗部のスリル、というか何というか、むふう。
‥‥わー、ぜんぜん覚えてない! 3時までかけて読んだ本なのに。どんな話だったっけ? 「いつもの空を〜」は多少覚えてるんだけどなあ。

「黒船前後・志士と経済 他十六篇」(服部之総、岩波文庫、1981)
表題にある「黒船前後」、かなりおもしろい。こういう目で幕末を見たことがなかったから、とても新鮮だった。司馬遼太郎のようにドラマとして歴史を見るのもいいけれど、ある種、歴史学としてのこうした客観的な視線、というのもそれはそれでめったやたらとおもしろいものである!というのを初めて実感したような気がする。
‥‥こういう目って、どういう目!?

「黒い犬」(イアン・マキューアン、早川書房、2000)
たしかに「セメント・ガーデン」なんかに比べるとソフトだし、「アムステルダム」のシニカルさとも違うんだけど、やはりマキューアンだあ!と思ったのが、クライマックス(というのか?)の犬が出てくるシーン。めちゃんここわい。この迫ってくるようなディテールは、「時間の中の子供」の誘拐シーンなんかに通じて、すごい。
‥‥えーと、どのようにめちゃんここわいシーンでしたっけ? そもそもどんな話だったっけ‥‥。

まあでも、あるいはこういうメモも、いずれもっと年をとって、「確実におもしろいと思える本は読みたいけど、でも新たな本に挑戦する気力もない」という状態になった場合に、役立つようになるかもしれません。
「この思わせぶりな感想が、ついに役立つときが来た! 若いころの自分には、先見の明があったなあ」
なんて思ったりして‥‥。
posted by 清太郎 at 07:50| Comment(8) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

辞世の句講座

渡辺淳一「孤舟」の主人公、威一郎のように、定年退職したら何もやることがなくなった、というお父さんは多いかもしれませんが、その一方で、これまでできなかった趣味に没頭している、という人も多いでしょう。
旅行に登山、釣りに園芸、食べ歩きに鉄道模型。郷土史を調べたり、自分史を執筆したり。
書画や文芸方面をたしなんでいる人の中には、自費出版を検討している人もいるでしょう。
自分ではそのつもりがなくとも、あるいは自分が死んだ後に、息子か孫がまとめてくれるかも、なんて思ってる人も、いるかもしれない。
が、自分集大成のその一冊に、アレがなければ画竜点睛を欠くというものです。
アレです、ほら、アレ。
辞世の句。

古来(といっても中世以降に流行ったらしいんだけど)、日本では多くの人が、死に臨んで辞世の句を用意してきました。
たとえば、よく知られたところで、豊臣秀吉の辞世。
「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」
西行。
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」
お笑い系では十返舎一九の辞世が有名。
「この世をばどりゃお暇(いとま)に線香の 煙とともに 灰(はい)左様なら」
高杉晋作の辞世も、幕末ファンには人気です。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
歌人、文人はもとより、歌なんぞに縁のなさそうなバリバリの武将や政治家まで、こぞって辞世の句を詠んだものです。
いや、むしろ、辞世の句を残してはじめて一人前であった、といってもいいでしょう。
けれども、いつの頃からか、その習慣がなくなってしまった。
辞世の句は、まあ一応、生前、元気なときに用意しておくものです。
そして辞世の句を用意したということは、
「もう、いつ死んでもいい」
その覚悟を決めた、ということでありました。
辞世の句を詠まなくなった、ということは、そんな覚悟がちっともできてない、ということと同義であるといっても過言ではない。戦後の日本人がヘナチョコになったなんていわれるのも、当然でありましょう。

ということで。
男子たるもの、ヘナチョコのまま死んでいいわけがありません。
現在、定年をすでに迎えた熟年男性諸君は、早急に辞世の句をつくり、手帳などにしたため、死に備えておきたいものです。
バシッとした辞世ひとつ残しておけば、たとえ、
「ああ、ヤマダさんって、孤独死で、発見されたの死後3カ月で、身寄りもないし、悲惨だったけど‥‥、いやあ、でもあの人の辞世の句は素晴らしかった」
などと、死後、辞世の句で評価されることになるのです。
たったひとつの辞世の句で、生前の不行跡はチャラ。
そのくらいの力が、辞世の句にあるのです。
「チョイ悪ジジイのモテ往生に、辞世の句は必須だぜ!」
ということにもなるでしょう。

