2008年02月26日

十四五本の鶏頭の秘密

「鶏頭の十四五本もありぬべし」
明治33年、9月9日に病床の子規が詠んだこの句については、当時からさまざまな評価がなされてきた。弟子の虚子や碧梧桐は無視し、長塚節や斎藤茂吉は絶賛し、単なる写生句という解釈もあれば、脳裏のイメージを描いたという読みもある。
が、従来の解釈は、まったく間違いである! と、ここに断言したい。
この句は断じて写生句などではないし、イメージを詠んだ句でもない。
そもそも、鶏頭を詠んだ句ではないのである。
この句は子規が、自らの哀しくも熱い思いを歌い上げたものなのだ。

以下で、実証しよう。
まず、十四五、という語に注目されたい。
十四五、すなわち14・15というこの2つの数字。
14は12+22+32という四角錐数。
15は1+2+3+4+5という三角数。
両者の間にはσ(n)=σ(n+1)、約数の和が等しい、という関係にある。(14の約数は1、2、7、14で、合計24。15の約数は1、3、5、15で、これもあわせて24。14と15はσ(n)=σ(n+1)を満たす最少の数である。)
これだけを見ても、子規がいかに意図的に14と15という組み合わせを選んだかが一目瞭然なのではあるが、まあしかし、それは、瑣末なことにすぎない。
カッと目を見開き、もう一度、よく見るがいい。
14と15。
諸君は、何か感じないか。
14とは、2×7であり、15とは、3×5である。
いずれも、2つの素数の積で表される美しい数であるわけだが、見たまえ!
これら4つの素数を足しあわせると、どうか。
2+7+3+5=17。
17なのだ! そう、俳句における聖なる数、完全数ともいうべき五七五、十七文字の17なのである!
これこそまさに、この句が、単なる写生句でも、ぼんやりとした妄想の産物でもないことの明らかな証左ではないか!

そして、そうなると、句の解釈も大きく変わってくる。
「十四五本」とは、鶏頭が14本または15本ある、という意味ではない。「完全」「全体」「すべて」「まったき」。完全性なるものの暗喩なのである。
そして、そこにかぶさるのが、「鶏頭」の語。
赤く濃い、炎のような形をして、大地からすっくとのびる花。そこに託されるイメージは、血潮、情熱、そして生命にほかならない。
ということは、つまり。
「鶏頭の十四五本」とは、「生命の完全性」の言い換えといって間違いない。
そして、結語「ありぬべし」‥‥。
そう、ここに表現されているは、のんびりとした庭先の景色などではない。病床の、もう長くは生きられないことを悟っている子規の、生への、生命への、健康への、切ないまでの望み、希求、渇望なのである。
席題の「鶏頭」という季語を巧みに使いながら、魂の奥底から絞り上げるような悲痛な叫びを十七文字の中に凝縮した、それがこの句の正体なのだ。

「鶏頭の十四五本もありぬべし」
一見したところ、「鶏頭が14、5本くらい咲いているだろう」といった事実を詠んだだけに思えるこの一句に、われわれがかくも惹きつけられるのは、そんな子規の熱い思いを、意識下でひそかに感じ取っているからではないだろうか。

‥‥といった、トンデモ子規俳句論は、どこかにないのかしら。
あるいは、「子規は俳句で911テロを予言していた!」とか、そういうの。
posted by 清太郎 at 23:10| Comment(5) | TrackBack(1) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月21日

武将探偵明智

実は前回の「探偵になった歴史上の人物」は前置きのつもりでした。ネタとして書きたかったことは別にあったのですが、リサーチ段階だけでひとつのネタになってしまいました。
ということで、あらためて、今回が本題です。
前回の一覧表を見て、
「あれ? あの人は探偵になってないのかな?」
なんてことを思いませんでしたか。
そうです。日本の歴史上には、まだまだ探偵になるべき人材にあふれているのです。
今後、どんな人物が探偵になって、どのように活躍するのでしょうか?
と、いくつか設定を考えてみました。

一遍

「僧侶が踊りて謎を解く―一遍上人推理伝」

鎌倉の幕府において、政所の武士が殺された。犯人は身内なのか。あるいは朝廷からの回し者か。苦悩する執権・北条時宗。そのとき、時宗の前に現れたのは、彼が忌み嫌っていた放浪の念仏坊主・一遍であった。「愚僧が、解決してやろう」。まさか、できるものか。「いやいや、見るがいい」。言うが一遍は、くねくねと念仏踊りを始めるのだった! 一遍が踊るとき、必ず事件は解き明かされる! 天衣無縫な念仏探偵・一遍の活躍をあざやかに描く!

