2014年08月14日

俳句で読書感想文を書く

「むかしむかしあるところに……」
というか、
「それは遠い昔、遠い国のことでございます……」
というか、とにかくそのくらいはるか昔、
「読書感想文は1行読めば書ける!」
というホームページがあって……。
いや、たしかホームページの名前は「本読みHP」で、「読書感想文は1行読めば書ける!」はその1コーナーだったんではないかしら……。
というくらい長いあいだ更新されていないサイト、そしてブログですが、皆さんお元気でしょうか。
当時の読者の中にはすでに結婚し、子をなし、もしかしたらお孫さんまでいらっしゃるかた、あるいはとうの昔に鬼籍に入られたかたも多いことでしょう。
そんなわけで、つくった本人の私も、「読書感想文は1行読めば書ける!」のことをすっかり忘れておりました。
どのくらい忘れてたかというと、先日、
「あ、このネタ、『読書感想文は1行読めば書ける!』で使えるかも!」
と思いついて一通り構成を考えて、うちに帰ってサイトを確認したら、
「すでに3年前にそのネタで書いてた」
というほどの忘れようです。
とはいえ、せっかく思いついたネタ、かぶっているとはいえ題材は多少違うし、何より時代は移り変わっても夏休みに読書感想文で悩む青少年は多かろう、ということで、とりあえず形にしてみました。
以下、読書感想文に苦しんでいるかたは、参考になさってください。

ちなみに、すっかり忘れていた前回のネタ、
「俳句で書いてみる」
は、『蕪村俳句集』の「夏河を越すうれしさよ手に草履」を題材にしたものでした。(やっぱり丸かぶりじゃん!)

「与謝蕪村の俳句を読む」

 この夏の読書感想文の本として僕が選んだのは、与謝蕪村の『蕪村俳句集』である。春夏秋冬の1055句に、「春風馬堤曲」など俳詩3篇を加えて一冊としたものだ(注1)。一句一句、味わうように丹念に通読した今(注2)、最も心に残った一句について、以下に書いてみたい。
 その一句とは、
「草いきれ人死居ると札の立」(くさいきれひとしにゐるとふだのたつ)
である。
 この句に触れて最初に連想したのは、諸星大二郎の作品「黒石島殺人事件」である(注3)。季節は夏、とある島で、全裸の女性の他殺死体が発見される。当初被害者と目されてた女性が実は生きていたことがわかって、死体の身元はあやふやになり、やがて死体を埋葬した岬が嵐で崩れて、最後は、「暑さと草いきれがすごくて、みんな幻を見ていたんだろう、死体なんてなかったんだ……」ということにしてしまうという、後味の悪い作品である。
 ひるがえってこの句「草いきれ人死居ると札の立」の情景を思い浮かべてみると、死んでいるのは、若い女性かもしれない。濃厚に立ち込める草いきれの中で、もう何も見つめることのない瞳を開いたまま、かすかな腐臭を漂わせ……。ああ、何とも蠱惑的ではないか!(注4)
 あるいは、わざわざ「札」を立てているわけだから、心中死体なのかもしれない。心中がご法度だった江戸時代、心中死体はそのまま晒されたのだとか。道ならぬ恋の末に死を選んだ、商家の旦那と娼妓なのか。野原の真ん中、見物人の好奇の視線にされされて、女の死体の裳裾からのぞく素足はどこまでも白く……。ああ、やはり思わず高ぶってしまうではないか(注5)
 与謝蕪村といえば、教科書に出てくる「春の海終日のたりのたり哉」「さみだれや大河を前に家二軒」といったユーモラスでのんびりとしたイメージを抱いていたが、まさかこんな不穏な雰囲気の俳句をつくっていたとは。蕪村の生々しい一面、あるいは猟奇的な一面を垣間見た気がする(注6)
 と、思わず蕪村と意気投合したように感じてしまったのだが、いや、待てよ。そうではないかもしれない。以上はこの句の「人死居る」を中心に読解したわけだが、この句の眼目は「札の立」のほうにあるのかもしれない。
 むせるような草いきれの中、人が死んでいることを告げる札が立っている。札は立っているが、実は、そこには死体はないかもしれない。もしかしたら、死体がそこにあったのは、ずいぶん以前のことだったのではないか。まだ草が青々と茂っていない、数か月も前だったのではないか。死体はとっくの昔に他所で埋葬され、そして今、日に焼けて文字の消えかけた立札を覆い隠すように、夏の草が青々と伸びている……。
 そう思うと、この句は「黒石島殺人事件」よりもむしろ、芭蕉の句「夏草や兵どもが夢の跡」に近いのかもしれない。いや、芭蕉の句が「兵」を「つわもの」と読ませたり「夢」とかいっちゃって微妙に中二っぽいのに比べると、この蕪村の一句のほうが、身近な題材の中に生と死、輪廻転生を感じさせる名句なのではないか……。
 わずか十七字の中に込められた、人の世の真実。俳句とは、なんと奥の深いものであろうか。「俳句をつくってみたい……」、僕は今、そう心からそう思っている(注7)