ところで、現在、国内では年間110万人以上の人が死んでるそうです。半分が男性として、でもって辞世の句をつくりたがる人のほとんどは男性として、55万人。この数は、しばらくは増加する一方です。
辞世の句の伝統が絶えてしまった今、辞世の句なんてどうやって詠んだらいいのか、わからない人ばかり。わからないから、辞世の句を残すこともできず、年間55万人死んでるわけです。
そして、辞世の句はその年に死んだ人ばかりが詠むのではなく、生前に用意しておくべきものですから、まあ一応還暦過ぎたらぼちぼち、「そろそろ俺も辞世を‥‥」と考えるべきものです。65歳以上の高齢男性は、今1000万人以上。この数もしばらく増加する一方です。
勘の良い方は、ここで、ハタと気づいたでありましょう。
そう、ここに、商機がある。
「男子たるもの、辞世の句を残すべし」
という風潮さえ確立すれば、ここににわかに、一大「辞世の句市場」が現出するのです。
文化センターなんかの文化講座のように、
「辞世の句講座」
「辞世の句教室」
をオープンしたら、暇を持て余した熟年男性が、わんさと押しかける。
歌人や俳人から転じた「辞世の句コンサルタント」が、町内のお年寄り相手に辞世の句を指導。
斜陽の出版業界でも、辞世の句ノウハウ本が次々ヒット。
ベストセラー辞世の句本をもとに、辞世の句映画化。
映画ともとに、さらに辞世の句ドラマ化。
ネット上でも、辞世の句ブログが大流行。
よぼよぼのおじいさんが、毎日一句辞世の句を詠むブログ、
「今日こそ本当の辞世の句」
をみんなハラハラして見守ります。それがまた感動を呼んで、映画化、ドラマ化。
さらに、DS辞世の句、辞世の句まんじゅう、辞世の句パンツ、辞世の句ソーセージ‥‥。
辞世の句の勢いは、とどまるところを知りません。
漢検なんて、もう古い。
「次は、辞世の句だ!」
そう思ってもらいたい。

「それはいいとして、でも、時世の句講座なんていって、そんなに教えることあるの?」
と思う人が、もしかしたらいるかもしれません。
いや、ありますよ、いっぱい。盛りだくさん。
まず辞世の句以前に、そもそも短歌や俳句のつくりかたから始めないといけません。
先人の残した辞世の名句鑑賞といった基礎教養も必要です。
実践編においても、辞世の句らしい効果的な表現をはじめ、句作のテクニックは欠かせません。
また、辞世の句はひとつつくって終わりというわけにはいきませんよ。
真夏にプールで水死したのに「花の下にて春死なむ」みたいなのが辞世の句では、みんなから鼻で笑われます。
「シチュエーション別辞世の句」
これも必要です。畳の上での大往生や、出先でポックリいった場合といった基本をおさえた後、交通事故とか階段から転げ落ちたとか、路上で刺されたとか、いくつかのシチュエーションを想定した辞世を用意しておくのが、男のたしなみというものです。

と、そんなことをいってると、
「えーい、もうそんなの、めんどくさい」
ということになって、案外、
「5分でできる辞世の句」
なんて本が売れたりするかもしれないけど。
あるいは、
「名前と生年月日、血液型を入力してね! あなただけの辞世の句を生成するよ!」
という「辞世の句メーカー」で済ませるとか。
posted by 清太郎 at 09:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月06日

ロバの図書館

先日、アルベルト・マングェル「図書館 愛書家の楽園」を読みました。
古今東西のライブラリー(それこそ、古代アレクサンドリアの大図書館から個人の書斎まで)について、「神話としての図書館」「権力としての図書館」「空想図書館」といったテーマごとに、心のおもむくまま随想と蘊蓄を連ねた、本好きならまあそれなりに興奮する一冊。
ディケンズが書斎のドアを隠すためにつくった、本の背表紙だけでできたダミーライブラリー(テキトーなタイトルばかりがずらりと並んでる。恐妻家ソクラテスが書いた結婚生活のためのハンドブックとか「ウェリントン公爵の彫像目録」全10巻とか「さわやかに目覚めるための睡眠の手引き」1〜19巻とか)をはじめ、気になる話題続出でした。

