小学生のころ、
「算数の文章題が苦手だった」
という人は少なくないでしょう。
(11+23)×(58+13−21)
といった式だけの問題ならバリバリ解けたけど、文章題となると途端に、
「萎えちゃったんです」
「わけわからなくなっちゃったんです」
「気分が悪くなっちゃったんです」
という人。
大人になった今でも、文章題なんて思い出したくもない、ああやだやだ、
「幼稚園に通ってる娘が、いずれ小学校5、6年生になって、ある日いきなり算数の問題集を手にして『ねえパパ、つるかめ算がわかんないの。ちょっと教えて』ということになったらと思うと、今から心配で心配で‥‥」
というお父さんも、いるかもしれません。(でもだいじょうぶ、小学校5、6年生になった娘さんは、もうパパなんかにものを尋ねたりはしません。口もきいてくれません。)
翻訳家の岸本佐知子も、エッセイ集
『気になる部分』(白水社)の中で、こう書いています。
《私も最初から数学がまるでだめだったわけではない。すくなくとも「さんすう」の段階までは、まだ何とか息があった。テストでも、単純な計算問題の部分はむしろ解くのが楽しかった。が、これが設問形式となると、もういけなかった。》
とはいえ、大人になって多少強くなった今ならば、文章題は案外おそるべきものではないかもしれません。
いつまでも傷を抱えたままではしかたがない。
思い切って、幼き日のトラウマと向き合ってもいいのではないでしょうか。
そうしてあらためて文章題を見てみると、そのシンプルさに気づかされます。
余計な修辞を省き、最小限の情報だけを提供する、簡潔にして平明な文章。
そのシンプルさゆえに、小学生だった岸本佐知子嬢は、思わず妄想してしまったものでした。同じエッセイで、先の一節に続けて、彼女はこう書いています。
《たとえば「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」というような問題があったとすると、私はその“ある人”のことがひどく気の毒になりはじめるのである。この人はもしかして貧乏なのだろうか。家にそれしかお金がなかったのだろうか。リンゴが7個買えないとわかった時に“ある人”が受けたであろう衝撃と悲しみは、いかばかりだったであろうか――。どうかすると、同情が淡い恋心に変わってしまうことさえあり、(“ある人”ったら、うふふ……)などと思いを馳せているうちに、「はい、鉛筆おいてー」という先生の声が響きわたってしまうのだった。》
そう、ここに、文章題に向き合うためのヒントがあります。
算数以外の要素を極力排したシンプルな文章。
だからこそ文章題には、
「書かれていないこと」
を想像する余地がたっぷり残されているのです。
文章題には、無限の可能性が秘められている、といってもいいでしょう。
文章題とは、もしかしたら、驚嘆すべき波乱万丈のドラマの、そのごく一面を算数的に切り取っただけなのかもしれないのです。
そして、もはや小学生ではない皆さん、制限時間内に問題を解く必要のない皆さんならば、書かれざる文章題のディテールを心置きなく味わうことができるはずです。
さあ、めくるめく文章題の世界へ‥‥。
たとえば、さっきの岸本嬢の問題。
「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」
彼女が想像したように、この“ある人”は貧乏なのかもしれません。
貧乏なうえに、実は“ある人”は16歳くらいのセーラー服美少女だった、というのもいいかもしれません。
そうして、くだもの屋さんはとんでもないヒヒオヤジで、10円足りなくて頬を赤らめて戸惑っているセーラー服16歳美少女の“ある人”に向かって、
「そうさなあ、まあ10円ばかり、まけてやってもいいんだがなあ‥‥、そのかわり‥‥ゲヒヒ、なあ、わかるだろう、お嬢さん?」
といいながら、“ある人”のむき出しの太ももへと、ねっとりとしたなめくじのような視線を這わせたのでした‥‥、とか。
ただ、これではちょっとありきたりすぎるので、私としては、もう少し意外性のある設定をおすすめしたいところです。
たとえば、こんな感じ。
「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか。ちなみに、ある人は全裸でした。」
どうでしょうか。
何気ない日常シーンが一転、にわかに手に汗握る状況へと変貌するはずです。
「“ある人”は露出マニアなのかしら」
「全裸で130円を握りしめていたのかしら」
「“ある人”は、男子なのか女子なのか」
「この“ある人”に対して、くだもの屋さんはどのように応対したのか」
「意外にも、くだもの屋さんも全裸だったりして」
ここに至って我々は、文章題に内包された危険なまでの前衛性、平明さの仮面に覆われた欲望や暴力を、意識しないではいられないのです。
同様に、どんどん全裸にしていってみましょう。
「えんそくにこどもが76にんと、せんせい12にんいきます。ぜんぶでなんにんでしょうか。ちなみに、ぜんいん全裸です。」
「れいこさんは家から学校までの道のりの3分の1を歩きました。残りは400mあります。家から学校までは、何mあるでしょう。ちなみに、れいこさんは全裸です。」
「周囲の長さが1000mの池をケンタくんとアオイさんが反対方向に進みます。ケンタくんが分速120m、アオイさんが分速80mで進むと、2人は何分後に出会いますか。ちなみに、ふたりとも全裸です。」
もちろん、全裸ばかりでは食傷気味ですから、ほかにも、
「ちなみに、Aさんは女の子のかっこうをしていますが、実は男の子です。」
「ちなみに、太郎くんはたかしくんのことが好きでした。」
「ちなみに、ユキオくんはクニコさんの本当のお兄さんではありません。」
このように、ちょっとした工夫で、文章題はどんどん楽しくなることがわかります。
かつて、見るのも苦痛だったあの文章題。
あの文章題に、こうしたわずか数十字の一文と、ちょっとしたイラストがついていれば、もしかしたら算数嫌いにならなかったかも、と思う人もいるかもしれません。
算数嫌いにならず、理系に進んで、今ごろは研究者かエンジニアになっていたかも。こんなニートじゃなくて‥‥。
少子化が進む現在、参考書・問題集を扱う出版社は、ますます小さくなるパイを奪い合うばかりという状況です。
新たな読者層を獲得するためにも、以上のことをヒントに、問題集やドリルのコンセプトを見直してはいかがでしょうか。
たとえば、
「絵でわかる文章題(小学四年生)」
文章題1問ごとにイラストを付けた、ビジュアル満載の問題集にするのです。
算数が苦手な子どもでも、興味を持ってページを開き、文章題に取り組むことができるでしょう。
そればかりか、お父さんや一部のお母さん、いや、子どものいないおにいさん・おねえさんが読んでも楽しめる内容になること、間違いなし。
っていうか、むしろ、子どもが見ちゃいけない本になりそうですが‥‥。