(文字数1300字、原稿用紙3枚強に相当)


(注1)文庫の表紙に書いてありました。中身は1行しか読まないとはいえ、こうした「あらすじ」などは存分に活用しましょう。
(注2)もちろん、読んでません。
(注3)「諸星大二郎のマンガ」と書いてしまうと、「何だよ、マンガかよ」と国語の先生に思われるかもしれないので、マンガ作品を引用する場合は、「マンガ」ではなく「作品」といいましょう。
(注4)あなたが十代男子であるのなら、感想文の中で熱い思いを吐露してみると、コピペ感が薄まり、さらに「青春だね!」と高評価を得ることができるかもしれません。
(注5)何度も熱い思いを吐露してみましょう。
(注6)ちなみに、往々にして句評によって明らかにされるのは、俳句をつくった人ではなく解釈する人の趣味や嗜好、人間性です。
(注7)国語の先生が文芸部で俳句を教えている場合は、こんなことを書いてはいけません。

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2012年01月15日

2011読書界番付

えー、皆さん、お元気ですか。

昨年の、
「読書界しょんぼり番付」
を考えた場合に、まあ津波で本屋さん壊滅とか電子書籍鳴かず飛ばずとか「旅」やら「ぴあ」やら雑誌廃刊とかといった項目が並んだ末尾に、
「本読みHPブログ停滞」
と付け加えてもいいくらい、更新滞りまくっております。
年末には恒例の「読書界番付」も発表しないままでした。ごめんなさい。

今年は、なんとかもうちょっと更新頻度をアップしたい!と思いつつも、もう1月も半ばであります。
ということで、年末にすっぽかした「2011読書界番付」の発表をもって、今年最初の更新とさせていただきます(安易だなあ)。
‥‥とはいうものの、昨年の読書界番付、なんだかイマイチなのよねー。震災があったから、というのも理由のひとつなんだろうけど、2011年は、なんというか読書界全体が、パッとしない感じだった気がします。そのパッとしない中で、「番付発表!」なんていってもねー、なんかビミョーだよね‥‥。
いろいろ考えたけど、項目数も、少なめです(年を追うごとに減っていく気がする)。
と、テンション低めなまま、以下が番付です。


読書界番付

西
原発本 横綱 震災・津波本
謎解きはディナーのあとで 大関 西村賢太
タニタ本 関脇 ジョブズ本
サッカー本 小結 ピンチョン
ビブリオバトル 前頭1 俳句
日比谷図書文化館 同2 金沢海みらい図書館

例のごとく、さらっと解説。

■横綱
・原発本
・地震・津波本

これはもう説明不要でしょう。
地震があって津波があって原発メルトダウンで、もうタイヘンなことになりましたが、そこはそれ、出版界は転んでもただでは起きず、人の不幸で飯を食います。
2011年に出た震災関連本は700点以上、うち原発本は200点に及ぶといいます。さらに、雑誌の特集も軒並み震災と原発でしたから、まさに震災・原発一色。
特に原発関連本は、どの本がどのくらい信じられるのか、どの本を読めばいいのか、まったくわけがわかりません。

■大関
・謎解きはディナーのあとで
・西村賢太

ここしばらく、直木賞がパッとしないのに比べて、話題になっているのが本屋大賞です。
2011年の本屋大賞受賞作『謎解きはディナーのあとで』は、12月の時点で180万部を突破。ドラマになり、続編も出て、本屋さんの店頭を賑わせ続けました。まさに「本屋さんが売りたい本」の鑑です。
一方の西村賢太は、「苦役列車」で2010年下半期の芥川賞を受賞。同時に受賞した朝吹真理子をさしおいて、とりわけネットの住人の間では「非モテの希望の星」として人気をさらいました。
今wikiを見たら、「受賞以後はワタナベエンターテインメントに所属し、タレント活動をおこなっている」と書いてあって、あの非モテな感じがキャラとして消費されておしまい、にならないといいんだけど‥‥。

