2009年02月20日

読み聞かせカフェ

メイド姿や浴衣姿の女の子が膝枕で耳かきしてくれるお店、なんていうのがちょっと前に話題になりましたよね。
秋葉原くらいにしかないのかと思っていたら、先日、地元の駅前にも看板が出ていて、驚きました。けっこういろんなところにあるのね。

ということで、耳かき店が普及(?)してきた今、そろそろ、これの本バージョンが出てきてもいいと思いませんか。
ずばり、
「読み聞かせカフェ」
です。
「メイド服や浴衣の女の子が、本の読み聞かせをしてくれる」
というお店。
「え、それだけ?」
とお思いかもしれませんが、いや、でも、ほら、かわいい女の子が本を読んでくれるんですよ。一対一で、あなただけのために。
お店に入ると、店内はガラス張りの個室に分かれていて、個室にはそれぞれ、ひとり掛けのソファと小さなローテーブル、その脇にスツールが置いてあります。
お客さんがソファに腰掛けて待っていると、
「お待たせしましたぁ。ユキナでぇす。今日は、何をお読みしましょうか」
とメイド服または浴衣姿の店員さんが入ってくるので、持参した本を手渡し、読んでもらいたいところを指定する。
女の子はスツールに座り、軽やかに澄み切った声で、あるいは情感あふれるしっとりした声で、朗々と読み聞かせてくれるのです。
読み聞かせをしてもらってる間、女の子を鑑賞し放題、という点もひそかに評判です。
「別に本とか興味ないけど、かわいい女の子を好きなだけ凝視できるんで‥‥、ハアハア」
というお客さんも、3割くらいいます。

店員の女の子は、意外にも漢検準1級くらいは持っているので、読めない漢字で詰まったりしませんよ。泉鏡花だろうと源氏物語だろうと、よどみなく、すらすら読んでくれます。
あ、でも、ひとりくらいは、難しい漢字が読めないドジっ娘仕様の店員さんがいてもいいですね。
「‥‥えっと、あ、あの‥‥、これ、なんて読むんですか?」
と頬を染めて恥ずかしそうに聞いてくるので、お客さんは、
「どれどれ、どこかな」
なんて身を乗りだして、読み方を教えてあげるのね。
「はわわ、すごぉい、こんな難しい漢字、よく知ってますねぇ」
なんていわれるのも、まんざらではありません。
いや、これ、ひとりじゃ足りないですね、店員さんの半分くらいはこの仕様のほうがいいかも。

本は、原則的には持ち込みで。
手持ちの本がなくても、お店の本棚には太宰治「女生徒」や北村薫の《私》シリーズなど、それっぽいラインナップが揃っているので、そこからチョイスするのもいいでしょう。
過激なポルノ小説などはNGですが、お客さんの多くは意識的に、エッチな描写の多い小説を持ってきます。超能力青年が時間をとめて女の子の服を脱がせまくってしまうニコルソン・ベイカー「フェルマータ」(白水社)の、さらに作中で主人公が書いたポルノ小説の部分などを読んでくれるかどうかは、その場で店員さんと交渉してください。
ちなみに、エッチなシーンおよび怖いシーンが含まれていた場合、後で追加料金をいただくことがあります。

料金は、1時間3,500円くらいでしょうか(これでは安すぎるか?)。
指名料1,000円。
基本は和服またはメイド服ですが、追加料金を払えば、セーラー服やパジャマなどに着替えてくれます。胸元の開いたシャツとかスクール水着とかはさらに料金上乗せ。

もちろん、こんな男子向けサービスだけじゃなくて、女子向けもありますから、ご安心を。
代々木アニメーション学院なんかに通ってる声優志望のそれなりに見た目もいい男の子が、甘い声で読み聞かせてくれますよ。腐女子のかたは、お気に入りのBL小説を持ち込んでください。

とかいって、ふたを開けてみると、お客さんのほとんどが、さいきん眼がしょぼしょぼして本が読めないという熟年世代だったりして‥‥。
posted by 清太郎 at 21:17| Comment(9) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

渡辺淳一「孤舟」が熱い!

