2007年05月26日

ニセモノ小説

先日、中国の偽ディズニーランドみたいなのが話題になっていましたが、ああいうのって、微妙に「似せない」ことがキモなんでしょうか。お金がからむと「ケシカラン!」話なのかもしれないけど、端から見ているぶんには、あのなんともいえない脱力的なヘタウマ加減(いや、ヘタなだけでウマくはないのか)が楽しいので、この手のネタはけっこう好きです(他にも、ロッテだと思ったら「ロッチ」だった、とか、そういうの)。

それにしても、いつもニュースになるニセモノは、こうしたディズニーやドラえもんといったキャラクターばかり。ニセモノが出回るほどになる、というのが人気の指標のひとつだとすれば、われらが本業界にも、もっとがんばってもらいたいものです(あ、いや、もちろん、「最近、本物の小説が一体どこにあるというのだ!」というようなブンガク的な皮肉を言いたいわけではありません)。

アジア諸国では、村上春樹やよしもとばななの海賊版が出回っているそうですが、海賊版ではつまんないですよね。求めるべきは「ニセモノ」です。偽ミッキーや偽ドラに通じる脱力感がほしい。
たとえば、
・「ノルウェイの森」とか「ねじまき鳥クロニクル」とか、見た目は村上春樹そのものなんだけど、読み進めると、主人公がぜんぜん女の子にモテない。
・「キッチン」とか「TSUGUMI」とか、内容はよしもとばななそのものなんだけど、作者の名前が「よしもとマンゴー」になってる。
・見た目も内容もほとんど京極夏彦の京極堂シリーズそのままなんだけど、よく目を凝らすと、登場人物の名前が微妙に違ってる。榎木津礼二郎が「札二郎」になってるとか。
・「V.」とか「重力の虹」とか、ピンチョンの小説なんだけど、著者近影が載っている(しかも、けっこうカッコイイ)。
・「東京タワー オトンとボクと、時々、オカン」。
・「人は見た目が8割」。
ニセモノと知らずにこういう本を買ってしまい、読んでる途中で「わ、これ、ニセモノだった」と気づいたとしたら‥‥、それはそれで、なんだか嬉しいような気がするんですが、どうでしょうか。
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2007年05月16日

生首事件

先日のジェットコースターの事故といい、昨日の福島の事件といい、なんだかよくわかんないけど、
「いま、時代は生首だよね!」
とばかりに、利にさとい書店人の中には、
・諸星大二郎「栞と紙魚子の生首事件」
・京極夏彦「魍魎の匣」
・綾辻行人「殺人方程式〈切断された死体の問題〉」
・法月綸太郎「生首にきいてみろ」
などの生首モノの発注をかけて、
「今がアツイ! 生首フェア」
を企画しているかたも多いと思いますが、不謹慎だからよくないと思います。

あるいは寄席で、タイムリーなネタだ!と「首提灯」をやる噺家さんがいるかもしれませんが、それも不謹慎だと思います。
ちなみに、「首提灯」ってどういう噺かというと、酔っぱらった町人が、侍にからむのね。怒った侍は、スパーン!と町人の首を斬ってしまう。けれど、あまりに見事な太刀筋だったんで、町人は斬られたことに気づかないまま。上機嫌で歩いていると、だんだん首と胴がずれてくるので、アレレ、とかいって戻したりして、そのうち混雑に巻き込まれて、あわわ、大事な首が落ちそうになる、ってんで、こうして首を持ち上げて、「どいたどいたーっ」。

あるいはまた歌舞伎で、義経千本桜の「鮨屋の場」をやろう!ということになるかもしれませんが、それも不謹慎です。生首が入った鮨桶を下げてスタコラサッサっていうのね。

っていうか、以前のバラバラ殺人のときもそうだけど、こういうことが起きるたびにこんなことばかり書いてるこのコラムも、ちょっとどうかと思います。ごめんなさい。
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2007年05月14日