■関脇
・タニタ本
・ジョブズ本

体脂肪計のタニタが「社員食堂のレシピ本」として出した『体脂肪計タニタの社員食堂』『続・体脂肪計タニタの社員食堂』は、正続あわせて430万部、読書界の枠を超えて、話題になりました。
今年に入って1月11日には、読者待望の、リアルにタニタのランチが味わえるという「丸の内タニタ食堂」がオープンして、(その混乱ぶりが)ニュースになってましたね。
一方のジョブズ本、スティーブ・ジョブズが10月8日に逝去した後、伝記『スティーブ・ジョブズ』の出版が前倒しとなり、24日には世界18カ国で同時発売され、日本では発売後1週間で上下あわせて100万部を突破、電子書籍版も好調で、他の出版社からも柳の下の二匹目、三匹目狙いのジョブズ本がいっぱい出ました。

■小結
・サッカー本
・ピンチョン

サッカー本といっても、サッカー小説とかサッカー教則本とかじゃなくて、サッカー選手の書いた本。とりわけ、日本代表・長谷部誠の『心を整える。 ―勝利をたぐり寄せるための56の習慣』が話題になりました。他にもよく見ると、
・長友佑都『日本男児』
・遠藤保仁『信頼する力―ジャパン躍進の真実と課題』
・川島永嗣『準備する力―夢を実現する逆算のマネジメント』
・内田篤人『僕は自分が見たことしか信じない』
など、いろいろあるのね。女子代表の澤も何冊も出してるし、三浦和良の『やめないよ』なんかもあって、サッカー選手本だけでベストイレブンが組めそうです。
一方のピンチョンは、新潮社からまさかの「ピンチョン全小説」が刊行され、マニアックな本好きから大歓迎されました。

■前頭1
・ビブリオバトル
・俳句

ビブリオバトルっていうのは、みんなの前でオススメ本をプレゼンして、どれがいちばん読みたくなったか!?を競う遊びね。京都で始まり、ここ数年、各地で行われていましたが、昨年は「ビブリオバトル首都決戦2011」が開催され、東浩紀や猪瀬直樹がゲストとして出演するなど、盛り上がりました。
東大の図書館でも開催されたみたいだし、小規模なものはどんどんあちこちで行われるようになっているみたい。そのうち、プロのビブリオバトラーが本屋さんを渡り歩いて、店頭で対決したりするようになると楽しいんだけど‥‥。
俳句は、「読書界」からちょっとずれるかもしれないけど、一昨年から私がハマってるので、おまけで。
「東京マッハ」などの俳句イベントが開かれたり、「ユリイカ」で俳句特集が出たり、女性誌「SPUR」でファッションと俳句がコラボしたり、新感覚の俳句雑誌「ハイネ」「ハインケル」が創刊されたり(ウソだけど)と、俳句が若い世代にも「なんだかステキにおもしろいもの」として認知されるようになったのが2011年でした。
今年あたり、俳句がブレイクするかも。各出版社には、引退世代向けだけではないオモシロ俳句本をがんばってつくってもらいたいものです。

■同2
・日比谷図書文化館
・金沢海みらい図書館

図書館好き以外にはあまり知られてないかもしれませんが、2011年には、新しい時代に向けた図書館が2つできました。
日比谷図書文化館は、東京都立日比谷図書館のリニューアルオープン。外観はほぼそのままながら、インテリアは一新、すっかりオシャレになりました。でも、それより大事なのは、「図書文化館」の名称が示すとおり、「歴史・文化を保存し発信する」ことがテーマとなっていること。本をいっぱい所蔵しているだけじゃなくて、ここから文化を発信してやるんだぜ!という攻めの姿勢の文化施設に生まれ変わったのです。
一方の金沢海みらい図書館は、シーラカンスK&H(建築本なのに泣ける!という名著『学校をつくろう』の福岡市立博多小学校をつくった建築事務所ね)の設計として建築業界でも話題になりましたが、この図書館のコンセプトは「地域コミュニティの核」。図書館だけじゃなくて、ホールや集会室などの交流施設が合体してるのね。
いろいろと模索が続く図書館業界のようですが、これからは、これら2つの図書館のように、単なる書棚の集積ではない、「何かできる場所」になっていくのかもしれません。まあ、それが本当に求められているかどうかは、わかんないけど‥‥。