そんな中のひとつが、「ロバの図書館」です。
南米のコロンビアで、図書館バスが通行できないような山岳地帯やジャングルに住んでる人々にも本を届けるために、ロバを使うことにしたのね。ロバの移動図書館です。
本のラインナップは、農業関係とか刺繍の図案とか、技術的なものが中心ですが、小説なども含まれている。
ある司書によると、これまで本が返ってこなかったのは、一冊だけ。スペイン語訳の「イリアス」でした。
《本が交換される期日になると、村人たちは返却を拒みました。私たちはその本を差しあげることにしましたが、なぜ「イリアス」を手元に置きたいのか、わけを尋ねてみました。すると、ホメロスの書いたその作品が、自分たちの境遇に重なるからだという返事でした。戦火に見舞われたある国で、身勝手な神々によって運命をもてあそばれた人びとが、戦いの意味も、いつ殺されるかもわからずにいるという物語です》
という、まあなかなか奥深いエピソードなんですが、ところで、これって何もコロンビアだけに限ったものではないはずです。
クルマが通行できないような道なき道を進むには、動物の力を借りるのが便利。そして、クルマが通行できないような道なき道の先に住んでる人は世界中にいっぱいいますから、世界各地にこんな動物図書館がきっとある。
ということで、こういうときにやっぱりインターネットって便利だよね。サクサクと30分くらい調べた結果をご報告します。

まずは、「図書館 愛書家の楽園」で紹介されていたコロンビアのロバの図書館。(Copyright New York Times)
おお、たしかに、道なき道を進んでおります。

01コロンビアのロバ.JPG

コロンビア以外にも、ロバを使った移動図書館はあちこちにあります。
同じアンデスの国、お隣のベネズエラでは、こんな感じ。(Copyright BBC)

02ベネズエラのロバ.jpg

このロバの図書館は、ベネズエラの大学が主宰しているようです。BBCの記事によると、Calembeという山村では、23人の子どもたちが大はしゃぎでこのロバの図書館を出迎えたそうです。
→詳しくはこちら
ちなみに、アンデスの国々には、リャマの図書館もあるそうです。

次は、エチオピアのロバの図書館。(Copyright Ethiopia Reads)
ロバの図書館は、アフリカでも大活躍です。

03エチオピアのロバ1.jpg

04エチオピアのロバ2.jpg

エチオピアで初めてロバの図書館を始めたEthiopia ReadsのYohannes Gebregeorgisさん(米国サンフランシスコで司書として働き、母国に舞い戻った)によると、ジンバブエでロバが衛星放送の受信局を引いてたのを見て思いついたとのこと。ロバやカート(Gebregeorgisさんが自分でデザインした)がオシャレなのは、エチオピアのお国柄でしょうか。
→詳しくはこちら(Gebregeorgisさんのインタビュー記事)
こちらではスライドショーが見られます

これは英国のユニークな慈善団体Good Gifts Catalogueのホームページで紹介されていたもの。(Copyright Good Gifts Catalogue)

05ソマリアロバ.jpg

このロバの図書館のために寄付しませんか、というのね。一口100ポンドです。
ソマリアやスーダン、ウガンダの子どもたちのための移動図書館です。
→詳しくはこちら

動物図書館は、ロバだけじゃありませんよ。
ケニアでは、ロバではなくラクダが本を運んでいるようです。(Copyright BBC)

06ラクダ.jpg

これは、ケニア国立図書館が1996年に始めたキャメル・ライブラリー・サービス。3、4頭のラクダが、本やテントなどを運びます。写真の先頭のラクダが背負っているのは、200冊ほどの本が入った木箱が2つです。
→詳しくはこちら、またはこちら(動画あり)

タイには、ゾウの図書館があります。

07ゾウ.JPG

2頭のゾウが、優雅に本を運んでいます。本だけじゃなくて、インターネットアクセスも運んでいるとのこと。密林が覆う山岳地帯を20日間くらいかけて巡回するらしいです。
こちらに記事あり

ところかわって寒い国、グリーンランドのイヌイットたちのもとには、犬ゾリの図書館が本を運びます。本が凍ってしまわないよう、アザラシの皮でつくった袋の中に入れてます。おかげで本がちょっと生臭いとか。