池澤夏樹の世界文学全集

あまり話題になってないみたいですが、河出書房新社から出る池澤夏樹個人編集世界文学全集のラインナップが発表されてたんですね。いちおう書きだしておくと、こんな感じ。

【第I集】全12巻
1 オン・ザ・ロード(ケルアック)
2 楽園への道(バルガス=リョサ)
3 存在の耐えられない軽さ(クンデラ)
4 太平洋の防波堤/愛人(デュラス)
  悲しみよこんにちは(サガン)
5 巨匠とマルガリータ(ブルガーコフ)
6 暗夜(残雪)
  戦争の悲しみ(バオ・ニン)
7 ハワーズ・エンド(フォースター)
8 アフリカの日々(ディネーセン)
  やし酒飲み(チュツオーラ)
9 アブロサム、アブロサム!(フォークナー)
10 アデン、アラビア(ニザン)
  名誉の戦場(ルオー)
11 鉄の時代(クッツェー)
12 アルトゥーロの島(モランテ)
  モンテ・フェルモの丘の家(ギンズブルク)

【第II集】全12巻
1 灯台へ(ウルフ)
  サルガッソーの広い海(リース)
2 失踪者(カフカ)
  カッサンドラ(ヴォルフ)
3 マイトレイ(エリアーデ)
  庭、灰(キシュ)
4 アメリカの鳥(マッカーシー)
5 クーデタ(アップダイク)
6 軽蔑(モラヴィア)
  見えない都市(カルヴィーノ)
7 精霊たちの家(アジェンデ)
8 パタゴニア(チャトウィン)
  老いぼれグリンゴ(フエンテス)
9 フライデーあるいは太平洋の冥界(トゥルニエ)
  黄金探索者(ル・クレジオ)
10 賜物(ナボコフ)
11 ヴァインランド(ピンチョン)
12 ブリキの太鼓(グラス)

ジャック・ケルアックの「路上」が「オン・ザ・ロード」として新登場! 青山南訳!というのがなんだかとても池澤夏樹のイメージ(正確には、ほとんど読んだことのない池澤夏樹に対する私の勝手なイメージ。ちなみに関川夏央と微妙に混じっちゃってます)にぴったりで、おお、そう来たか!と思ったのだけど、こうやって全ラインナップを見せられると、名前しか知らない(あるいは名前すら知らない)作家と作品ばかり、ということもあって、なんだかよくわかんないけど、まあこんなもんなのかな、というのが正直な感想です。
細かいことをいえば、いかにも文学全集らしい大艦巨砲主義というか「詩は別腹」なのだなあとか(T. S. エリオットの「荒地」という選択肢はなかったのか)、ブッツァーティとかタブッキとかユルスナールとかを入れてほしかったとか、バルガス=リョサとフエンテスがあってG・ガルシア=マルケスやボルヘスはないのかとか、ポストコロニアルな作家がもっとあってもいいんじゃないのとか、ヴォネガットとかフィリップ・K・ディックあたりで個性を主張してもいいのにとか、きりがないのだけれど、これを契機に、品切れ重版未定だった作品が手に入りやすくなったりとか文庫になったりとか、そういうことになるといいなあ。

‥‥というだけで終わってしまってはコラムにならないので、もう少し付け加えると、先週何度も強調してきた「対決」。これをここでもまた声を大にして言いたい。各出版社は傍観してないで、河出書房新社の池澤夏樹版文学全集に真っ向から対決してはどうであるか。
たとえば‥‥
講談社:村上春樹個人編集・安西水丸デザイン「世界文学全集」
集英社:島田雅彦/高橋源一郎/山田詠美共同編集「新しい世界文学全集」
講談社:「ドラゴン桜」の三田紀房監修「東大に入るための世界文学全集」
幻冬舎:村上龍責任編集「13歳の世界文学全集」
新潮社:北村薫個人編集・高野文子装画「少年少女のための世界文学全集」
筑摩書房:クラフト=エヴィング商會装丁「世界文学全集の森」
本の雑誌社:椎名誠/目黒孝二編集・沢野ひとし画「世界どかどか文学全集」
太田出版:東浩紀ほか編・ばらスィーほか画「萌える世界文学全集」

そうして、
「えーっ、今月は、集英社版も本の雑誌社版もブッツァーティの『タタール人の砂漠』なの! わー、集英社版は装画が鳥山明だ! わー、でも本の雑誌社版の椎名誠の砂漠写真もいい!」
というようなことになれば、それなりに話題になって、盛り上がると思います。
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2007年05月11日