ということで、以上、遅ればせながらの「2011年読書界番付」でした。「しょんぼり番付」のほうは、ホントにしょんぼりしちゃいそうなので、今回はナシ。今年は、どんなにしょんぼりなことがあっても、それを上回るステキなことがいっぱいあるような読書界になってほしいものです。ていうか、みんなで読書界を盛り上げていきましょう!



posted by 清太郎 at 11:47| Comment(5) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月11日

読書の音楽化

昨年は電子書籍元年でした。
今、電子書籍2年目は、残すところあと20日。
「2年目」とかいいながら、今年、日本の電子書籍は何の進展もございませんでした(あるいは、そこそこ進展したけど、同じくらい退行した。Kindleの日本版発売って、どうなったんだっけ?)
読書界の未来は、日本の未来と同様に、あいかわらずどんよりです。
そこで思うのですが、そろそろ抜本的、根本的に、読書について、というか読書のマーケティングについて、再検討すべきときではないのか。

再検討するにあたって参考としたいのが、音楽です。
音楽の楽しみ方は、誰もが知っているように、
「聴く」
「歌う」
です。
「聴く」のほうを支える産業は、CDやmp3や、あるいはコンサート。
「歌う」のほうは、まあ一部に歌声喫茶などもありますが、産業として大きいのは、
「カラオケ」
です。
娯楽が多様化する中で、実態は特定の波長で空気が振動しているだけというきわめて単純なものでしかない音楽がそれなりに踏みとどまっているのは、このカラオケがあるがため、といっても過言ではないでしょう。
カラオケボックスは、単に歌を歌うだけでなく、音楽を介したコミュニケーションの場でもあります。コミュニケーションという、ヒトがその性として求めざるを得ないものに目をつけて、音楽業界はもう何十年も前に、課金システムを確立していたのです。

それに対して、われらが読書業界は、どうか。
本の楽しみ方といえば、
「読む」
ほとんどこれのみです(まれに、「積むだけでも楽しい」という奇癖の持ち主もいますが)。
音楽のような広がりは、ありません。娯楽がますます多様化する中、今までと変わらず、ただ「読む」一本で勝負する、そんな姿勢がもう通用しないことは、火を見るよりも明らかです。

では、「読む」以外に、どうやって楽しめばいいのか。
「朗読する」
これです。声に出して読むのです。
「え、そんなの、“読む”と変わんないじゃん。声に出して読むだけじゃん」
というあなた、甘い!
声に出して本を読む。それは、ただの「読む」とは根本的に異なっているのです。
声に出して本を読むことで、声帯と横隔膜がふるえ、その刺激により交感神経の活動が亢進し、副腎髄質ではアドレナリンが分泌され、血管は拡張し、気分は高揚し、肌はつやつやになり、自己免疫作用が活性化され、便通も改善し、発毛も促進し、記憶力がよくなり、テストの点は10点上昇、仕事では上司にほめられ、異性にもモテる!
朗読には、そのように素晴らしい効果があるのです!!
……というようなことを、ウソでもいいから、読書界は発信すべきなのです。
いや、発信じゃなくて、もう力ずくで、そういうことを広める。とりあえずAKB48あたりを起用してCMをつくるべきなのです。