「失楽園」は未読で、「愛の流刑地」は新聞紙上でチラチラと見つつもさしておもしろいと思えず、与謝野晶子・鉄幹を題材にした「君も雛罌粟われも雛罌粟」は気になりつつも「でも作者があの人だからなあ」という理由でなかなか手にとることができず‥‥。
ということで、これまでまるで興味の対象外だった渡辺淳一。

死ぬまでに一作品も読まなかったところで後悔することもないだろう、と思っていたわけですが、いやはや、長い人生何が起こるかわかったものではありません。
今、いちばん続きが気になっている小説、それがまさに渡辺淳一なのです。
「孤舟」
という作品。

といっても、ここを読んでるかたのほとんどは、
「へ? 渡辺淳一、そんなの連載してるの? どこで?」
と思うんじゃないでしょうか。
掲載誌は、「marisol(マリソル)」という女性誌です(ウェブで全部読めます→こちら)。川原亜矢子が表紙の、まあいわゆるアラフォー世代向け女性誌。
「え、なんであなたそんな雑誌読んでるんですか、実はアラフォー女子なんですか」
なんてことはさておき、とにかく、これに昨年の秋から連載されてる、
「孤舟」
これが、熱いのです。
もう、ホント、熱い。
毎回、こぶしを握りしめ、毎回、ハアハア。
毎回、読後は深いため息。

どういうストーリーなのか説明しますと‥‥。
「あっ、待って、いわなくてもわかるって。渡辺淳一でしょ。どうせ、ちょっと裕福な中年男が色っぽい年増とあーんなことやこーんなことになっちゃうんでしょ」
などと早合点する人がいることでしょうが、いやいや、待ちなさい、そんな内容だったらこぶしを握りしめたりハアハアしたりするわけがないでしょう。

連載第2回に紹介されている「前回のあらすじ」を引用すると、
《ほぼ一年前、大手の広告代理店を定年退職した
 大谷威一郎。待っていたのは、
 彼が思い描いていた生活とは、ほど遠く――。》
主人公は還暦過ぎです。
で、「ほど遠く」なんていいながら、どうせいずれ色っぽい年増と出会っちゃったりするんでしょう、と思うかもしれませんが、1回とばして今年1月号、連載第4回の〈今までのあらすじ〉は、これ。
《約一年前、意に染まぬ子会社社長の席を蹴って、
 大手広告代理店を定年退職した大谷威一郎。待っていたのは、
 家族からも疎ましがられ、友だちや趣味も見つからず、
 毎朝、どこへ行こうか途方にくれる日々だった。》
第3回までは、年増女の影なし。いいことなし。
まあでも、あれでしょ、とりあえず最初のうちはもったいぶってるんでしょ、最初のところでダメっぷりを見せ付けておいて、意外にその姿が、年増女に受けたりするんでしょ、と思うかもしれませんが、最新の3月号、連載第6回の〈今までのあらすじ〉は、
《約一年前、意に染まぬ子会社社長の席を蹴って、
 大手広告代理店を定年退職した大谷威一郎。待っていたのは、
 家族からも疎ましがられ、友だちや趣味も見つからず、
 毎朝、どこへ行こうか途方にくれる日々だった。》
‥‥まったく変わりなし。

ということで、この「孤舟」、今までのところ、「定年退職後に途方にくれる小説」なのです。色っぽい年増女なし。当然、色っぽいラブシーンもなし。
「そんな小説のどこがハアハアなのか、どこに深いため息なのか」
という人がいるかもしれませんが、いや、もう、それが、すごいんですってば。ハアハアなんですってば。
会社員時代にはブイブイいわせて家に帰ったら「フロ」「メシ」だけだった、という驕り高ぶったニッポンのお父さん、そのプライドが惨めに踏みにじられ、鼻っ柱をぶち折られ、虐げられ、屈辱にまみれ、哀れに屈服し、ひざまづき、土を舐める、そのありさまが、もうたまらんのですわ。ハアハア。

