2007年05月10日

詩は別腹

「詩は別腹」などといいますが(岡崎武志『読書の腕前』光文社新書)、本大好きの読書家で、毎月20冊も30冊も本を読む、というそんな人でも、「詩集は?」と問われると、えーと、詩集なんて読んだことあったっけ? ということが、よくあります。
それで「ごめんなさい、そんなことでは読書家なんて名乗れません。今日から詩集もちゃんと読みます」ということにはならなくて、大抵の場合は、「そうだよねー、詩集ってのもあるよねー」と流されて、おしまい。詩は不当な扱い、いわれなき差別を受けている、というのが現状です。

「詩のボクシング」というイベントがあって(今年で10年目だそうです)、新しい文芸のかたち、言葉の格闘技だ!として評価されているわけですが、これだって、差別されている、という詩の影の部分の裏返しなのかもしれません。ほら、古代ローマの剣闘士競技のようなもので、剣闘士達の闘いを観客席から楽しむように、詩人達の闘いを見せ物として楽しむ。これがもし詩人ではなくて、大御所の作家、たとえば大江健三郎と村上春樹だとしたら、リング上で闘うなんて、ありえません(見てみたいが。いや、見たくないか)。

となると、かつて古代ローマで、スパルタクスを中心とした剣闘士達が蜂起したように、不当な差別を自覚した詩人達が一致団結して立ち上がる、ということが、将来ないとはいえません。
そうなったとき、詩以外の、小説やルポタージュやエッセイなどの陣営に、あらがうすべはあるのか。今まで蔑視されてきたとはいえ、詩の持つ力は相当のものです。なにしろ、瞬発力が段違い。迎え撃つ小説側が、冒頭の一行からのたのたと語り始めるのに対して、詩は数十行、ときにわずか一、二行でケリをつけます。
「オイ、何をやってるんだ、押されてるぞ、詩どもに負けてたまるか。よし、奥の手だ、あれを出せ、ドストエフスキーだ、『罪と罰』で、あいつらを蹴散らしてやれ」
「ハイッ、『罪と罰』いきまーす、七月のはじめ、めっぽう暑いさかりのある日ぐれどき、ひとりの青年が、S横町のせまくるしい間借り部屋からおもてに出て‥‥」
というところに斬り込んできた詩陣営が、
「なみだは にんげんのつくることのできる 一ばん小さな 海です」
ズバッ! ブシューッ! フギャー。
小説サイドに、勝ち目はなさそうです。

となると、そのような詩の反乱が起こらないよう、小説やルポタージュやエッセイなどの陣営は、今から少し反省したほうがいいのではないでしょうか。みずから、詩と同じ地平へと降りてみる、という謙虚さが必要です。
具体的には、詩のボクシングを見習って、「小説のレスリング」を開催するとか。
第1回は、「大江健三郎 VS 村上春樹」で。途中で両者、もう興奮してきちゃって、思わず、組んずほぐれつ。
‥‥なんての、別に見てもしょうがないか。ならば、「綿矢りさ VS 衛慧」あたりで。


posted by 清太郎 at 15:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。