人間の嗜好、なかんずく日本人の嗜好なんて、マスコミの操作でいとも簡単に操れるものですから、何となくテレビや雑誌やネット上で、
「朗読って、楽しいらしいよ」
「身体にいいらしいよ」
「朗読うまいと、彼女ができるらしいよ」
ということになれば、なんだかホントに朗読って良いものに思えてくる。
「あ、俺も朗読しようかな」
「俺も」
「俺も」
ということになる。
学校帰り、職場帰り、あるいは子供が幼稚園に行ってるあいだ、
「ちょっと朗読しようよ」
ということになるわけです。
そうなってくると、朗読にふさわしい場所が少ないことに気づく。歌にはカラオケボックスがあるのに、朗読には、そのための場所がないじゃないの。ファミレスで朗読したら迷惑だし、公園で朗読するのは恥ずかしいし。
そこで、登場するのが、
「朗読ボックス」
です。以前の「朗読カラオケ」のネタで考えた、まさにそれね。
朗読ボックスの便利なところは、手ぶらで楽しめることです。本をもっていなくても、朗読ができる。
今は電子書籍があるから、朗読ボックス側も、広い書庫などをもたずとも、お客さんに朗読用の書籍を提供できます。
で、こうなると、音楽と同じで、著作権協会みたいな組織が整備されることになります。朗読ボックスで朗読された作品については、1作品につき一定の料金が出版社と著者に支払われるようになる。
かわりに出版社と著者は、朗読ボックス業者にどんどん電子書籍を提供する。朗読を通じた著作権使用料を得るために、みんな嬉々として電子書籍化をするわけです。
「朗読」という、本を使った新しい娯楽を創造することで、消費者は新しい喜びを見つけ、出版社と著者は潤い、電子書籍化も進む。
これにより、本屋さんの売り上げはV字回復‥‥することはないでしょうけど、少なくとも、読書業界の未来に、何かしらの展望が開けることは確かです。


まあ、もちろん、その代償として、朗読して気持ちがよさそうなサビの部分だけに力が入って、残りはテキトーな感じの小説が量産されるかもしれないけど‥‥。



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2011年09月25日

読書週間の標語「信じよう、本の力」

東日本大震災と津波、そして福島原発事故は、本業界にも大きな影響を及ぼしました。
・被災地の本屋さん壊滅
・紙不足などによる雑誌の刊行遅れ
・本の売り上げのさらなる落ち込み
・原発・放射能本ブーム
などです。
その影響はまだ続き、きたる10月27日〜11月9日、今年の読書週間にも、震災は影を落としています。

過去の記事で指摘してきたように、ここ数年、読書週間の標語は、素朴な読書推進から自己目的的な広告コピーへ、そして「脱・本」へと歩みを進めてきました。
(過去の記事は、こちらを参照。→2005年2006年2007年2008年2009年2010年
一昨年は、
「思わず夢中になりました」
昨年は、
「気がつけば、もう降りる駅。」
でしたから、地震さえなければおそらく今年の読書週間の標語は、
「いつの間にか、ホテル」
などになっていたことでしょう。
だが、しかし。
3月11日、地震が、津波が、原発事故が起こってしまいました。
そして、読書週間の標語はどうなったか。
今年、第65回読書週間の標語は、これです。
「信じよう、本の力」

3月11日以来、われわれの生活は一変しました。日本中がひとつになって(というか、ひとつになったような気分になって)、地震や津波、原発事故という苦難に耐えてきました。
われわれは、口々に言いました。
「信じよう、日本の力」
と。
そうしてお互い励ましあい、がんばってきました。
そしてそれは、本業界においても同じでした。
日本中がみんなでがんばっている。われわれにも、本というものを通じて、何かができるのではないか。本によって、あるいは本とともに、われわれは立ち直ろうではないか。本というわれわれのこの原点に立ち戻り、そこを拠り所にしようではないか! そうして明日へ、新しい日本へと、目を向けようではないか!!
そうだ、みんなで、
「信じよう、本の力」!!!
ということになったんでしょう。
「思わず夢中になりました」やら「気がつけば、もう降りる駅。」やら、すかしたコピーライターがやっつけ仕事でつくったような近年の路線から大きく舵をきった、まさに質実剛健、地に足をどっしりつけた、標語らしい標語、といえるかもしれません。

とはいえ、冷静に考えてみると、この標語、ちょっと、どうなのか。
「信じよう、本の力」
といわれて、「はい、信じます」ということになったとしても、震災後というこのとりわけ困難な時代にあって、具体的に本にはどんな力があるというのか。実際のところ、本には何ができるのか。
と、つらつら考えてみると、本は‥‥、
・地震を防げない
・津波を防げない
・原発のメルトダウンを防げない
・放射能拡散も防げない
・復興に役立たない
・景気の浮上にも役立たない
このように現実的には、本には何もできないのです。
「本の力」
とかいいつつ、本に力なんて、ありはしないのです。
「信じよう、本の力」
なんて威勢のいいことをいっておきながら、空虚な号令でしかない。
「信じよう」
「本の」
「力」
と一見したところ力強い言葉を並べているように見えて、今年の読書週間の標語は、この数年の標語に勝るとも劣らぬスカスカっぷりなのです。