たとえば、第2話。
《これまで四十年近くにおよぶ会社人生で培ってきた経験豊かな自分が、この程度の簡単な職場で働くことなんてできはしない》と、傲岸にも求人のえり好みをしている威一郎には、もちろんいい再就職の口はありません。面接会場でプライドを傷つけられ、打ちのめされて帰宅します。
汗をかいたので、お風呂に入って頭を洗おうとするわけですが、
《シャンプーの容器を手にとって頭に振りかけたが、中身がほとんど出てこない。
 どうやら空のようである。》
悪いことは重なるもので、がっくしです。
《「おーい」
 呼んでも、やはり返事がない。》
妻も、無視。勤めている頃には、こんなことはなかったのに‥‥。うぎぎぎ、と唸る威一郎。
妻の不注意をとがめようとして、
《「俺のシャンプーがないんだ」
「あら、すみません。今度、買っておくわ」
「それだけか‥‥」と喉元まででかかったのを抑えると、妻は再びテレビを見ている。》
なんだ、妻のやつ、いい気になってるんじゃないのか、と文句をいうと、逆ギレされ、
《「正直いえば、お風呂の掃除くらいは手伝っていただきたいわ」
「俺に、風呂を洗えというのか‥‥」》
あっという間に返り討ち。っていうか、「俺に、風呂を洗えというのか‥‥」という思い上がりっぷりが、滑稽でたまりません。
で、読者は、このあたりでちょっとゾクゾクしてきます。ようし、いいぞう、こんな男、もっといじめてやれ。うふうふ、威一郎、身の程を知るがいい‥‥。
そうして妻に押し切られた威一郎は、素直に風呂掃除をすることになり、
《まず洗剤を手にして、容器の裏の説明書を読もうとするが、字が小さくて読めない。》
ああ、もう、いきなり、しょんぼり。この情けなさがいい!
《「おい、眼鏡を持ってきてくれ」
「それより、まずやってみてください」》
強気の妻は、相手にしません。ぐふふ、いいぞいいぞう。
《この年齢では、思っていた以上に大変だが、それにしても、妻や娘が入る風呂を掃除するとは‥‥。
 これでは、浴室の掃除係になったと同じではないか。》
ああ、もう、この天然の勘違いっぷり、たまりません。もうあなたはね、役員でも何でもないのよ、ただの還暦過ぎの、家ではまったく役に立たないしょぼくれ男なのよ! ぐふぐふ、ぐふふふふ。
風呂掃除のあと威一郎は、先日の出来事、会社時代の部下に会ったときに「結構、忙しくてね‥‥」などと見栄を張ってしまったことを思い出して、われながら情けなくなり、
《傾いていく西陽を見ているうちに、威一郎の眼に自然に涙が滲んでくる。》
夕日を見ながら涙。風呂掃除して、涙。うふふふ、いい、たまらなく、いいキャラだわ、威一郎。

あるいは、第5回。お正月の出来事。
退職して2回目のお正月には、年賀状は激減。妻からは《「六百枚も印刷したのにどうするの」》といたぶられます。
特に寂しかったのが、《数回、一緒にホテルに泊まったことのある》銀座のクラブ「まこと」のママからの年賀状。《はっきりいって、大阪の子会社に行かないかといわれて断ったのも、このママに逢えなくなるのが一つの原因でもあった》などと入れ込んでいるママです。
彼女からの年賀状、昨年は《ママの写真の下に達者な字で、「お変わりありませんか」と記されていた。》
それが、今年はどうか。
《それから一年経って今、再び届いた賀状には「賀正」という印刷された文字と写真がのっているだけで、自筆の文字はなにもない。》
ああ、威一郎、哀れ。純情すぎ。
《「一言くらい、書けなかったのか」
 写真のママにいってみても、もちろん言葉は返ってこない。》
なんだか哀れを通り越して、何やら愛しくなってきます。うふうふ、もっともっと、ひどい目にあえ‥‥。

最新の第6回では、だんだん卑屈になってきた威一郎は、妻のご機嫌をとろうとハワイ旅行に誘ってみます。(このご時世に退職後のハワイ旅行なんていってるあたり、読者の反感が増すばかりで、さすが威一郎、素敵です。)
もちろん、妻、即座に拒否。やたー。
退職後すぐに行った京都旅行で、
《「あのとき、お父さんはお土産を買っても手を差し延べてくれなかったでしょう。重くて肩が凝ってしまったのに……」》
などと、これまでのダメ夫としての所業が次々と暴き出されます。ああ、もう、サイテー。
俺はカメラ係だったから、と反論すると、
《「カメラだって、ほとんど撮ってくれなかったじゃありませんか」》
ぎゃふん。
《旅館でも“フロ”“ネル”っていうだけ》の夫の面倒を、旅行に行ってまでみたくない、と妻は威一郎をバッサリ切り捨てます。いいぞいいぞう、もっと言ってやれ、ぶちのめしてやれ。
思い返してみると、退職直後、映画に誘ったときも、威一郎は妻に断られていました。
《当然、喜ぶと思ったが、妻はあっさり、「気がすすまないわ」とつぶやいた。》
映画すら一緒に行きたくないんだって。うひひひ、いい気味。
妻が拒否した理由は、
《「お父さん、ときどき、所かまわず大きなくしゃみをするでしょう」》
ということで、なんか、もう、男として、ダメな感じ。むふふふ。
娘の美佳も妻を応援して、
《「それって、KYよね」》
冷たいひと言。ぐひぐひ。
そして今回の旅行拒否。ずたぼろになった威一郎は、
《とにかく今更、こんなことが問題になるところをみると、この三十年間、俺たち夫婦はなにをしてきたのか。》
と、またしても途方にくれるのでした‥‥。