→日蓮との推理対決もみどころのひとつです。

明智光秀

「明智探偵、最後の挨拶」

その卓越した知性によって、幾多の難事件を解決してきた武将探偵・明智光秀。ついに彼は、織田軍団の内奥に潜む巨大な謀略に気づいてしまった! 殿、あなたはまさか‥‥!? 真実を希求する灰色の脳細胞と、主君への忠義と愛。最後に明智が選んだのは‥‥。シリーズ初の長編にして、涙の完結編! 「犯人は本能寺にあり!」

→でも真犯人は信長じゃなかった! という土壇場のどんでん返しがすごい!

千利休

「黄色い茶室の謎」

その朝、いつものように茶を立てていた千利休のもとに、弟子の織部が駆け込んできた。「師匠! 事件です!」。さる堺商人が、自邸の茶室で殺されていたのだという。しかも、茶室は密室だった! そのうえ、朝鮮渡来の名品・黒燕の碗が紛失していた! 「ふ、わびを解さぬ者じゃのう‥‥」。嘆息した利休は自らの茶室に関係者を集めると、静かに茶を立てながら、おもむろに語り出すのだった。「犯人は、この中におりますぞ」‥‥。

→あくまで冷静沈着の利休と、動揺を押し隠そうとする犯人。その張り詰めた心理戦が、茶の湯の席という舞台にぴったりです。

徳川綱吉

「松犬三馬の怪―黒犬クロの冒険」

将軍家光の四男、徳松は、病弱で血が嫌いで女性恐怖症の軟弱者。だが、明晰な頭脳とあふれる好奇心だけは誰にも負けなかった。ある日、徳松が江戸城内を散歩していると、突然、愛犬クロが鋭くひと吠えした! 見上げると、松の梢に斬殺された白犬の屍骸がぶら下がっているではないか! さらに、今度は次々と厩の馬が殺されていく! 誰が何のためにこんなことを‥‥。これは何かの見立てなのか!? 黒犬クロとともに、探索を始めた徳松は、おそるべき真相を知ることになる‥‥! 5代将軍徳川綱吉の少年時代をみずみずしい筆致で描くユーモアミステリ!

→クロのけなげさに、思わず涙。読み終わるころには、「生類憐みの令を出すことになるのも納得」という気分になります。

桂小五郎(木戸孝允)

「攘夷の果―桂小五郎事件帖」

時は幕末、舞台は京都。新撰組と攘夷志士が、日夜火花を散らしていた。長州藩士の怪死、佐賀藩士の失踪、攘夷派を支援する商人の惨死‥‥。次々と起きる事件を、その刃物のごとき怜悧な頭脳によって解決しながら、攘夷志士のリーダー・桂小五郎は、真の黒幕・新撰組の土方歳三へと、一歩一歩近づいていくのだった‥‥。そしてすべてが明らかになったとき、小五郎自身の秘められた過去の悲劇がよみがえり‥‥。「トシ、もしや、お前はあのときの‥‥!?」。男たちの熱い思いがぶつかり合う連作ミステリ。

→小五郎と歳三の愛憎渦巻く関係に、嫉妬めいたものを感じてしまう芸者・幾松の心の動きも注目です。

正岡子規

「俳人は病牀で推理する」

根岸の自宅で寝たきりとなっている子規のもとに、今日も虚子や碧梧桐ら、弟子たちがやってきては土産話を持ち込む。子規がことのほか喜んだのが、身辺で起きた不思議な出来事にまつわる話なのだった。「先生、聞いてくださいよ、昨日まで何もなかったはずなのに、今朝見たら不思議なことに、鶏頭が十四、五本ばかり咲いていたんです」。そんな話を聞くたび、子規の大きな眼はギラリと光る。そして、仰臥したまま、何気ない事実の裏に潜む深い真実を洞察するのだった‥‥。みずみずしい感性が光る日常ミステリ!

→よく知られた子規の俳句や短歌についての裏エピソードが楽しい。エーッ、十四、五本の鶏頭にそんな秘密があったなんて‥‥!

茶の湯探偵・千利休と寝たきり探偵・子規は、いかにもありそう‥‥。ぜひどこかで作品化してもらいたいものです。
posted by 清太郎 at 22:46| Comment(3) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

探偵になった歴史上の人物

塙保己一(はなわ・ほきいち)。
「群書類従」を著者です。1746〜1821年。幼いころ失明しましたが、学才に優れ、江戸時代を代表する大学者のひとりとして知られるようになりました。夜、弟子を相手に講義中に灯明が消えて、「明かりがないと勉強できないなんて、目が見えると不便だねー」と言った、というエピソードが古文や漢文の授業でよく出てきますね。

先日、本屋さんに行ったら、その塙保己一が、探偵になってました。
中津文彦「つるべ心中の怪 塙保己一推理帖」(光文社)
へー、こんな人が探偵役になってるのかぁ、と思ってよく見たら、すでにシリーズ第3作。ひえー。