とはいえ、もしかしたら、この標語の意図は、そうしたところにはないかもしれません。
標語が高らかに謳いあげている「本の力」は、震災後の日本をどうにかしよう、なんていう崇高なものではまったくないのではないか。
というのも、津波や原発に対して無力な本も、われわれの心には絶大な威力を発揮するからです。
読書はわれわれの心を、頭脳を、別世界へといざなってくれます。
本によって、われわれは現実では味わえないハラハラを、ドキドキを、涙を、笑いを、あるいは鋭い洞察を、理解を、得ることができます。
一冊の本は、ひとつの異世界への扉なのです。
どんなに苦しいことがあっても、つらいことがあっても、一冊のすばらしい本があれば、その苦しくつらい現実から逃れることができる。
その意味では、本には力が、信じるべき「本の力」があるんです。
そうです。みんなで、今年の読書週間は、
「本の力」
を信じましょう。
本の力を信じて、読書をしましょう。
そうして、読書週間の2週間、この震災後の復興もままならず原発どうするかわからず経済はさらにどうなるかわからず政治も混迷して明日も見えない沈鬱でどんよりとした日本の現実から、読書によって逃避しようではありませんか!
本さえあれば、どんな現実も怖くない!
ビバ! 本の力!!
信じよう、本の力!!


posted by 清太郎 at 20:30| Comment(6) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

グラビア系俳句雑誌「Heinkel(ハインケル)」

前回、見た目まるっきり女性向けファッション誌のような俳句雑誌があってもいいんではないかと、
「Haine」
を考えてみたんですが、しかし女性誌があるのなら、当然、男性誌もつくりたいものです。
で、男性誌となると、やっぱり、求められるのは、エロ方面です。
たとえば毎号、水着やセミヌードといった、
「美女俳娘のセクシーグラビア」
の特集は必須。
そのほか、
「モテる俳句講座」
「女を口説ける句またがりテク!」
といったモテ記事、エロ記事をズラリ。
タイトルは、「Heine」にあわせて、
「heinkel(ハインケル)」
なんてところでどうでしょうか。
表紙は、こんな感じ。

heinkel表紙縮小.jpg

(拡大画像は、こちらのPDFで表示されます)

パッと見たところエッチ系でも、俳句に関する記事しか載っていない、一冊丸ごと俳句雑誌ですから、これを買って帰って、奥さんから、
「ちょっとお父さん、いい年して、何こんなの買ってるのよ!」
と怒られても、大丈夫です。
「何言ってるんだ、これ、俳句雑誌なんだからな。ホレ、俺が投句した句も載ってるぞ」
と、胸を張って抗弁できます。
(無理かな……。)

こうして「Haine」「Heinkel」という2つの雑誌が成功すると、そこはそれ、出版業界なんてマネしてなんぼの世界ですから、以後は雨後のたけのこのように新たな俳句雑誌が生まれてくるでしょう。
そうして、差別化のために細分化がどんどん進んで、たとえば、
・本当に上質な俳句を求める30代以上女性向け俳句誌「ハイブラウ」
・ちょっと背伸びをしたい10代女子のための入門誌「俳ティーン」
・10代ギャル系女子向けの小悪魔俳句誌「ハイカワイイ!」
・女子による女子のための女子的俳句誌「俳卵」
・海と風を感じるアウトドア系ナチュラル俳句誌「俳祭(ハイサイ)」
・アヴァンギャルド俳句で既存の秩序をぶち壊せ!「ハイジャック!」
・燃える男の格闘系俳句誌「ハイキック」
・健康スポーツ俳句誌「ハイジャンプ」
・自動車俳句誌「ハイオクタン」
・足フェチ俳句誌「ハイヒール」
・禁断のスカトロ俳句誌「HAISETSU」
・「HAISETSU」に対抗! せせらぎ俳句誌「HAINYO」
と、まさに百花繚乱。
この不況下の平成の世に、俳句文化は新たな転回を遂げることになるでしょう。

まあしかし、「Heinkel」ならともかく、さすがに「HAISETSU」や「HAINYO」では、奥さんに許してもらえないと思いますが……。



posted by 清太郎 at 23:53| Comment(5) | TrackBack(0) | 本ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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