高校生文学イベントの可能性

全国さまざまな地方自治体が、以前から文学を媒介とした街づくり・地域振興に取り組んでいます。地方文学賞の創設や文学館設立といった定番ものに加え、最近注目されているのがイベントです。中でも、「詩のボクシング」の影響を受けて登場した松山の「俳句甲子園」、そして昨年から始まった岩手の「短歌甲子園」は、「甲子園」と名乗る通り全国の高校生が腕を競う、なんというかキャピキャピというか若さと瑞々しさにあふれていて、努力と友情、そして勝利、というジャンプ的な展開で、ビジュアル的にもそれなりに絵になるとあって、徐々に知名度を上げてきています(とかいって、知らなかったんだけど)。

これらの成功にならって、我が町、おらが村も文学イベントを!と、はやり立っている自治体関係者も多いでしょうが、しかし、残念ながら、この世界は早い者勝ち、やったもん勝ち。たとえば松山の俳句甲子園に対抗して、子規の青二才が何だ、俳句といったら芭蕉だぜ!と、松尾芭蕉の出身地の伊賀上野が「芭蕉杯俳句大会」なんていうのを創設したところで、しょせんマネっ子、亜流、二番煎じにしかなりません。

だからといって文芸のジャンルは無限にあるわけではなく、というよりむしろごく限られた数しかありません。
俳句に短歌だから、次は川柳かな、と考えたところで、川柳の本場といえばまずは江戸=東京でしょうから、東京以外の自治体が名乗りをあげるのはおこがましいし、サラリーマン川柳のイメージが先行して、高校生らしいさわやかさにも欠けます。
俳句と短歌と川柳がダメなら、えーと、漢詩ではどうか、と奈良や鎌倉、あるいは菅原道真ゆかりの太宰府が漢詩大会の開催を呼びかけたところで、漢詩を詠める高校生がそんなに集まるとも思えません。

そこで、俳句と短歌と川柳と漢詩がダメなら、えーと、えーと、ということになるのですが、そのあたりで手詰まり。小説やエッセイといったジャンルでイベントを行おうとしても、即興性・身体性に欠けるし、単なる文学賞とさして変わりがなくなってしまいます。

となると、高校生が参加する文学イベントはもう無理なのか、ということになるのですが、いやいや、ここからが各自治体担当者の腕の見せ所。詩や短歌といった大枠でとらえるのがダメなら、細分化すればいいのです。
たとえばさっきの松尾芭蕉も、「奥の細道」に着目して、栃木・福島・宮城・岩手・山形・新潟・石川の7県合同で、
「奥の細道をめぐる地獄の耐久俳句駅伝レース」
というのはどうでしょう。奥の細道ルートを駅伝でつなぎ、日光や白河、松島、平泉など主要スポットでは俳句も詠み、タイムと句作の出来の総合ポイントで優勝を争う、というもの。陸上部から助っ人を頼んで、あえて俳句を度外視してタイムにかけるか、あるいはタイムを捨てて句作で勝負するか、そのあたりの戦略も見物です。
芭蕉と曽良のコンビにちなんで、ふたりペアで走らないといけない、というルールでもいいですね。男女のペアなら、さらに盛り上がりそう。
「ああーっ、疲労困憊のタナカさん、しゃがみこんでしまいました。顔色も真っ青です、もうダメか、更級高校ここでリタイアか‥‥、おーっと、同走のヤマモトくん、タナカさんを背負った、おんぶしたまま走り出したーっ、意地です、根性です、若さです、あっ、タナカさん、いきなり顔が真っ赤です、さっきまで真っ青だった顔が、今は真っ赤です」
ということになったりして(あ、でも、それでは共学校じゃないと参加できなくなっちゃうか)。

ほかにも、
島崎藤村が過ごした長野県の小諸町が主催する「若菜集カップ・萌え詩朗読大会」
与謝野晶子の出身地・堺市による「与謝野晶子杯・ドキッ!女だらけのドキドキ短歌水泳大会」
尾崎放哉終焉の地・小豆島の「全国のモテない男子大集合!“咳をしても一人”自由律俳句バトルロイヤル」
など、いろいろ考えられます。
地元ゆかりの文芸と、全国から集う高校生を組み合わせた独自の文学イベント。その未来は、明るいです。
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2007年05月10日

詩は別腹

「詩は別腹」などといいますが(岡崎武志『読書の腕前』光文社新書)、本大好きの読書家で、毎月20冊も30冊も本を読む、というそんな人でも、「詩集は?」と問われると、えーと、詩集なんて読んだことあったっけ? ということが、よくあります。
それで「ごめんなさい、そんなことでは読書家なんて名乗れません。今日から詩集もちゃんと読みます」ということにはならなくて、大抵の場合は、「そうだよねー、詩集ってのもあるよねー」と流されて、おしまい。詩は不当な扱い、いわれなき差別を受けている、というのが現状です。