ということで、
「ほかにも歴史上のいろんな人が探偵になってるに違いない」
と、ちょっと調べてみました。(どこかのミステリファンが一覧にしてホームページで公開してるはずだと期待したんだけど、なかった。)
古代から戦前まで、超大物からマイナーな学者まで、意外なあの人が探偵になってます。(「探偵」というからには鬼平こと長谷川平蔵は入らないのでは、と迷ったんだけど、とりあえず入れておきました。実在する捕物帳の主人公って、意外に思い当たらない。)
てきとうにネットで調べただけなので、まだまだ漏れがあるかと思います。「この人も探偵だよー!」というのをご存知でしたら、ぜひご連絡ください。

→リンク【探偵になった歴史上の人物】
※このブログにそのまま載せようとしたら、表組みがうまくできなかったので、別表にしました。

今回はとりあえず、日本編だけ。世界史ものでは、柳広司がダーウィンやソクラテスなどを探偵に仕立ててますし、シオドア・マシスンの連作「名探偵群像」をはじめ海外の作品も多そうです。いずれ、気が向いたときにでも、一覧にしたいと思います。

こうして見ると、作家などの文化人が多いですね。現代人でも、吉本隆明とか村上春樹とかは、300年後くらいには探偵になってるかもしれません。
となると、子どものころ、
「大きくなったら名探偵になる!」
と思っていたあなたも、今からでも遅くはありません! がんばって、できれば文化的な方面で歴史に名を残しておきましょう。そうすれば、遠い未来、誰かの手によって、名探偵として花開くときが、来るかもしれないですよ‥‥。
posted by 清太郎 at 15:26| Comment(8) | TrackBack(1) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月16日

KY式小説「BC(=坊っちゃん)」

KY式日本語」が流行っています。
話題になった「KY=空気読めない」をはじめ、
「JK=女子高生」
「AKB=アキバ」
「PM=パンツ見えそう」
「IT=アイス食べたい」
「PSI=パンツにシャツイン」
「OTK=音立てて食うな」
「ATM=アホな父ちゃんもういらへん」
「PTA=パトラッシュとあるいた」
などなど、実際に若い子が使ってるような言葉からてきとうにでっち上げたようなものまで、全部で439語のKY式日本語が収録されているそうです。

こういうものは流行っているうちが花なので、すたれる前に、この企画。
「KY式日本語」で文学作品を表記したらどうなるか、です。
たとえば、おなじみ漱石の「坊っちゃん」。
タイトルはもちろん「BC」になります。
冒頭の場面は、こんな感じ。

《OM(=親譲りの無鉄砲)でKS(小供の時から損ばかり)している。SGK(=小学校)に居る時分GKN(=学校の二階)から飛び降りてISK(=一週間)ほどKN(=腰を抜かした)事がある。NSM(=なぜそんな無闇をした)と聞く人がAS(=あるかも知れぬ)。別段FR(=深い理由)でもない。SCN(=新築の二階)からKB(=首)を出していたら、DKS(=同級生)の一人がJD(=冗談)に、いくらIB(=威張って)も、SKT(=そこから飛び降りる)事は出来まい。YY(=弱虫やーい)。と囃したからである。KO(=小使に負ぶさって)帰って来た時、OOM(=おやじが大きな眼)をしてNGT(=二階ぐらいから飛び降り)てKNY(=腰を抜かす奴)があるかと云ったから、KNTM(=この次は抜かさずに飛んで見せます)と答えた。》

ガイドがなくても、ちゃんと読めますでしょうか。

《OMでKSしている。SGKに居る時分GKNから飛び降りてISKほどKN事がある。NSMと聞く人がAS。別段FRでもない。SCNからKBを出していたら、DKSの一人がJDに、いくらIBも、SKT事は出来まい。YY。と囃したからである。KO帰って来た時、OOMをしてNGTてKNYがあるかと云ったから、KNTMと答えた。》

‥‥半分くらいの分量になってコンパクトになりましたが、かなり意味不明。やりすぎはよくないのかも。
KY式にするのはなるべく最小限にしたほうが、インパクトもあるし、いいかもしれません。
たとえば、太宰治の「HM(=走れメロス)」のラストシーン。
メロスが、自分がMP(まっぱだか)になっちゃっていることを、YT(佳き友)セリヌンティウスに指摘されて、最後の一行がこれ。

《勇者は、ひどくSMした。》

(※「赤面」です。)
posted by 清太郎 at 11:57| Comment(6) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月15日

図書館番長

昔の少年マンガには、ときどき、番長やガキ大将が出てきました。
土管のある空き地に君臨していた「ドラえもん」のジャイアンがいい例ですが、教室を取り仕切っていたり、学校全体を支配していたり、運動場を占有したり。
マンガじゃなくとも、身近に、
「このブランコは、俺のだい!」
とかいっていつも遊具を独り占めするいじめっ子がいた、って人も多いことでしょう。