いかがですか、なんだか気になってくるでしょう。こんな内容だったら、毎回ハアハアというのも、おわかりでしょう。
次回、威一郎はどれほど無様にぶちのめされるのか、妻からいかなる仕打ちを受けるのか、気になってしかたがありません。
今後の展開の予想として、ますます卑屈になっていく威一郎は、いつしか妻のきついひと言を、心ない仕打ちを、無意識のうちに求めるようになり、やがてマゾとして目覚めていき‥‥、一方で夫の定年まで自らの本性を包み隠してきた妻は秘めたる資質を開花させ、さらに娘の美佳も加わって、ここぞとばかりに渡辺淳一の華麗な筆が冴え渡る、
「家族変態SM小説」
になるのではないかしら、と思っています。「愛の流刑地」で首を絞めたりして変態プレイを展開させた渡辺淳一の新たな境地‥‥。
惨めな牡豚と成り果てた威一郎に、首輪がはめられる日が待ち遠しいです。
posted by 清太郎 at 06:57| Comment(6) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月05日

図書館の屋台

不況やら派遣切りやら、何かと荒んだ世の中ですが、こんなときにこそ、われらが、
「本」
の出番があるというものです。
一杯の酒で心の渇きを癒すのもいいですが、一冊の本に心なぐさめられるのも、いいでしょう。

たとえば、日々リストラの影におびえる年配のサラリーマンが、今夜も疲れた足取りで、駅へと急ぐその途中。
駅前広場の片隅に、見慣れない屋台が出ているのに気づきます。
よく見かける焼き鳥やおでんの屋台ではない、その屋台の赤いのれんに、白く染め抜かれているのは、
「図書館」
の文字です。
何だろう、と遠慮がちにのぞいてみると、おでん屋の屋台であればおでん種のケースがある場所に、本がぎっしり。古本屋の店頭に置かれた百円均一本ワゴンのようなあんばいです。
本のケースを挟んで、ごま塩頭のしょぼくれた店主がひとり。暖簾の間から顔をのぞかせたサラリーマンに、そっとうなずいて挨拶します。
ハハアと思ったサラリーマン、ためしに、
「おやっさん、なんか、こう、ふんわりあったまるような、心洗われるような本、あるかい」
と、声をかけます。
店主のオヤジ、見た目はかようにしょぼくれてますが、実はこの道40年のベテラン司書なんですね。Googleなんてなかった時代に次々と利用者の相談に応えてきた彼にとって、こんなリクエストはお茶の子さいさい。
黙ったまま2、3秒、本の列に目を走らせると、やおら一冊の文庫を取り出し、ぱらぱらとめくってページを開いて、サラリーマンに差し出します。
そこに載っているのは、たとえば、
「シモンのとうちゃん」
新潮文庫の「モーパッサン短編集(2)」の一編です。
サラリーマンは本を受け取ると、やや半信半疑の面持ちでイスに腰掛け、おもむろにその短編を読み始めます。そうして20分後、読み終えた彼は、静かに目を閉じて、ポケットからハンカチを取り出し、そっと目頭をおさえると、本をオヤジに返します。
「やあ、いいもんを読ましてもらったよ」
オヤジは静かに目礼を返し、立ち去るお客さんを見送ります。
あるいはまた、サラリーマンと入れ替わるように暖簾をくぐって入ってきたフリーター風の若い女性が、乱暴にイスに腰かけながら、かみつくように、こう言います。
「あーっ、もう、ホントにムシャクシャする! おじさんっ、なんか、こう、スカーッ!とする話ない?」
もちろん、この道40年の腕前を誇るオヤジに、躊躇はありません。
新潮文庫の山本周五郎、
「ひとごろし」
をサッと取り出すと、表題作のところを広げて、差し出すのです。

この図書館の屋台、毎日決まって同じ場所に出る、というわけではありません。その日の天気やオヤジさんの気分によって、駅の東口だったり西口だったり、隣駅だったり、あちこち移動します。
そんなこともあって、残念ながら、閲覧は館内(?)だけ。貸し出しサービスはおこなっていません。
ただし、図書館ですから、無料で利用できるのがいい。心と一緒にフトコロもさびしい現代人にぴったりの、やさしいサービスです。

本を読むだけではなあ、なんだかなあ、どうせなら飲み物とかちょっとつまむものとか、あるといいんだけどなあ、有料でもいいからさ、という人は、
「図書館バー」
へどうぞ。カウンターの向こうにギッシリ本が詰まった本棚が並ぶこのバーならば、グラスを傾けながら、本が読めます。
常連になれば、
「マスター、いつものを」
と言うと、いつものギムレットと一緒に、前回読んだところにしおりが挟んである「フォルトゥナータとハシンタ(下巻)」などをそっと差し出してくれることでしょう。
posted by 清太郎 at 09:19| Comment(3) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月02日

