2006年05月31日

「ダ・ヴィンチ・コード」関連商品

「ダ・ヴィンチ・コード」は映画も好評のようですね。あいかわらず、読む気はないのだけど。
「あの人の子孫が現代でも生きている!」という話なら、むしろ今読んでるヴォルフガング・シュトラール『アドルフ・ヒトラーの一族 〜独裁者の隠された血筋』(草思社)の方がずっとおもしろいんじゃないかしら。こちらは丹念に資料を読み込んだノンフィクションだし。

一部のカトリック教徒からはボイコット運動も起きてるそうですが、ローマ法王ベネディクト16世はノーコメントのままなのだとか。新教皇に就任して、さっそくの腕の見せ所!と思うのだけど、つまらないです。

それはともかく、このブームに乗じて、関連書籍に加えて、ゲームや料理本、ルーブル美術館ツアーなどが映画封切りに合わせて売り出されてるそうです。
ゲームって、やっぱり映画の内容に即したものなのかしら。あるいは、イエスを主人公にした恋愛シミュレーション?
料理本は、作中に出てきた料理のレシピなんでしょうか。『梅安料理ごよみ』みたいなもの? それとも当時の食材をもとに、「最後の晩餐を完全実現!」とか。材料はすべて、13人分で書いてあるのね。
ほかにも、便乗企画で、こんなものが出てきそうです。(読んでないから、てきとうですが。)
・食玩「ダ・ヴィンチ・コード」(イエス、12使途、マグダラのマリアなどがフィギュアに! マグダラのマリアはもちろんレアアイテム)
・フラッシュメモリ「ダ・ヴィンチ・コード」(作中に出てきた暗号(出てきてないのならゴメン)を入力しないと開かない)
・ダ・ヴィンチ・コード弁当(海苔とかそぼろとかでマグダラのマリアの顔が描いてある)
・カップラーメン「ダ・ヴィンチ・コード」(カップの代わりに聖杯に入ってる)
・「ダ・ヴィンチ・コード」キティちゃんストラップ(マグダラのマリアの格好をしたキティちゃんの携帯ストラップ)
・CRパチンコ「ダ・ヴィンチ・コード」(パチンコやらないのでよくわかんないけど、たとえば、リーチがかかると最後の晩餐の皆さん一人ひとり何かアクションするとか)
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2006年05月30日

マンションに図書館

「韓国では、300世帯以上が入居する共同住宅には読書施設をつくらないといけないらしい」
というので、おおっ、韓国すごいぞ、いいなあ、と一瞬思ったのだけど、よく考えたら300世帯以上なんて、かなりの大規模。(たとえば、首都圏で今年4月に供給されたマンションのうち、300戸以上は2つだけ。韓国では超大規模な共同住宅が多いのかしら。)
しかも、
「33平方メートル以上、6席以上の閲覧席、1,000冊以上」
なのだそうで、1,000冊なんて、うちの本棚2棹分より少ない。内容についての規定もないとすると(また聞きだからよくわかんない)、たとえば、「こち亀」と「ゴルゴ13」と「あさりちゃん」を全巻3部ずつ揃えたら、それだけで1,000冊以上になっちゃう。
‥‥なんだか肩すかしでした。

あ、でも「こち亀」と「ゴルゴ13」と「あさりちゃん」が全巻3部ずつあると、子どもも大人も、男の子も女の子も楽しめる上に、数冊紛失しちゃっても気にならないし、補充は簡単にできるし、1冊をとりあってケンカになることもなさそうだし、共同住宅の図書館に置くには、ぴったりのラインナップのような気がしてきた。
posted by 清太郎 at 15:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ始めました

そんなわけで、「本読みHPブログ」がオープンしました。
見ての通り、さるさる日記の「ネタメモ帳」をブログの体裁にしただけですが‥‥。

このままなし崩し的に、このブログを本読みHPの非公式なトップページ的な扱いにしてしまえば、数ヶ月に1度しか更新しないメインサイトで肩身の狭い思いをしなくて済むんじゃないか、というのが、ひそかな狙いです。
仕事で読んだ岡部敬史『ブログ進化論』(講談社+α新書)に影響されただけ、かもしれないけど。

ともあれ、今後ともよろしくお願いします。
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2006年05月26日

長編第1番《吾輩》

小説において、タイトルが果たす役割は大きい。小説本体が10万字でタイトルが10字である場合、作品に占めるタイトルの割合はわずか0.01%でしかないが、印象としては、タイトルの重みは作品全体の数〜数十%を占めるといっていい。『世界の中心で、愛をさけぶ。』がもし『愛の青春記 〜白血病を乗り越えて〜』だったら、あるいは『五体不満足』がもし『乙武君が行く! 〜重度障害を乗り越えて〜』だったら、たいした話題になることもなかっただろう。