学校の図書館に、そんな番長がいたら、どうか。
専任の司書さんはいなくて、ふだんの貸出業務や本の整理は、6年生と5年生の図書委員が持ち回りでやっています、なんていう小さな学校図書館です。
本好きで腕っぷしの強いゴリ田くん(あだ名)は、図書委員に就任するや、たちまち腕力でもって委員会を掌握。当番制なんて無視して、放課後や休み時間はいつも、図書館のカウンターに陣取ってます。
そうして、他の生徒が借りようとする本を取り上げたりする。
「これ、貸し出しお願いしまーす」
「んっ、何? 『あやうしマガーク探偵団』? へっ、おもしろそーじゃねーか。ふんっ、これは、貸さん!」
「えっ」
「俺が先に読む! 俺が読むまで貸し出し禁止だ!」
「そんなぁ‥‥」
「んっ、何だ、おめえ、何か文句でもあるのかよお(ギロリ)」
「い、いえ、ごめんなさい、すみません、また今度にします‥‥」

逆に、強引に本をおしつけることも、しばしばです。
「んっ、何? 『恐竜化石のひみつ』? くだらねーもん借りんじゃねーよ、こんなもん、貸し出し禁止だ!」
「えっ」
「おめえには、そのかわりに、これを貸してやる。メアリー・ノートンの『床下の小人たち』だ」
案外、趣味がよかったりして。
「さすが、ゴリ田さん、いい本を知ってますねー」
隣で、腰ぎんちゃくのスケキヨ(あだ名)が、お追従を述べたりします。
その当時は、
「ゴリ田の野郎、好き勝手しやがって‥‥」
と、みんなから憎まれるんですが、二、三十年後には、
「今の僕があるのも、あのときゴリ田君がすすめてくれた『床下の小人たち』のおかげかもしれないなあ」
なんてことになったりするのね。

で、そんなゴリ田くんがそのころ自宅でひそかに読んでいた本が、「魔女の宅急便」「若草物語」「バレエダンサー」「エーミールと探偵たち」「ナルニア国」「ふたりのロッテ」「大きな森の小さな家」「水の子」‥‥。
なんだか番長っぽくない、女の子向けのラインナップです。
というのも、ゴリ田くんは、隣のクラスのマミちゃんが読み終えた本を、後でこっそり借り出していたのでした。
‥‥というベタな展開、けっこう好きです。
posted by 清太郎 at 00:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月13日

チョコレート改革

明日はバレンタインデーですね。ワクワクしている男子、ドキドキしている女子もいらっしゃることでしょう。

チョコレート関連の小説というと、
・「チョコレート工場の秘密」ロアルド・ダール(評論社)
・「アーモンド入りチョコレートのワルツ」森絵都(角川文庫)
・「グミ・チョコレート・パイン」大槻ケンヂ(角川文庫)
など、いくつか思い浮かびますが、
「チョコレート関連の短歌」
といえば、この一首に決まりですよね。俵万智の第3歌集「チョコレート革命」より、

「男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす」

「男ではなくて大人の返事する」というんですから、ふだんは、
「センパイのこと、好きですぅ」
とか言い寄っても、
「おお、ありがとう、僕もユミちゃんのこと、大好きだよー。で、今朝頼んでおいた資料、用意できた?」
なんて相手にしてくれないあの人に対して、このあたしの、真実の思いを注ぎ込んだチョコレート(手作りのハート型で、中にエッチな写真入り)を渡して、今度こそ、ハートを打ち抜いてやる!
といった気持ちを詠んだ歌でしょうか。
「革命」という言葉にもっとこだわれば、
「あなたにとっては愛する奥さんからのチョコ以外は、眼中にないんでしょう。でも、あたしが、その妻の座を奪い取ってみせるわ! 家庭なんかクソくらえ! 今の奥さんなんか、蹴落としてやる! 恋のクーデターよ!」
といった、強い決意を詠んだ歌、ともいえなくはありません。

ところで、そうした強い気持ちを抱いている場合は「チョコレート革命」という言葉がピッタリですが、ではこれが、微妙に違う気持ちだったら、どうなるでしょう。どんな言葉で表現すればいいのか、以下で、ちょっと考えてみました。

たとえば、「革命」というほど強い気持ちではない場合はどうか。
私のことを振り向いて、なんて、そんな大それたことは望みません。ただ、ほんの少しだけ、部下でもない、後輩でもない、女としての私の存在を、意識してくれれば、それでいいんです‥‥、という控えめな恋心を詠んだとしたら、こんな歌になります。
「男ではなくて大人の返事する君にチョコレート改革進める」

あるいは逆に、革命なんて甘っちょろい、あたしの手に入れられないのなら、いっそのこと‥‥、この爆弾入りチョコで‥‥、という場合は、こうなります。
「男ではなくて大人の返事する君にチョコレートテロル計画」

「何? チョコレート? くだらない、そんなものより、今日の会議の資料をよこしなさい」
などと言って、チョコを受け取ってもくれない、そんなつれないあの人への思いを歌に詠むとしたら、こんな感じ。
「男ではなくて大人の返事する君にチョコレート開国させる」