[本]ノック人とツルの森(アクセル・ブラウンズ)

久しぶりに本の紹介をします。



「ノック人とツルの森」
といわれても何やら意味不明で、あ、そうか、これはあれですか、
「カミロイ人の行政組織と慣習」(R・A・ラファティ)
のようなSFですか、ノック人というのはどこかの星の人ですか、そうですか、と一瞬思うのだけど、読み始めると全然そんなことはなくて、むしろけっこうハードでシビアな物語です。

どのようにハードでシビアなのかというと、主人公は物語の始まる時点で小学校に上がる直前の女の子アディーナ・アーデルングなんだけど、そのお母さんが、いわゆるところの、
「ゴミ女」
なんですね。アディーナのおうち「アーデルング・ハウス」は、お母さんが毎日ひたすら集め続けてるゴミが詰め込まれて、満足に移動もできないような、そんなゴミ屋敷なのです。
ところが、お母さんはなかなか巧妙で、家の外や庭はとってもきれいにしてるわけ。ただ、中を見られたらゴミ屋敷であることがばれちゃうから、娘のアディーナとその弟ボルコには、家の扉をノックする人(これが「ノック人」です)は邪悪な存在だ、と教え込む。ノック人を信用しちゃいけないし、うちのことをしゃべっちゃダメ、そんなことをしたら、お前達はママと引き離されてしまうわよ‥‥。

ということで、そんなゴミ屋敷出身のアディーナが、それでもノック人たちの小学校に入学して、アーデルング・ハウスと違って変なにおいがするなー、などと思いつつ用心深く友達もつくらず、ノック人の世界の中でひとり孤立したまま、学校生活を送っていく。
そんなある日、アディーナは、ふとしたことから迷い込んだ自然保護区の森(ツルの繁殖地で、ここが「ツルの森」ね)で、管理員の女性エアラと知り合います。彼女はノック人だけど、ほかのノック人と違う、ツル人だ‥‥、といつしかアディーナは、エアラに信頼を寄せていく。
そして‥‥。

ということで、この作品はいわゆるヤングアダルトなので、結末までの展開は、まあ予想通り。終盤、「えっ!」ということはありますが、「ええええーっっっ!!!」というほどのことは起こらない(たとえば、ゴミ屋敷の密室で殺人事件が起きて、アディーナがちびっ子探偵となって推理して、犯人は、ま、まさか、あの人が!!!ということにはならない)ので、安心して読めます。

‥‥と、これだけの説明だと、まあ設定はユニークだけど、ありがちな少女成長物語なのね、ということになるわけですが、いや、実は、隠し球があるのです。
著者アクセル・ブラウンズは自閉症者。(「鮮やかな影とコウモリ」という自伝もあります。)
この物語、ゴミ屋敷が舞台であるだけに、全編ゴミいっぱいで、食べたのを戻したのとか、泥とか、おしっこ(アディーナのおしっこは、物語の大切な要素です)とか頻繁に出てきます。でも、印象として受けるのは、硬質な清潔感。アディーナが使う「軽石級」「キツネ級」といった物事の格付け表現やアーデルング・ハウス内の「なんてきれいなの」「とても捨てられないわ」といったゴミの呼び方(ゴミ屋敷の中で育ちながら、アディーナは学校に入るまで、「ゴミ」というものが何なのか知らないのだ)とあいまって、見慣れた日常から微妙に遊離した、どこか不思議な味わいを漂わせています。
自閉症者の見る世界と、その独特の豊かさが、こうした表現に影響しているのかしら、などと思って読むと、うーむ、ますます興奮。この表現を味わうためだけでも、読む価値ありです。

ところで、ひとつ不満がありまして、主人公のアディーネが、どうやらけっこうな美少女らしいのですよね。最初は同級生から「くさい」とか何とかいわれる不潔少女だったから油断してたのに。お母さんもゴミ女なんだけど、なんだか美人っぽい。
私としては、
「結局は、かわいかったからなのね」
という感じがしてやや興醒めなんですが、読者の嗜好によっては、
「び、びびび美少女が、こ、こ、こんなことを!!」
と興奮度が高まって、よいかもしれません。

【こんな人におすすめ】
せせらぎ党少女部のかた

【こんな人におすすめしません】
・かたづけられない女子(主人公よりもお母さんに同情しちゃうでしょう)
posted by 清太郎 at 21:51| Comment(6) | TrackBack(0) | おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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