ところが、広く芸術全体を見回してみると、このようにタイトルが重んじられているのは、むしろ特異なことである(絵画や彫刻には「無題」の作品が多いことを思い浮かべてもらいたい)。
クラシック音楽も、そうしたタイトル軽視ジャンルのひとつである。多くの作品には、作品番号や交響曲第何番といった順番のほかに、タイトルらしいものはない。日本人が大好きなベートーヴェンの第九も、合唱が付いているから《合唱付き》と呼ばれているけれども、それがタイトルというわけではない。同じく日本人が大好きなモーツァルトも、短調の人気交響曲である第29番、第40番には、《合唱付き》のような通称すらない。
いい加減な通称も多い。ハイドンの交響曲第88番《V字》や第96番《奇跡》は曲の内容とはまったく関係がない由来によるものだし、関係があったところで第60番《うかつ者》などは、もうちょっと考えてほしかった(あんなに華やかで素敵な曲なのに!)。

こうしたタイトル軽視の風潮が、文学方面にも流れ込んでいたら、どうなっていたか。
夏目漱石の長編第1番は、冒頭の一節が印象的であるから、やっぱり《吾輩は猫である。》という通称で呼ばれるようになっていたかもしれないが、むしろ《猫》、あるいはもしかしたら《吾輩》ということになっていたのではないか。
長編第3番(4番?)は、作中にこの単語がほとんど出てこないことから、《坊っちゃん》の通称が付くことは、まずありえない。《無鉄砲》ならありそうだが、むしろ印象的な登場人物の名前から《赤シャツ》あるいは《うらなり》と呼ばれてた可能性が高い。また作品内容とは関係なく、たとえば『こころ』は、その新聞連載時のいきさつから《連載延長》などという通称が付いていたかもしれない。

そして『世界の中心で、愛をさけぶ。』は、おそらく通称で呼ばれることもなく、無題のまま、忘れ去られていたのではあるまいか。
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2006年05月17日

国家の○○

本の売れない時代といいますが、藤原正彦『国家の品格』が、『バカの壁』よりも58日早く、新書では最速で200万部に到達したそうです。
『バカの壁』に、続編『死の壁』『超バカの壁』があるように、これはもう当然、『国家の品格』にも続編が期待されます。
養老孟司が「○○の壁」でしたから、こちらは「国家の○○」で。
「国家の風格」
「国家の尊厳」
「国家の体面」
そして当然、
「超国家の品格」

これだけ続くとマンネリですから(っていうか1冊あればじゅうぶんかもしれないけど)、せっかくだから父親(新田次郎)の作品から、ちょっと拝借。
「孤高の国家」
「日本国家死の彷徨」
ついでに母親(藤原てい)も動員。
「流れる国家は生きている」

藤原正彦先生には、がんばってもらいたいものです。
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2006年05月16日

文芸戦隊のレッド

2月のネタメモ帳で、「文芸戦隊」について考えたのだけれど、そういえばもっと単純に、
「文芸作品が5つ集まって戦隊をつくるとしたら、どうなるか」
という点を見過ごしていました。レッドには題名に「赤」の字が入った熱血漢が就任する、というように、5つのステレオタイプな性格を持った5色分の作品を集められるでしょうか。文芸戦隊を組織することになった司令官になったつもりで、人選(?)を練ってみましょう。

まず、レッドから。タイトルに「赤」がつく作品といえば、A・A・ミルンの『赤い家の秘密』が有名ですが、熱血漢ではなさそうだしなあ。
斎藤茂吉『赤光』‥‥、うーん、暗い。
車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』‥‥、熱血かもしれないけど、これも暗い。
スタインベック『赤い小馬』‥‥、どういう話なんだっけ。
ガルシン「赤い花」‥‥、これもある意味、熱血といえば熱血かもしれないけど、ねえ。
うーむ、戦隊では熱血と単細胞の象徴でもある「赤」が、文芸においては、どうやら意外に暗くて陰影に富んだものとして扱われているようです。

あ、そうだ、熱血でリーダーっぽいといえば、スタンダールの『赤と黒』。でも「黒」が入ってるからなあ、微妙だよねえ。
「レッドなのにブラックなのかよ」
ということになっちゃうからなあ。そういう複雑なのはレッドに向いてないし。
シャーロック・ホームズの一編、「赤毛連盟」。これもまた、熱血でもリーダーでもないし。
赤毛‥‥、『赤毛のアン』という手もあるか。しかし、リーダーがいきなり女子というのは、王道から外れるしなあ。

‥‥うむ、とりあえず、ちょっと地味ですが、志賀直哉「赤西蠣太」にしておきましょう。
「リーダーが赤西くん」
というのも、ちょっとそれっぽいでしょう。
そんなわけで、思ったよりも難航しそうな戦隊メンバー選考。以下、クールな感じのブルー、デブでカレー好きのイエロー、かわいらしくて女子っぽいピンク、ひ弱でオタクっぽいグリーンに相当する作品は、果たして見つかるのでしょうか‥‥。
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2006年05月12日