対する、男からの返歌。
「大人ではなくて女の期待する君にチョコレート尊王攘夷」

あるいは、周囲の男の気持ち。
くそー、お前ばっかりモテやがってよお、いったい今日いくつチョコもらったんだよ、えっ、それに、なんだよ、女の子が、決死の形相で「これ、どうぞ‥‥(ぽっ)」なんて手渡すチョコを、顔色ひとつ変えずに「サンキュ」なんて、軽く受け取りやがって、くそー、おい、お前、カバン開けろ、今日もらったチョコ、ぜんぶ出せよ、えっ、出せって言ってんだよ、おい、逃げんじゃねーよ、みんなー、こいつ取り押さえるんだ! という気持ちを詠んだ歌。
「男ではなくて大人の返事する君にチョコレート一揆を起こす」

くそー、こんなにもらいやがって、よーし、これ、みんなで山分けしよーぜ! ということになったら、
「男ではなくて大人の返事する君のチョコレート共産化する」

もう、何が何だかよくわかんなくなってきました。
posted by 清太郎 at 10:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月10日

boopleの新妻さん

真面目かつウィットの効いた言葉に「癒される!」と話題になった「生協の白石さん」。ブームは過ぎ去りましたが、今でも日々多くの人たちが、その言葉によって癒され続けています。
この生協の白石さんに勝るとも劣らぬ癒しキャラが、出版界にもいることをご存知でしょうか。それが、今回ご紹介する「boopleの新妻さん」です。

ご存知のかたも多いでしょうが、boopleは、大手取次・日販の関連会社、日販IPSが運営しているオンライン書店。そのブログbooplog.comでは毎日、書影つきで新刊情報を更新しており(重宝してます)、ついでに出版関係のニュースも「出版ニュースリンク」として紹介しています。
その最後に、担当者がちょっとしたひと言を添えているわけですが、それが毎回、なんとも心癒されるひと言なんですね。

担当者は「新妻」さん。北村薫の《覆面作家》シリーズに出てくる新妻千秋と同じ姓、ではなくて、新婚さんのようです。(といっても、そんなにホヤホヤではありませんが。)
新妻、というだけで、「萌え」という人がいるかもしれませんが、いや、たとえ新妻ファンじゃなくとも、その言動が、もう、たまらんのですわ。萌えまくりです。
2006年6月、新妻さんは、次のようなコメントともに颯爽と登場しました。

2006/6/12
※先週より担当しております、新妻です。主婦目線だと思ったら大間違いですよ。

たしかに、「主婦目線」ではありません。たとえば、こんな感じ。

2008/2/7
※私も昔、ダイエット中なのにカップ麺をどうしても食べたかったので、風呂に浸かりながら食べ、プラマイゼロにしようと試みた事を思い出しました。(担当 新妻)

2008/1/23
※今日は雪なのでかなり防寒対策をして出社したのですが、ちょっとやりすぎでした。(担当 新妻)

2008/1/22
※昨日の晩御飯は、あじのたたきとトーストというわけの分からない組み合わせになってしまいました。(担当 新妻)

何がどう、と説明しがたいのですが、とにかく、萌えてしまいます。萌えて、かつ、癒されます。

2007/12/13
※久しぶりに傘をさしたので、うまく使いこなせませんでした。(担当 新妻)

2007/9/13
※今年のお正月はだらだらしないぞ!と今から気合を入れています。(担当 新妻)

2007/8/22
※最近、クロール中の息継ぎがうまくできなくなってしまいました。(担当 新妻)

2007/7/11
※忙しい喫茶店に入ると手伝いたくなります。(担当 新妻)

みずみずしい感性に、胸を打たれることもしばしば。

2007/1/30
※何十年ぶり!というくらい久しぶりに霜柱を見ました。すごいきれいだった!(担当 新妻)

2007/9/13
※電車の中で、おすもうさんの匂いがする!と思ったら、真後ろにおすもうさんが2人いました。(担当 新妻)

2007/8/8
※わーいと言いながら走ると、元気がでますよ。(担当 新妻)

2007/3/15
※腐った牛乳をレンジでチンすると、ミルクプリンみたいになりますよ。(担当 新妻)

ちょっとドジっ娘なキャラが、なんとも萌えを誘います。

2008/2/6
※パジャマで買い物に行ってしまいました。(担当 新妻)

2007/12/27
※今日、会社のデスクでクロワッサンを食べてはいけない、という事を学びました。(担当 新妻)

2007/11/2
※今朝は首に巻いたストールによだれをたっぷりたらしてしまいました。(担当 新妻)

2007/9/18
※引っ越して早々、洗濯機の裏側にものを落として取れなくなりました。(担当 新妻)

2007/6/25
※久しぶりに電車にはさまれて、人に救出されてしまいました。(担当 新妻)

2007/1/9
※共和党の「マケイン氏」をマツケンと見間違えました。(担当 新妻)