「詩のボクシング」というイベントがあって(今年で10年目だそうです)、新しい文芸のかたち、言葉の格闘技だ!として評価されているわけですが、これだって、差別されている、という詩の影の部分の裏返しなのかもしれません。ほら、古代ローマの剣闘士競技のようなもので、剣闘士達の闘いを観客席から楽しむように、詩人達の闘いを見せ物として楽しむ。これがもし詩人ではなくて、大御所の作家、たとえば大江健三郎と村上春樹だとしたら、リング上で闘うなんて、ありえません(見てみたいが。いや、見たくないか)。

となると、かつて古代ローマで、スパルタクスを中心とした剣闘士達が蜂起したように、不当な差別を自覚した詩人達が一致団結して立ち上がる、ということが、将来ないとはいえません。
そうなったとき、詩以外の、小説やルポタージュやエッセイなどの陣営に、あらがうすべはあるのか。今まで蔑視されてきたとはいえ、詩の持つ力は相当のものです。なにしろ、瞬発力が段違い。迎え撃つ小説側が、冒頭の一行からのたのたと語り始めるのに対して、詩は数十行、ときにわずか一、二行でケリをつけます。
「オイ、何をやってるんだ、押されてるぞ、詩どもに負けてたまるか。よし、奥の手だ、あれを出せ、ドストエフスキーだ、『罪と罰』で、あいつらを蹴散らしてやれ」
「ハイッ、『罪と罰』いきまーす、七月のはじめ、めっぽう暑いさかりのある日ぐれどき、ひとりの青年が、S横町のせまくるしい間借り部屋からおもてに出て‥‥」
というところに斬り込んできた詩陣営が、
「なみだは にんげんのつくることのできる 一ばん小さな 海です」
ズバッ! ブシューッ! フギャー。
小説サイドに、勝ち目はなさそうです。

となると、そのような詩の反乱が起こらないよう、小説やルポタージュやエッセイなどの陣営は、今から少し反省したほうがいいのではないでしょうか。みずから、詩と同じ地平へと降りてみる、という謙虚さが必要です。
具体的には、詩のボクシングを見習って、「小説のレスリング」を開催するとか。
第1回は、「大江健三郎 VS 村上春樹」で。途中で両者、もう興奮してきちゃって、思わず、組んずほぐれつ。
‥‥なんての、別に見てもしょうがないか。ならば、「綿矢りさ VS 衛慧」あたりで。
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2007年05月08日

覆面作家の覆面剥ぎデスマッチ

昨日の記事の最後にちょっと書いた「覆面」で思いついたのだけど、覆面といえばタイガーマスクを持ちだすまでもなく、
「覆面剥ぎデスマッチ」
ですよね。隠されるほど見たくなり、覆面をかぶっていたら剥ぎ取りたくなるのが人のサガ。負けたら覆面を剥がれ、本当の顔を白日のもとにさらすのだ!という覆面剥ぎデスマッチに、興奮しない人はいません。

ところで、本業界にも覆面、いますよね。いわゆる覆面作家。今ではオッサンであることが知れ渡ってしまった北村薫も当初は覆面作家として「どんな美女がこの作品を書いているのか」とウブな読書家中学生の心をいたずらにもてあそんだものですし、古くはジョージ・エリオットとか、あるいはジェイムズ・ティプトリー・ジュニアなど男性名の女性作家、ヤスミナ・カドラのような女性名の男性作家もいます。覆面書評家の狐、というのもいました。最近の覆面作家の代表格は、舞城王太郎でしょうか。

そんな覆面作家が、自らの正体をかけて誌上で競う、
「覆面作家の覆面剥ぎデスマッチ」
が実現したら、これはもう、ファンならずとも本好きなら注目しないではいられないはずです。二人の覆面作家がひとつの媒体に1作品ずつ、これぞという入魂の新作を発表し、審査員が評定(単純に、読者投票でもいいかな)。敗者は次号、あるいは次々号で、これまで秘め隠していた素顔はもちろん、子ども時代の写真や住まい、仕事場や本棚、引き出しの中まで、もうぜーんぶ大公開のカラーグラビアで正体を明かします。
勝者にはもちろん優れた作品を書いたという名誉が与えられますが、敗者もこれがきっかけで人気が出たりして、どっちもお得。
菊池寛がもっとしつこく生きていたら、ぜったい文藝春秋誌の名物企画になっていたのでは、と思います。(菊池寛以降、こういう出版界の剛腕プロモーターみたいな人はいるのかしら?)

