2007年02月07日

「ごんぎつね貨幣セット」の裏事情

新美南吉の「ごんぎつね」を題材にした貨幣セットが発行されたそうですね。さしておもしろみのあるものではなく(たとえば、十円硬貨の鳳凰堂の代わりにごんぎつねが寝ころんでる図案が入ってる、というわけではなく)、通常の一円玉から五百円硬貨と、ごんぎつねをあしらった丹銅製年銘板1枚をプラスチックケ−スに組み込み、作品全文を記した冊子がセットになってるだけです。

気になるのは、なにゆえ「ごんぎつね」なのか、です。
児童雑誌「赤い鳥」に掲載されて75周年、ということらしいのだけど、75周年なんて、中途半端。ほかに題材にすべき作品はいっぱいあるだろうに。(このニュースを聞いてから調べて初めて知ったのだけど、いろんな記念貨幣セットがあるのね。ハローキティ誕生30周年とか石原裕次郎デビュー50周年とかドラえもん誕生35周年とか。)
そもそもこの「ごんぎつね」、作品としてどれほどすぐれていようとも、お金とはまったく無縁なのよね。あ、いちおう説明しておきますが、「ごんぎつね」ってホラ、いたずら好きのごんぎつねが、兵十がしかけた魚篭から魚を逃がしちゃったりして、それから兵十のおっかあが死んじゃって、気に病んだごんぎつねが山の栗やら松茸やらをこっそり兵十のもとに届けるようになって、ある日それを見つけた兵十が、この憎いいたずらぎつねめ!と火縄銃でズドンと撃っちゃう、ってアレです。ね、お金とぜんぜん関係ない。
同じ教科書でおなじみの童話で、同じ新美南吉で、同じきつねが出てくる話だったら、「手袋を買いに」のほうが、造幣局が発行する記念貨幣として、よほどふさわしいんじゃありませんか?

ということで、察するに、これは、以下のようなプロセスによって生まれたものではないかと思われます。
「えーと、次の記念貨幣セットの企画なんだけど、何かいい案ない?」
「教科書に載ってる名作ってのはどうっスか?」
「あ、いいねえ、よし、それで行こ、決まり!」
「じゃあ、何にしましょうか。教科書というと、スイミー、大造じいさんとガン、くじらぐも‥‥」
「あれさあ、きつねの話、いいんじゃない? 手だけ人間の手に化けてさあ、買い物に行って、手を差し出すんだけど、間違えちゃうの」
「あ、ありましたありました、いい話っスよねえ。きつねだってわかっちゃうんだけど、売ってあげる」
「そ、そ、あれ、何て話だっけ」
「えーと、たしか、ごん‥‥」
「そ、それ、ごんぎつね」
「ごんぎつね、そう、いやあ、いいっスよ、これいけます、さっそく注文出しときますね。‥‥あー、もしもし、あ、どうも、お世話さまっス。今度の記念貨幣セットね、あれ、ごんぎつねで行くことにしましたから、国語の、そう、教科書のアレっス。じゃ、いつもみたいな感じで、おまかせしますから。じゃ、よろしくお願いしまーす」
で、できあがってきた見本なんかを見て、「あれー、これ、ごんぎつねじゃないじゃん、っていうか、これがごんぎつねなのか」ということになったんだけど、今さらイチから作り直すわけにもいかず、雑誌掲載75周年なんていうてきとうな言い訳をこしらえて、発行することにしちゃったんではないかと。


ところで、話はかわりますが、この「ごんぎつね」、昔のガサツな小学生にとってはただの感動話でしたが、現代日本に生きる繊細な小学生にとっては、かなりツッコミどころ満載です。
うまいのは、物語の結末、
「兵十は、ひなわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。」
で終わって、ごんぎつねの生死がわからないこと。
となると、これはもしかしたら、この後に続く兵十とごんぎつねの長い長い物語の、短い序章なのかもしれないわけです。兵十とごん、男どうし、しかも人とケモノ。しかも、兵十にとっては一度は憎んだ相手。二重三重の禁忌が、幼い腐女子ゴコロを刺激しないはずがありません。
「過激な兵十×ごん本がクラスの女子の間に出回って、PTAで大問題に!」
という事態になった挙げ句、この名作が教科書から消える日も、遠くはないでしょう。


posted by 清太郎 at 12:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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