2006/6/29
※広告に載っていた「噂のクッキーダイエット」を「曙のクッキーダイエット」と読み間違えました。(担当 新妻)

こんな萌えキャラは、どんな家庭で育つのかと思うでしょうが、どうやら母親譲りのようです。

2007/5/15
※「パッチギ」を映画館に観にいったつもりの母たち3姉妹は、観終わってから「プルコギ」を観ていた事に気づいたそうです。皆さんもお気をつけて。(担当 新妻)

類は友を呼ぶのか、お友達もなかなかのキャラ。

2007/5/2
※履いてた靴をコンビニの駐車場に脱いできてしまう、という失態をした友人がいました。お家にあがる時の様に車の外に揃えて脱いで乗ってしまったようです。(担当 新妻)

ちなみに、そんな新妻さん、今年の目標(昨年の目標は「脱!肉」だった)について、こう宣言してました。

2007/1/7
※あけましておめでとうございます。今年の目標は「菩薩のように」です。(担当 新妻)

いえ、だいじょうぶ! すでに、多くの読者にとって、新妻さんの存在は菩薩のようになっていると思います。
「boopleの新妻さんの日めくりひと言カレンダー」が商品化されたら、ぜひ購入させていただきます。
posted by 清太郎 at 17:34| Comment(9) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月07日

萌え俳人・与謝蕪村

前回の続き。与謝蕪村は萌え俳人だったのではないか、という話。
「萌え」といってもいろいろあって、たとえば
“「あるキャラクター、およびそれに付随する事象についてある程度持続的なエロス的感覚」を意味する俗語”
といったように広くとらえれば(by 水無田気流「黒山もこもこ、抜けたら荒野」光文社新書)、まあ、それこそ土俵上の巨漢力士も国会で答弁中の中年代議士も萌えの対象となるわけですが、ここではもうちょっと限定的、というか汎用的な意味での萌え(たとえば、猫耳少女とかドジっ娘のメイドとか釘宮理恵のツンデレ声とかが喚起する萌え)として話を進めましょう。

蕪村の俳句って、そんな萌え心を刺激するものが多いように思えるのです。
というのも、まず、蕪村って(えーと、このへん、素人がてきとうなことを言いますが)、ちっちゃくてかわいいものを表現するのがうまいんですよね。五七五の17文字をめいっぱい使って、あえて大きなもの、広い世界と対比させることで、小さなものの小ささ、かわいらしさ、けなげさ、いとおしさ、ちょっと守ってあげたくなる感じ、を巧みに引き出す。
そのいい例が、かの有名な、
「五月雨や大河の前の家二軒」
で、どうでしょう、梅雨で増水してドウドウと流れる川に対して、そのほとりに立つ二軒の家の姿の、ああ、なんといじらしいことか! 一軒じゃなくて「二軒」というのがまたいい。おたがい寄り添って身をすくめている、なんて雰囲気がいっそう強調されてます。なんというか、
「ねえ、おねえちゃん、あたしたち、大丈夫かなあ」
「う、うん、し、しんぱいしないで! おねえちゃんが守ってあげるから!」(むぎゅ)
みたいな感じで、ほらね、これはもう「萌え」としかいいようがない。
単に家が二軒立っているだけなら、それは萌えでも何でもないでしょう。けれども、この家二軒を、渦巻く大河とともに配したその瞬間、すでに、もう家は、家じゃないのです。家だけど、幼女なんです。なんという転換、なんというたくみの技、そして、
「何たる萌え俳人!」
と、後世の我々は嘆息せざるをえません。

同様に、たとえば、
「釣鐘にとまりてねむる胡蝶かな」
の、どっしりと大きい釣り鐘に対して、胡蝶はいかにもちっちゃくて、しかも「ねむる」なんだから、
「おにいちゃん‥‥」
とかいいながら、あらあら、眠っちゃったよ、しょうがないなあ、しばらくおんぶしててやるか的な、このようすは、まさに、
「年の離れた妹」
といった趣だし、
「短夜や浅瀬に残る月一片」
の、そろそろ空が白みかける頃、だだっ広い海辺だか河辺だかの浅瀬に、まるで取り残されたようにぼんやり映っている月は、いかにもはかなくて、いじらしくて、その姿はいわば、
「放課後の教室にぽつんとひとり残った、お下げ髪のセーラー服少女」
のよう。ちなみに、眼鏡っ子です。

大と小を組み合わせた以上のような句に加え、蕪村には、もっとダイレクトに萌えシチュエーションを詠んだ句も、少なくありません。
代表的なのが、これ。
「夏河を越すうれしさよ手に草履」
どうです! 夏の日差しの下、川をわたるのに、濡れちゃうといけないから、靴を脱いで手に持って、
「きゃーん、冷たいっ!」
「でも、気持ちいい〜!」
なんて句。濡れた白い脛、跳ね飛ぶ飛沫、ひるがえるスカート。これを、
「萌え」
といわずして何というか。(別に、靴とスカートに置き換えなくても、着物と草履でもじゅうぶんイケます。)
あるいはまた、
「温泉(ゆ)の底にわが足見ゆるけさの秋」
には、「いきなりお風呂シーン!?」と色めき立たずにはいられないでしょう。