08犬ゾリ.jpg

動物図書館は哺乳類だけじゃありませんよ。ナイジェリアにあるのはダチョウの図書館。あまり多くの本は運べませんが、そのかわりスピードはピカイチ。100km離れた村まで3時間で本を届けるそうですよ。

09ダチョウ.jpg

日本では、島嶼部をのぞけば、クルマで行けるところに多くの人が住んでいますが、クルマの移動図書館が巡回しているような地域でも、あるいは移動図書館が必要ない都市部でも、こんな「ロバの図書館」が来てくれたら、楽しいだろうなあ。
「あっ、こんどの土曜日は、月に1度の『ロバの図書館』の日だ!」
なんていって、丸をつけたカレンダーを見ながら、ウキウキしちゃうと思います。図書館再生の一環として、どこかで実現してほしいものです。


あ、ちなみに、おわかりかと思いますが、上の記事のうち、後ろの方の、犬の図書館とダチョウの図書館は、ウソですからね。
posted by 清太郎 at 23:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月04日

図書館の屋台のオヤジに話を聞く

先日紹介した「図書館の屋台」、神田の駅前で実際に営業しているのを見かけたので、オヤジに話を聞いてきました。千代田区立図書館の嘱託職員という山田さん(仮名)です。一見したところ無愛想なオヤジでしたが、話をしてみると意外に気さくな方でした。

――屋台サービスが始まった経緯について、ご存知ですか。

そうねえ、俺はこんな下っ端だから、まあ難しいことはわかんねえけど、やっぱ今、活字離れとかいって、本読む人減ってるでしょ。電車ん中で本読んでる人もめっきり減ったし。図書館っつうのは、なんだかんだ言って、本読まれてなんぼなのよね。知ってるかい、図書館司書の評価って、その図書館でどれだけ本が借りられたかで査定されるのよ。だから、もっと本を読んでもらうにはどうしたらいいんだべ、ってことで、親しみやすい屋台みたいなことすればいいんじゃないの、って上の方で決まったみたいね。

――もともと、図書館で司書をなされていたのですか。

ぶはっ、ハハハ、もともとも何も、今でも司書よ、ほれ、この通り、ちょっとボロっちくなってるけど、司書バッヂ付けてるっしょ。

――すみません、失礼しました。

まあ、俺、見た目こんなだからね、司書なんかよりもおでん屋のオヤジの方が似合ってるかもしんないけど、これでも一応、三十ウン年、レファレンス畑を歩いてきたんよ。自分で言うのもなんだけど、本探しの腕は確かなのよ、これでも。まあでもねえ、最近は、レファレンスで資料探しするお客さんがとんと減ってねえ。みんなインターネットで調べておしまいでしょ。「こんな本読みたいんですけど」なんていうお客さんは、小学生か、年寄りか、それも十年くらい司書やってりゃ誰でもわかるような相談ばかりになっちゃってねえ。でもって、昨今の予算削減で、合理化で、IT化でしょ。レファレンスばかりにそんな人割いてらんないよ、って、山田さんそろそろ選書の方に回ってもらえないか、なんてことになっちゃってさ、まあ俺くらいの歳になるとね、レファレンスとかカウンター業務は面倒、なんて人多いけどね、俺はこの仕事好きだからさ、いやあ、どうしたもんかなあ、なんて思ってるときに、この屋台の話が出てね。だから俺、一も二もなく飛びついたわけ。

――レファレンスの仕事って、やはりやり甲斐があるのですか。

そうね、やっぱ、お客さんのね、読みたいッて思ってた本をビシッと紹介できたッ、と思うときはね、こたえらんないね。麻薬みたいなもんでね、こればっかりは、一度その味を知ったら、もうやめらんないね。
ただ、俺がタッチすんのは、基本的には、貸し出すときだけで、お客さんが本返すときカウンターにいるのは、たいてい違う人でしょ。だから、どんなピッタリな本をすすめることができても、「ありがと!おもしろかった!」なんて言ってもらえることは、あんまりない。まあ、報われないっちゃあ報われない仕事だわなあ。
それを思うと、ほら、この屋台では、どうだい。本を借りたお客さんが、目の前で読んで、その場で返してくれるわけでしょ、さっき出てったお客さんみたいに「ありがとう」なんて言ってくれる人が、いっぱいいるわけ。まあ、やっぱ嬉しいわなあ。ま、でも、お礼なんか言われなくても、夢中になって本を読んでるお客さんの表情をね、チラッと見られるだけでもね、けっこう満足、充実だね。