ということで、文藝春秋じゃなくていいから、どこかでやらないものか。
世紀の対決! 舞城王太郎 VS‥‥
えーと、誰か他に、覆面作家って、いるっけ。
ピンチョンでは大物すぎるし‥‥。

この企画、いきなり挫折。まずは覆面作家をデビューさせるところから始めなくちゃいけませんでした。
posted by 清太郎 at 13:15| Comment(7) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

文芸部の特待生

えー、ゴールデンウィークですっかりサボっておりましたが(普段はとくに理由もなくサボっておりますが)、この連休中の大きな話題といえば、高校野球の特待制度問題でしたよね。他のスポーツは寛容なのに野球だけ、しかもいきなり特待生ダメだなんて、なんだかよくわからないのですが、それはそうとして、本関連のブログとしてぜひともコメントしておきたいのは、
「文芸部が話題にならないなんて、なさけない」
ということです。
高校の特待制度は、運動部に限ったものではありません。文化部でも、ブラスバンド部などの音楽関連をはじめ、特待制度があるわけです。ところが、われらが文芸部に特待生がいる、という話は聞いたことがありません。

まあ、そもそも特待制度の目的自体が、全国規模の大会などを通じて学校の名を高めて、より多く・より優れた生徒を集めるため、という宣伝的な意味合いを持つものですから、甲子園やインターハイなどに匹敵する大規模な大会でお互い競い合うことがなければ特待生は不要、という構造的な問題はあります。
とはいえ、全国規模の大会がないのなら、文芸部員みずからが立ち上がり、エイヤッとつくってしまえばいいのです。県大会・地方大会から勝ち上がってきた全国の強豪文芸部がお互い持てる力を存分に発揮し、その能力と努力を競い合う、そんな切磋琢磨の舞台をつくるのです。そうして毎年の大会はそれなりにマスコミが注目するところとなり、テレビのニュースでも取り上げられ、強豪校は全国にその名を轟かせ、結果として文芸部にも特待生が必要だわな、という状況に持ち込めばいいのです。
野球だってブラスバンドだって、はじめから全国大会があったわけではありません。これまで文芸部が、いかに体制に甘え、飼いならされ、怠惰であり続けてきたか。今回の騒動を通じ、文芸部がまったく話題にのぼらない、ということによって、逆にそうしたことがあらためて浮き彫りになった、といえるのではないでしょうか。

もっとも、いきなり全国大会は難しいでしょうから、まずは県大会レベルで、「産業も人口もないけど、わが県には文芸がある!」とばかりに、たとえば青森県なら「太宰カップ」とか、愛媛県なら「坊っちゃんリーグ」とか、とにかく各校の文芸部がガチンコで勝負する場をつくるところから始めましょう。そうすれば、いずれ、「太宰カップ優勝校と坊っちゃんリーグ覇者とではどっちが強いか」というようなことに必ずなるわけだし、文芸大会のない県も「おまえの県は文芸不毛なのか。識字率30%か」とバカにされたりするので県知事が躍起になって県大会を開催したりするでしょうから、甲子園のような全国大会も夢ではありません。毎年秋の読書週間には、高校文芸部日本一を決める文芸大会が人々の耳目を集めることになるでしょう。

となると、あと必要なのは、具体的な対戦方法を決めるだけですね。1チーム何名にするのか、会場に持ち込めるのはペンと紙のほかパソコンくらいでいいのか、木刀などは禁止するのか、その会場は「詩のボクシング」にならってリングを設けるのか、あるいは土俵かフィールド上か、それともプールで水中戦というのもありなのか、対戦にあたってどこまでを許容し何を反則とするか、顔面キックは是か非か、覆面はOKか、覆面ありの場合、負けたら剥ぎ取られるのか、などなど、うーん、ルールを考えるだけでもけっこう興奮します。血沸き肉躍る文芸大会、開催が待ち遠しいです。
posted by 清太郎 at 23:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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