そうして、いくつかの句に萌えを見出したら、あとはもう、オートマティック。蕪村のどの句にも、何らかの萌えを感じずにはいられなくなります。
たとえば、
「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」
には、浜辺で日がな一日潮風にあたりながら本を読んでる少女。
「菜の花や月は東に日は西に」
には、菜の花畑に頭だけちらちら見え隠れする女の子。
「月天心貧しき町を通りけり」
には、桶を手に抱えて、石鹸箱の音をコトコト鳴らして急ぐ、銭湯帰りの濡れ髪のおねえさんの姿が、浮かんできてしまうわけですよ(このへんは、女の子じゃなくても、少年たち、でもいいんだろうけど。その他、メイドとかナースとか猫耳とか、お好みでどうぞ)。
「牡丹散りて打かさなりぬ二三片」
は、「牡丹」が「散りて」「打かさな」って、しかも「二三片」だなんて、なんたるエロス、萌え〜、とドキドキせずにはいられないし、
「易水にねぶか流るゝ寒かな」(「ねぶか」とはネギのことです)
は、どんぶら流れていくネギを追いながら「待ってぇぇぇ」と泣き顔で走る初音ミクの姿が思い浮かびます(初音ミクの持物は、なぜかネギということになってるらしいです。ついでに、「葱買うて枯木の中を帰りけり」では、川にネギを落としちゃったミクが、しかたなくお店で新しくネギを買って、しょんぼりしながら家路についてます)。

うーむ、おそるべし、与謝蕪村。なんという萌え句、なんという萌え俳人。
萌え全盛の現在こそ、われわれは今一度、蕪村に学ぶべきではないのか。
ということで、蕪村再評価の機運を高めるためにも、俳句マニアの女子中学生「ぶそタン」などが活躍する萌えアニメ、
「俳句しちゃうぞ☆」
なんてのをつくってみてはいかがでしょうか。
(アニメが無理なら、萌え俳句4コママンガ「ひね☆もす」でもいいです。)
posted by 清太郎 at 21:36| Comment(7) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月05日

ツンデレ俳句

「ツンデレカルタ」
というのが、ちょっと前に話題になりましたね。アニメのツンデレキャラで名高い声優の釘宮理恵さんが読み手になって、
「(し)し、心配なんかしてないんだからね!」
「(す)好きでこんな格好してるわけじゃないんだからね。アンタの前だけよ‥‥もうバカ‥‥」
「(つ)ついでだからあんたも誘ってあげるわ」
なんていうのね。

で、カルタにツンデレがあるんだから、
「ツンデレ俳句」
っていうのはないものかしら、と思ったわけです。現代なら、故意にキャラっぽくツンデレ句をつくってる人がいそうですが(たとえば、「何よモウ ついてこないで 冬木立」とか)、近代以前の俳人の句で。
と考えていろいろ見てみたんだけど、なかなかコレ!というのが見当たらないのね。女性俳人ならありそうかというとそうでもなくて、むしろ、たとえば三橋鷹女の、
「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」
みたいにダイレクトなのが目に付いたりする。

うーん。俳句とツンデレはミスマッチなのか、あるいは近代以前の俳句にはわびさびはあってもツンデレはなかったのか‥‥(っていうか、単に私が俳句を知らなさすぎるだけなんだろうけどね)。と、あきらめかけていたところ、おお、まさに、これぞツンデレ句!という名句(けっこう有名な句です)に辿り着きました。
与謝蕪村の、この句。
「鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半の門」
釣りに行った友達が、帰りに鮎をくれた。うちに寄っていけよと誘ったけど、遠慮した彼はそのまま返っちゃった。というような句。あるいは、釣りに行った友達がお土産にくれたのだろう、門のところに鮎が置いてあった、といった感じか。

というように解すると、なんかちょっといい友情俳句(むしろガチホモ?)に見えてしまうけど、鮎をくれたのがツンデレ美少女キャラだと思えばいい。
「はい、これ」
「えっ、何? ‥‥あっ、鮎だ。ありがと! もしかして、これ、僕におみやげ?」
「バ、バカ、な、何言ってんのよ、そんなんじゃないわよ。釣れすぎただけだってば!」
「そう‥‥。とにかく、ありがとうね。せっかくだから、うちに寄ってけば?」
「ちょ、ちょっと、ヤダ、何言ってんのよ、たまたま、帰り道に、アンタんちがあっただけなんだから。あたし、忙しいんだから、そんなヒマないんだから! もう帰る!」
というシチュエーションに思えてくるではないか。うーん、いい、ツンデレ。