――お客さんにはどんな人が多いのですか。

そうさねえ、ま、俺が回ってんのは、このあたり、神田から大手町、丸の内近辺だから、お客さんのほとんどは、サラリーマンだわな。それもまあ、このご時世、景気のいい人は、勤め帰りにこんな屋台なんかに寄らないからねえ。たいていの人が、ぐったり疲れてるか、ぴりぴりしてるか、どっちかで。ま、でもそんなお客さんが、ここで一編読んで、ちょっと元気になって、帰ってく。それが俺にとっちゃ、うれしいことだわな。
そうそう、一週間前くらいかな、こんなお客さんがいたんよ。「心にしみるような、とっておきの一編、ないかい」っていうオッサンなんだけど、その顔が、もう真っ青、っていうか真っ白でね、うーん、死相っていうんじゃないだけど、生きているようで生きてないような。俺それでね、ピンと来たわけよ、この人、これから自殺するんじゃないかって。死ぬ前の最後の一編に、何か読もうと思ってるんじゃないかってね。
で、俺は、ちょっとこれは賭けだったんだけど、そのときお客さんにすすめたのがさ、これ、この前入れたばっかのジュンパ・ラヒリの短編集「見知らぬ場所」の表題作。どうかなー?って思ったんだけど、読み始めたそのオッサンの頬にね、だんだんと赤みがさしてくるわけよ。で、読み終わって、オッサンしばらく放心したみたいにぼうっとしてね、そのあと、なんだか恥ずかしそうにちょっと笑って、「いい話だった」って、それだけ言って、出てったんだけどね。たぶん、あんまし思い詰めるのはよくないかなって気持ちになったんじゃないかなって、思う。まあ、お客さんに直接聞いたわけじゃないから、ホントにそのオッサンが自殺しそうだったか、ホントに自殺やめたか、わかんないよ。でも、俺としちゃ、うーん、屋台やってよかった、本の力もまだまだ捨てたもんじゃないぜ、なんて思ったわけよ。

――いい話ですね。お客さんがリクエストする本は、やっぱりそうした元気が出るような、いい話が多いんでしょうか。

まあ、ほとんどがそうね。去年のリーマンショック以来はねえ、やっぱ、心あったまる話、ほっとする話、スカッとする話、それから前向きにがんばれるような話、なんていったリクエストが多いかなあ。山本周五郎とかO・ヘンリとか奥田英朗のユーモア物とか、足立倫行のルポとか岸本佐知子のエッセイとか、そのへんの明るめのラインナップが中心になってるよね。
俺としては、まあ、もうちょっと景気がよくなって、「キュッと身がひきしまるような一編を」「山椒は小粒でも的にヒリリと皮肉の利いたやつを一編」「人生の深淵をのぞくような短編を」なんてリクエストが多くなる日を待ってるんだけどね。まあ、せっかく本読むんだから、感動感動ばっかじゃ、つまんないからさ。ほら、ヘンリー・ジェイムズの「荒涼のベンチ」とか、モロワの「タナトス・パレス・ホテル」とか、すすめたいわけ‥‥。

「うぃー、おやっさん、大根とはんぺんと玉子、それと熱燗ひとつ」

あ、ちょっと、お客さん、すんませんねえ、ここ、屋台っていっても、図書館なんで、おでん屋じゃないんすよ。

「えっ、何、ないの? おでん、ないの?」

いや、うち、図書館なんで、おでん、元からないんすよ。すんませんねえ。

「おでん、品切れなの、えっ、そうなの? ないの?」

ええ、図書館ですからねえ、ホントに、すんませんが。‥‥あ、お客さん、ちょっと、そんな悲しい顔しないで。あ、ちょっと、泣かなくてもいいから。‥‥あーあ、もう、しょうがないすねえ、おでんはないんすけど、かわりにこれでも読んでってはどうですか、北大路公子のエッセイです。「最後のおでん」。
posted by 清太郎 at 07:04| Comment(7) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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