劇画社長

企業の社長などを対象に、波乱万丈の人生や体験をドラマチックなマンガに描いて出版するサービス「劇画社長」が話題を呼んでいるそうです。
滋賀県の「株式会社まちおこし」の商品ですが、この会社のホームページが、ふざけていてちょっと素敵です。10人のスタッフのうち、「どちらかといえば自分から告白するほうかな比率」は38%だそうです。

同社に登録しているマンガ家は270人とのことですが、「劇画社長」というだけに、絵柄は「劇画」風じゃないとダメなのかなあ。
女性社長の「花びらいっぱいの少女マンガ風に」とか、「藤子不二雄Fみたいなシンプルな絵で。キャラクターはみんな3頭身で」とかいうリクエストには答えてくれるんでしょうか。
制作費はページあたり¥50,000らしいですが、
「そんな予算がないので、うちの社長は4コママンガでお願いします」
という注文とか。
気になるところです。
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2006年05月09日

ブンガクの日

ゴールデンウィーク中に、有楽町で開催されていた「熱狂の日 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」にちょっと行って、モーツァルトを聴いてきました。夜までけっこうな人手で、お祭り感たっぷりのイベントでした。
今年はモーツァルトの生誕250年なのですが、こういうイベントを作家でできないものか。題して、
「ブンガクの日」

たとえば、近々生誕あるいは没後100年の作家というと、

生誕100年
・坂口安吾(1906)
・中原中也(1907)
・太宰治(1909)
・中島敦(1909)

没後100年
・国木田独歩(1908)
・二葉亭四迷(1909)

といったあたりがメジャーどころ。太宰治なら、それなりに盛大なイベントが開催できそうです。

作曲家がテーマなら、たくさんコンサートを開けばよいわけですが、作家の場合、何をしたらいいのか。
まずはやはり定番といえそうなのが、
「全作品朗読会」
でしょう。ほとんど短編ばかりの太宰治にはピッタリです。
「現役女子高生が朗読する『女生徒』」
これなら、チケットはすぐに完売です。他にも女子アナやらアニメの声優やら俳優やらを集めれば、かなりの盛況が見込めそうです。

それから作品をもとにした映画の上映、演劇の上演も欠かせません。太宰治の場合、映画はともかく演劇の方なら何とかなりそう。俳優が出演しての舞台仕立ての朗読会にするのも、いいかもしれません。ジャニーズの男の子が出演する「走れメロス」で、最後に、
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか」
ということになれば、多くの女子が駆けつけると思います。

ほかにも、硬めのところでシンポジウムや講演、読書会、軟らかめのところで同人誌即売会(これは地味だ)、コスプレ(何の? 「カチカチ山」の狸と兎とか?)、本やグッズ販売(「津軽弁当」とか「懶惰の歌留多かるた」とか「乞食学生」の熊本君が持っている「小さい鋏も、缶切りも、その他三種類の小道具が附いているデリケエトなナイフ」とか)など、いろいろ寄せ集めれば、3日間の会期で数万人くらいは集められそうです。

ただ、問題なのは、これが毎年開催できるのかということなのであって、太宰治生誕100年の翌年2010年のテーマになるのが、没後100年を迎える山田美妙だとしたら、うーん、ビミョーです。
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2006年05月08日

後朝の歌

短歌には暗いのでよくわからないのですが、ゴールデンウィークというのは、短歌の題にふさわしいのではないかと、ふと思いました。
連休明けの朝の、
「あーあ、今日から仕事かあ、はー。連休は楽しかったなあ。はー。早く週末にならないかなあ」
という気分は、なんというか、
「後朝(きぬぎぬ)」
という感じです。(男女がともに一夜を過ごした後、相手に送る歌を「後朝(きぬぎぬ)の歌」といいます。)

「あひ見ての後の心にくらぶれば むかしは物をおもはざりけり」
(生身のきみをこの胸にかき抱いた後の、この切ない思いに比べれば、きみのことをただ恋しく思ってたあのころの気持ちなんて、ぜんぜんたいしたものじゃないよ)
という歌が百人一首に入ってますが、ゴールデンウィーク明けの気持ちは、この歌の心に近いものがあるように思います。

となると、この連休明けの憂鬱に似た気分を、恋人へ送る和歌へと昇華させた昔の人は、何というポジティブ・シンキングの持ち主であったことか。現代の疲れ切ったサラリーマンである我々としては、思わず尊敬しないではいられません。

でも、もしかしたら現代短歌界でも、毎年ゴールデンウィーク明けの朝には競うようにして、
「ゴールデンウィーク明けの後朝の歌」
を発表するのが常識なのかもしれません。そうだったら、ゴメンナサイ。
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