蕪村でもう一句、
「初冬や訪(とは)んとおもふ人来り」
これも、状況によってはかなりツンデレ。
「ちょ、ちょっとアンタ、何の用よ、アンタなんか来ても、別にうれしくも何ともないんだから! あたし、一人でも寂しくないんだから!」
という感じ。むふー、萌えます。
ところで、こうしてあらためて見てみると蕪村って、ツンデレだけにとどまらず、ちゃんと「萌え」をわかっていたような気がします。蕪村の句には「萌え句」が多いんじゃないか、と思えるのですが、これはまた次回に。
posted by 清太郎 at 13:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月02日

[本]生きていてもいいかしら日記(北大路公子)



「サンデー毎日」の、好評(なのかどうなのかわかんない)連載がついに単行本化。わーい。
この日のために、ずーっとがまんしてきました。本になったらまとめて読もう!と、「サンデー毎日」の立ち読みを自ら禁じてきました。ああ、がまんしてよかった。
最初のほうは、ちょっと「サンデー毎日」のオジサン読者にあわせようかしらと手探りしてみた感じなんだけど、いつの間にか読者のほうを自分の都合に合わせていっちゃってます。むふー、たまりません。

内容について、帯のところに、
「40代、独身、親と同居。好きなもの、昼酒。「いいとこなし」のキミコが送る、超地味なのになぜか笑える日常。」
と書いてあるんだけど、えーと、これは、ウソじゃないけど、ホントでもないのでは。
だって、こういわれてふつうの人が思い浮かべるのは、たとえば、
「ダメな女子がダメな毎日をつづって、ダメ読者の共感とダメじゃない読者の侮蔑と安堵を誘う」
とか、
「誰にでもある何気ない日常のひとコマを切り取って、あたたかな笑いを誘う」
とか、とにかくそういう「誘う」系エッセイのはずでしょう。でも、そんな「誘う」系エッセイには、たぶん、次のような文章は載らないんじゃないでしょうか。

《猛烈に「お相撲さんになりたい」と思うことがある。中学生の時は違った。中学生の時は妖精になりたかった。去年の春、(‥‥)尋常ならざる勢いで部屋の片付けをしたことがあって、その際に発掘された昔の日記に「妖精になりたい。妖精になって大好きな人の肩にそっととまりたい」と書いてあったから間違いない。》

《人はなぜサイの代わりにカバを勧めるのか、という問題がある。》

《某日。友人と酒を飲む。炎天下のため、「ビールのコーンスープ化現象」に見舞われる。これは、暑さですぐぬるくなるビールを不憫に思い、不憫に思った結果、急いで飲み干そうと焦り、焦った結果、飲酒ペースが加速度的に上がり、上がった結果、短時間で大量の酒を消費し、消費した結果、今自分が飲んでいる物がビールなのかコーンスープなのかすらわからなくなるほど酔っ払う、という夏ならではの愉快な現象である。》

《二番目に怖いのが押し入れで、これは昔テレビで見た「押し入れを開けると小さなお婆さんが正座していた」という話が原因だ。よくある心霊番組だったが、もう一生押し入れのある家には住みたくないと思った。そこで親に引っ越しを提案したところ、即座に却下。悩んだ末、打開策として、「押し入れを閉めない」という方法を思いついた時は、わたしゃ自分が天才だと確信したね。閉めるから開ける必要が生じるのだ。開けるからそこにお婆さんがいるのだ。ならばいっそ開け放て。まじ天才。
 以来、私の部屋の押し入れは常に開かれている。今もそう。四十歳過ぎてそれはどうかと責めるむきに対しては、そもそもその番組見たときは高校生だったと主張したい。》

それはそうと、このタイトル、ちょっとどうかと思うのだが。
だって、連載が続くうちは(続いてるよね?)続刊がどんどん出るわけでしょう。
となると、最初が「生きていてもいいかしら日記」なのに、第2巻が、
「愛の万華鏡」
というわけにはいかないでしょう。
必然的に、たとえば、
「人としてどうかしら日記」
「畳の上で死ねるかしら日記」
「女としてもうダメなんじゃないかしら日記」
「少なくとも体脂肪40%はヤバイんじゃないかしら日記」
「っていうか、ついに体脂肪50%になっちゃったんですけど日記」
などとならざるをえないわけで、こんなのを本棚に並べるのは、うーん、ちょっと、どうなのかしら‥‥。

【こんな人におすすめ】
・40代・独身・親と同居・好きなもの昼酒の「いいとこなし」の女子、以外の人。

【こんな人にはおすすめしません】
・40代・独身・親と同居・好きなもの昼酒の「いいとこなし」の女子。(「わたしと同じ境遇のはずなのに、なんでこんなにてきとうにいいかげんに気ままに生きていられるの!」と憤慨することになると思います。)
※小中学生の娘さんにも読ませないほうがいいと思います。教育上よくないので(「こんな大人になっても生きていけるんだ!」と思われたら困る)。
posted by 清太郎 at 07:29| Comment(2) | TrackBack(0) | おすすめ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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